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大累進(おおるいすすむ)

  • 2013/02/13(水) 14:28:35

巨人からドラフト2位指名され入団した大累進(おおるいすすむ)という選手に期待している。

北海道の名門あの駒大苫小牧高校ではマー君こと田中将大の2年後輩で1年時からベンチ入りをした将来を嘱望された逸材である。2年になると中心選手として活躍するも甲子園出場はなく中央球界では全くの無名選手だった。

地元、北海道の道都大学に進学し1年からレギュラーを張るもののここでも中央球界から無名の選手だったが北海道代表として出場した神宮野球大会でスカウトの目に留まる。

この大累選手はとにかく足が速い。しかも強肩である。

強肩とプロ球界トップクラスの快足が売りではあるが内野手なのだ。175cm70kgと決して大きくないその体で器用なグラブさばきを魅せる職人肌の内野手である。

一番のストロングポイントであろうスピードは超一級品である。50メートル走でなんと5秒7をマークしたこともあるというのだから陸上選手も真っ青のスピードスターである。大累のスピードに関しての本当の魅力は右打者ながら一塁到達タイムが3秒8という所にある。この数字が如何に凄いのかを比較証明する数字としてイチローを例に出してみよう。イチローが全盛期の一塁までの到達タイムが3秒7である。しかしイチローは左バッターである。一歩半遅れると言われる右バッターで3秒8の到達タイムが如何に速いかが分かって頂けたと思う。

更には遠投で100mを簡単に投げるという強肩の持ち主でもある。強肩に俊足・・・これだけで外野のレギュラーを約束してくれるチームもあるのでは?と思う程の逸材である。

但し、バッティングはまだまだプロのレベルに達していない。スピードにも対応出来ないだろうしバットコントロールも決して巧くない。変化球への対応もプロレベルでは全然の域であろう。非力が否めないのでこのままでは到底1軍のトップレベルのピッチャーを打つ事は出来ないと思う。バントなど小技を磨き堅実に生きる道を探っていくことになるだろうがそれでも2〜3年は2軍で時間がかかりそうだ。

「大累家」の先祖は宮城県の伊達藩の流れをくむ武士だという。平成の時代に「大累」という名が全国を駆け巡る日は必ず来ると信じている。そう思わせる楽しみな逸材である事は間違いない。


月岩信成 人生をも変えた5番打者

  • 2013/01/16(水) 12:54:24

『平成の怪物』の名をほしいままにし数々の伝説を残してきた松井秀喜がユニフォームを静かに脱いだ。

松井秀喜伝説はあのギラギラした夏の日に生まれたと言っても過言ではない。

1992年の夏の甲子園。

知将馬渕監督率いる高地の名門、明徳義塾が松井率いて悲願の全国制覇を目論む石川の雄、星稜高校の一戦である。

馬渕監督が勝利至上主義の為にとった作戦・・・。松井秀喜の「5打席連続敬遠」は当時は高校野球の在り方をめぐって社会問題にまで発展した。松井秀喜を押しも押されぬ強打者として認められた一方で4番松井の直後の5番打者だったのが月岩信成選手だった事を今はだれも知らない・・・。

明徳義塾戦で徹底的に松井を避けられ勝負された月岩選手はスクイズで一点こそ決めたが4打数無安打。松井が一塁へ歩かされた後、馬渕明徳の思惑通り徹底的に研究し尽くされ、打てるボールは一球も来なかった。まんまと作戦にハマり打ち取られたのだ。試合中は松井から「普段通りやれ」と何度も声を掛けられた。負けが決まった試合後は泣きじゃくり、自分を責め続ける月岩さんを松井はそっと肩を抱きしめた。

「自分が打っていれば…」

18歳の少年が周りからのプレッシャーに追い込まれ『敬遠』作戦が社気現象になればなるほど精神的に極限まで追い詰められたのは想像に難くない。

野球を続けたくても何処に行ってもこの一件を蒸し返され挫折・・・大好きだった野球をやめ松井をはじめ当時のナインとも卒業後は距離を置いた。こともあろうに「戦友」だった松井を責めた事もあったそうだ。

ただ時間とともに心に落ち着きを取り戻すと松井の帰省時には当時のメンバーで温泉旅行に参加。「今は良い思い出あれは僕しか経験できないことだったんだから」と笑顔で振り返れるようなった。その笑顔に一番嬉しそうに答えたのが当の松井本人だったそうだ。

月岩さんは地元金沢市で「KUSI56(くしころ)」というお店をオープンさせ繁盛させているようだ。店名の「56」には松井のプロでの背番号「55」のあとを受けるという意味が込められつけられたらしい。

「松井と一緒にプレーできたことは最高の思い出だし松井のあとの5番を打ったのは今でも僕の誇りです」そういって酒を片手にお客様相手に笑う月岩さん。

伝説の怪物・松井秀喜の引退は月岩さんの新たな人生のスタートでもあるようでならない・・・。

桐生祥秀

  • 2012/12/17(月) 10:43:12

少年男子100m決勝で京都の洛南高2年の桐生祥秀が10秒21のジュニア日本新記録を出して優勝した。





さらにその1カ月後に桐生祥秀は10秒19を出した。


この短期間で2度のジュニア日本記録更新である。日本の陸上界に旋風を巻き起こしている。それでもテレビや新聞ではあまり大きく扱われていない。実はこの記録は世界が驚く記録であることはまだ誰も知らない。

桐生の記録時はまだ16歳11カ月で世界でみるとジュニアではなくユースの年代だからだ。「10秒19」は、ユース年代の今季世界ランキング1位というだけでなくこの年代の歴代世界最高記録なのである。あのボルト超えである!大学生や社会人を含めて考えても、日本のトップスプリンターであることは間違いない。

ジュニアで世界10傑に入ればシニアでも飛躍する可能性が高い。

このさきの成長が非常に楽しみである

桐生祥秀。

京都の高校生を是非、覚えておいてもらいたい。

高校野球に隠されたドラマ・・・

  • 2012/08/28(火) 11:29:39

平成の新怪物・藤浪晋太郎擁する大阪桐蔭が3期連続決勝に進出し東北勢悲願の初優勝を目指した青森光星学院を返り討ちにし春夏連覇で幕を下ろした高校野球。

圧倒的な力の違いを見せつけた大阪桐蔭と準決勝で対戦した四国の雄・高知の明徳義塾。

熱戦の陰で小さなそして熱い高校野球ならではのドラマが隠されていた事をご存知だろうか?

明徳義塾の伊与田一起選手は幼いころからのライバルから贈られたバットを持って甲子園の夢舞台に立っていた。小学生から競い合った仲。「最後の夏、甲子園の土を踏みしめたい」との思いを受け懸命にバットを振った。バットを贈った主は高知県の名門校・高知高校の内野手芝翼君。2人は小学生の時、軟式野球の高知大会決勝で対戦し投手として投げ合った。芝君はこれまで一度も伊与田選手のチームに勝ったことがない。「四国一の選手」と伊与田選手の事を称する。
一方の明徳義塾・伊与田選手は昨春と昨夏、今回と計3回、甲子園にレギュラーとして出場。昨夏は2回戦まで進み、2試合で4安打1打点の活躍を見せた。今春、高知はセンバツに出場。芝君も控え選手としてベンチ入りしたが、試合に出ることはかなわなかった。「もう一度、甲子園へ」との思いが一層募った。

明徳義塾と高知は高知大会決勝で顔を合わせた。

延長十二回、明徳義塾が2−1でサヨナラ勝ちした。

直後、芝君は伊与田選手に「バットいるか」と声をかけた。「甲子園にもう一度行きたかった思いをパワーに変えてくれ」との気持ちからだった。伊与田選手は受け止めた。普段使っているバットより1センチ長かったが、体になじむまで何度も素振りした。打撃フォームを変えてまでそのバット、その想いにこたえようと毎日毎日、手指のマメがつぶれるほどバットを振った。

今大会ずっとスタンドから「頑張れ」と芝君が声を張り上げるのを伊与田選手は知っていた。

新潟明訓戦では左中間に適時二塁打を放ち試合を決定づける追加点をたたき出した。「今までの3年間で一番の会心の当たりだった」と芝君のいるスタンドの方に高々と指をさしそして満面の笑みがこぼれた。

絶対王者・大阪桐蔭を相手にしたこの日も伊与田選手は3番・二塁手として先発出場したが、無安打に終わった。

試合後、「甲子園に来たいという思いはみな同じ。芝の分も頑張った・・・。優勝したかったが、負けて申し訳ない」と芝君の分まで悔しがった伊与田選手に芝君は涙で答えた。

プロ野球の下部組織と言われる近代高校野球だが、まだまだこんな青く熱いドラマがある事に少しほっとした半面、胸が熱くなった。


米田一典 女子バレーボールの名将逝く

  • 2012/02/27(月) 10:33:45

バレー王国広島県の名門崇徳高校出身で高校時代は柳本晶一全日本女子監督と同じセッターということもありしのぎを削った間柄だった米田一典氏がこの世を去った。

法政大学在学中に卓越したバレーボール理論、戦術解析に長けたクレバーさを買われ当時はまだまだ弱小チームの日立女子バレーボール部にコーチとして就任した。

その後、監督に昇格し江上や三屋らを育てあげ日立を常勝チームに育て上げた。1974年には全日本女子チームコーチに就任し山田重雄監督の片腕として手腕を発揮しモントリオールオリンピック金メダル獲得に大いに貢献した

1984年ロサンゼルスオリンピックでは全日本女子監督に就任して当時の日立の選手を中心に銅メダルを獲得するなど世界レベルでもコーチとして監督として高い評価を得た名将だった。

その一方で日立の監督として活躍した2001年に日立製作所本社の合理化の一環として日立ベルフィーユ廃部してしまう。日本リーグ史上最高優勝回数を誇る名門ですら親会社の景気次第で廃部に追い込まれてしまう日本の企業スポーツの限界を感じながら米田はチーム全体移籍の受け皿企業を確保しようと奔走したが、折からの景気低迷で全体移籍は適わなかった。

一企業丸抱え型のチーム運営に限界を感じた米田は香川県の高松市で地域密着型スポーツ振興を目指してNPO法人J-HOTバレーボール連盟を設立し自ら理事長に就任。

香川県内でバレーボール技術指導活動をしながらサッカーのJリーグを見習った地域密着の新クラブチーム発足の準備を進めた。2005年4月に女子バレーボールのクラブチーム四国Eighty 8 Queenを発足させ初代監督に就任。着実に力をつけ2007年、実業団地域リーグで優勝し、入替戦で勝利してチャレンジリーグ昇格を果たすまでになった。

Vリーグ昇格も夢でなくなった矢先に四国Eighty 8 Queenは資金不足で活動休止となってしまう。新たなスポンサーを見つけ本拠地を仙台に移転し仙台ベルフィーユとして再出発した矢先、震災に見舞われその活動も制限されることになる。更には肺がんが見つかり監督を退くことにもなる。

闘病しながらも試合会場にはいつでも姿を見せ車いすに乗り点滴を打ちながら、ベンチで選手にゲキを飛ばしたという。

クールでいて冷徹で寡黙な米田一典。しかし低迷し続けた女子バレーボール界をいつでも憂い考えなんとかしようとする姿は熱い心の持ち主なんだと感じれるには十分だろう。

米田一典。享年61歳。まだまだ女子バレー界の為に尽力してほしかったが・・・・
 

高梨沙羅 天才女子中学生ジャンパー

  • 2012/02/24(金) 13:29:44

ノルディックスキーの世界ジュニア選手権ジャンプ女子(HS109メートル、K点95メートル)で15歳の中学生、天才ジャンパー高梨沙羅(北海道・上川中)は1回目で最長不倒の108・5メートル、2回目に107・5メートルを飛び、276・5点で日本女子で初めて優勝を果たした。









今季W杯9戦で6勝を挙げている17歳のアメリカの天才サラ・ヘンドリクソンを抑えての見事な優勝だった。

2014年ソチ五輪から正式種目に採用されるノルディックスキーの女子ジャンプはヨーロッパの列国が躍起になって強化をしている種目である。1月に第1回冬季ユース五輪で金メダルを獲得し初代女王に君臨しW杯でも2位3度の日本が誇る「ソチのホープ」こそが高梨沙羅である。

圧倒的な強さを見せつけたNHK杯と全日本選手権。いずれも中学生として初めて表彰台の頂点に立った。それでも、全日本選手権後の本人のコメントは「一本目も2本目も失敗した。納得できない」と厳しいものだった。中学生にしてこのストイックさこそが彼女の最大の武器であろう。「よくないイメージを海外に持っていかないようにイメージトレーニングをしたい」と海外への移動中「iPodで好調時のジャンプ映像を見て修正に取り組みたい」余念がない。

バンクーバー五輪フィギュア女子金メダリストの韓国のキム・ヨナからプレッシャーの対処法「大声で歌うとか、あくびをするとか、勉強になった」とメンタル面についても学んでいる。

身長150センチと小柄な中学3年生は今日のような大きな大会でも「1回目でいいジャンプができたので、落ち着いて飛べた」と冷静に振り返った。試合後、外国メディアにせがまれて「鳥のように飛ぶ」とサインした。
飛躍中に滑空する鳥をイメージする飛躍について担当コーチは「空中でスピードをロスすることなく飛んでいくのが長所」と説明した。

まだ15歳。飛ぶたびに記録を出し続け安定感すら漂わせるジャンプに関係者の間からは「五輪でも最もメダルに近い」と評される

期待される高梨沙羅の進化が止まらない。

2014年のソチオリンピックが今から待ち遠しい限りである

大利久美 競歩界のニューヒロイン

  • 2012/02/20(月) 12:53:36

皆さんは競歩という協議をご存知だろうか?男子ではマラソンよりも長い50kmがオリンピックの種目にもなっている過酷な種目である。日本ではまだまだ馴染みがないが今年のオリンピックが楽しみな女性選手を今日は紹介したい。

1時間29分59秒以内!その基準記録を突破して優勝すれば、ロンドン五輪代表に内定するという条件ががかかった2月19日の日本選手権20キロ競歩。見事にその条件をクリアして五輪代表の座を手にしたのは富士通所属の大利久美だった。

競歩界のいや陸上界のニューヒロイン、美女アスリート大利久美が今日のお話し。



「日本記録(1時間28分03秒)も出るくらいの練習はしてきたので……。今は自分でも怖くなるくらい調子がいいけど、前半は抑えて、確実にノルマをクリアして代表を勝ち取るレースをしたいと思います」自信たっぷりにスタートした大利だったがその言葉通りの計算し尽くされた優勝には恐れ入る。




大利は日女体大時代から歩型の正確さは評価されていたが筋力は不足がちでスピードがないタイプの選手だった。だが2008年に富士通入りしてからは、世界を目指す川崎や男子の森岡らに刺激を受けて成長。初出場だった09年世界選手権(ドイツ・ベルリン)で12位に入り少しだけ世界に近づいた。それからは課題の筋力不足を克服すべくウエイトトレーニングなども重視して筋力をつけスピードを上げてもフォームが崩れにくくなったという手応えも感じるようになってきた。


ロンドンへ向けてもまだ入賞とかメダルなどを口にするレベルではないと本人も自覚している。現に昨年の世界選手権ではスローペースになると予想してスピード練習も不足したために、ペースが上がった後半の勝負に対応できず20位に止まってしまったのだ




「入賞となると後半にスピードアップすることを意識していかなくてはいけないが、ロンドンは世界選手権と違って最初から速いペースのレースになると思うからそれに付いていくのが前提になる。だからまずは、前半ついて行けるスピードを付けることが必要になると思います」とロンドンへの課題も明確にわかっている



競歩というまだまだ日本ではマイナーな競技だが彼女のような愛くるしいルックスの美女アスリートが世界と対等に戦えるようになると日本の選手層も一層あがるような気がする。その時はマスコミの力を惜しげもなく使っていただきたい。今後の彼女の活躍に期待している

藤岡貴裕 

  • 2012/02/04(土) 13:50:24

「よかったね、ロッテで」
「はい、いちばん最初にボクを決めてくれた球団だったので」
そう笑ったのはロッテにドラフト1位指名され今季の新人王最有力候補の藤岡貴裕だ。



ロッテは成瀬善久と吉見祐治以外に一軍レベルの先発サウスポー候補がいない。したがって「ローテーション左腕」はここ数年、第一の補強ポイントになってきた。チームの総意として昨年の年頭から「東洋大・藤岡1位」を正式なメッセージとして掲げ、藤岡が投げる日の神宮のネット裏前方には彼の投球をじっと見守るロッテスカウト陣がいた。


「藤岡のフォームでは大学では通用してもプロの世界では通用しない。」そんな評価も一部からあがる。

腕をなかなか見せてくれないから独特のフォーム。右足を踏み込む時の半身の態勢から踏み込んできてギリギリのところで肩の左右をパッと切り換える。そこからズバッと腕を振る。「150キロ」の球もすごいがボールを見せてくれない独特フォームは打者に不安と恐怖を感じさせるには十分だ。その反面、故障しやすいフォームであることは否めない。

ストレートも、スライダーも、カーブもフォークも、持ち球のすべてを構えたミットに投げ込むコントロールの良さはプロの中でもトップクラスであろう。
藤岡は大学時代からボールを握った時のデリケートな指先感覚を大切にして、背中にいやな汗びっしょりかくようなピンチの場面でも、間違っても手首に骨が浮くほどギュッと握ったりしない。常に指先の感覚を一定に保ち続けコントロールには細心注意を払い続けるそういう大人のピッチャーだ。

精緻なコントロール、だからこその球持ちの良さ。努力だけではなかなか得難い大きな財産と才能を武器に藤岡貴裕が1年目からローテーションに食い込み新人王に名乗りを上げる。

ナタリー・ナカセ bjリーグ史上初の女性ヘッドコーチ

  • 2012/01/25(水) 11:03:07

日本のプロバスケットボール・bjリーグ史上初の女性ヘッドコーチが就任した。

埼玉ブロンコス、ディーン・マーレイHCの解任に伴い、アシスタントコーチを務めていたナタリー・ナカセがHCへと昇格した。1980年生まれの31歳。今までドイツ1部リーグで女子チームを率いた経験はあるがbjリーグでは昨季の東京アパッチ、そして埼玉ブロンコスでのACを務めた経歴のみ。

今日はそんな女性のお話し。

米カリフォルニア州で生まれ育った日系3世のナタリーは、二人の姉を持つ3姉妹の末っ子。大のスポーツ好きの父親のもと、姉がバスケをしていたこともあり、自然とバスケを始めたという。3姉妹の中で一番器用で飲み込みが早かった彼女に対し、父親は期待をこめて熱心にバスケを教え込んだ。姉の影響で始めたバスケだったが、その面白さに彼女も夢中になっていった。そしてバスケの名門校である米カリフォルニア大学ロサンゼルス校)に進むこととなる。

「自分の中でUCLAは夢でした。しかし通っていた高校からUCLAのような伝統ある名門校に引っ張られるというチャンスは今までなく、特に自分のようなサイズの小さい選手には声がかからないと思っていました。だから誘いを受けた時は本当にうれしかった」そんな喜びと希望にあふれた彼女を一気に絶望の淵へと追いやる出来事が起こる。大学入学を控えた高校のラストゲームで前十字靭帯と半月板を損傷するという大けがを負ってしまったのだ。

リハビリ中、どうすることもできないこの状況を乗り切ろうと彼女は持ち前の観察力でチームを徹底的に分析した。

実力ある先輩から学び取ることで、プレーできずともポイントガードとしての資質を磨いていったのだ怪我でチームから外された自分の置かれた状況に対して常にプラス思考だった。

この時の経験が今、彼女の仕事に大きく貢献している事は言うまでもない

怪我を克服し過酷なリハビリを耐えた彼女は名門UCLAでレギュラーを獲得するとさらにはキャプテンにも就任し、チームをけん引した。大学卒業後はアメリカやドイツでプロとしてのスタートを切った。そんな矢先、順風満帆に見えたプロ生活で再び高校時代と同じ大けがを負ってしまい引退を余儀なくされた。

現役を退いた彼女に思わぬ朗報が舞い込む。ドイツ1部女子リーグに所属するチームからのHC就任のオファーだった。卓越したバスケット理論と強烈なキャプテンシー、真摯にバスケットに打ち込む姿が評価され異例のオファーを受けたのだ。

2部降格危機のチームを立て直しその後2シーズンをドイツで過ごしたナタリー・ナカセはふとした縁で日本のバスケットを体感しbjリーグに携わるきっかけになる。そして友人の勧めや日本の居心地の良さもあり東京アパッチにACとして参加することを決意したのだ。

1年間ACをつとめたが、東京の活動休止にともない今季は埼玉へと移籍。

チーム事情からHCが解任されナタリー・ナカセがHCに就任したのだ。

彼女が目指すHC像は、選手一人ひとりのポテンシャルを高めてあげる存在。「感情をぶつけ合うこともあるが、お互いヒートしていても意味がない。うまく相手の手綱を引く飴と鞭が大切」で選手を常に気に掛けることによって、彼らの細かい変化を見逃さないこと、個々のパーソナリティを大切にすることがHCとしての重要な資質だと考えている。だから彼女はチームをファミリーと呼ぶ。ときには激しく対立し、しかし個々のケアは怠らない。まさに肝っ玉母ちゃんのような厳しさと愛情をもって、チームを率いているのだ。

身長157センチの小柄な彼女が、2メートル級のビックマンと堂々と渡り合っている姿は頼もしい限りだ。

ナタリー・ナカセ。そして埼玉ブロンクスの挑戦に注目したい

松平康隆

  • 2012/01/04(水) 11:12:23

日本バレーボール協会名誉顧問の松平康隆氏が2011年の大みそかに肺気腫のため亡くなった。国際バレーボール連盟副会長、アジア・バレーボール連盟会長、日本オリンピック委員会(JOC)の要職を歴任するなど、バレーボール一筋の人生、日本バレーいや世界のバレーボールを変えたレジェンドが静かにその人生の幕を下ろした。

松平氏は東京五輪で、全日本男子チームのコーチとして銅メダルを獲得した。だが、バレーボールが初めて五輪競技となったこの大会、「東洋の魔女」といわれた全日本女子が金メダルを獲得したため、男子はほとんど脚光を浴びることがなかった。監督となった松平氏は、8年後のミュンヘン五輪優勝に照準を合わせ、長期強化を進めていく。大古誠司、森田淳悟、横田忠義らを擁しミュンヘンで悲願の金メダルを獲得したのだ。

松平氏はその昔から都会的なセンスも持っていた。顕著な例がマスコミの利用だ。スマートなバレー選手は女性の人気になる、と雑誌への露出を増やし、ミュンヘン五輪前にはアニメと実写のテレビ番組「ミュンヘンへの道」を企画・監修し、全日本男子の金メダルへの挑戦を同時進行で描くなど奇才ぶりも発揮した。「自分がやっているスポーツに、少しでも多くの人に関心を持ってもらいたいのは当然のこと」といいのけた松平氏は、その後もテレビとのコラボを進めた。

バレーは、毎年のように国際大会が日本で開催される希有な団体競技だが、根底には膨大な放映権料がある。これは、松平氏が日本協会専務理事や会長時代に手がけた戦略の果実だ。こうした手腕でバレーは、日本でも指折りの人気スポーツに成長していった。確かに最近は行き過ぎた傾向があることは否めないがここ日本での世界大会開催を通じバレーボールの聖地になっていることは評価に値することではないだろうか?


日本のいや世界のバレーボール界に大きな功績を残した松平康隆。

今、永眠につく

白井健三 内村を本気にさせたスーパー中学生

  • 2011/11/06(日) 19:02:46

前人未到の世界選手権個人総合3連覇を果たした内村航平が全日本選手権の床で本気になった。世界チャンピオン、ミスターパーフェクトを本気にさせたのはなんと中学生だった。

白井健三。横浜市の市立中学校に通う中学3年生だ。

報道陣に囲まれて丸刈りの頭をかきながらはにかむ姿はまさに中学生だった。

そんな中学生の白井健三がなんと95年大会のあん馬で鹿島丈博が優勝して以来16年ぶりに中学生が決勝に進んだ。しかも世界チャンピオン内村航平に次ぐ2位で!さらに驚くのは技の難易度を表すDスコアが内村を上回る6.9を叩き出したのだ。白井健三のD得点を聞いた内村に「すごいね」と驚かれ、「でも僕は決勝では7・2点」とクールな世界王者を本気モードにさせた。

決勝でも堂々とした動きを見せてくれた。後方宙返り3回半ひねりで入った最初のシリーズから着地をピタッと止めて場内の空気を自分の物した。3歳からはじめたトランポリンで体幹を鍛えられバランス感覚にも長けた逸材は予選を上回る15.650を叩き出したのだ。

内村航平には及ばなかったもののそれでも床のスペシャリストとして十二分に世界に通用するであろう頼もしい存在に成長していくだろう。

まだまだのびしろたっぷりの逸材に期待が膨らむばかりである。

稲倉大輝 熊本国府高校

  • 2011/10/23(日) 15:38:56

まもなく開催されるプロ野球のドラフト会議に指名されるであろう中央球界では無名だが九州では有名なスラッガーがいるので紹介したい。

熊本国府高校の3年生、稲倉大輝だ。





その甘いマスクとは裏腹に実に派手なバッティングを見せてくれる期待のスラッガーである。腕っぷしが強く腕力でボールを飛ばすような強引な打撃だが実にその打撃はパワフルだ。

引き手が強く、腕っぷしの強さで打つような荒っぽい打撃のように見えるがそれでも強引に引っ張るだけでなく右方向にも強い打球が飛ばせるのが魅力である。





スクエアスタンスで打席に立ちどっしりと腰が座りそれでいてリラックスして構え、懐の広さが魅力だ。

そういった余裕のある雰囲気が投手にはなんとも不気味で恐怖感を与えボールをギリギリまで引きつけて打つ典型的な長距離打者で足もカカトを浮かせるのみであとは降ろすと言うシンプルなスタイル。







現段階の弱点として打撃の「間」と言うものがないのでどうしても打てる球は限られてしまいます。プロの投手相手に即、一軍で通用するとは思えないがそれにしても荒削りで魅力的な選手である。

ただ踏み込んだ足下は鍛えられた筋力で支えられインパクトの際にもブレず、そのためしっかり捉えた球は打ち損じも少ないですし、しっかり力をバットに伝えることができます。

いち早くトップの位置にはグリップを持ってきているので、速い球に差し込まれるという心配は少ないです。ただ少しバットが遠回りに出てくるので、どうしてもスイングに無駄が生じる。ただその分少しポイントは後ろになるが大きな弧を描いてスイングは本当にほれぼれする。
捉えた打球は実に強烈で体に力がある証拠なのだろう。

特に上下に大きく動かないので目線もブレませんし体の開きも我慢でき軸足にも強さを感じます。腰が据わり軸がしっかりしたスイングができています。

ギリギリまで引きつけて、大きな弧を描いたスイングが魅力の選手。

それだけに、このあたりを修正すると、持ち味を失いかねないが上のレベルで野球を続ける際に、今のスイングだと大きな壁にぶつかるだろう。まずは、今のスタイルでどこまでやれるのか、己の限界に挑んで欲しいと願う。

熊本国府高校の3年生、稲倉大輝

この名前を覚えておいてもらいたい

「オレ流」監督の底力 中日ドラゴンズ悲願のセリーグ連覇

  • 2011/10/19(水) 18:38:26

中日が球団史上初のセリーグ連覇で幕を閉じた。ヤクルトの快進撃の前に幾度となく沈みかけた知将落合率いる中日ドラゴンズが最後の最後にペナントをもぎ取ったのだ。

「オレ流」

現役時代から落合に付けられた愛称である。マスコミに対してリップサービスが少なくぶっきらぼう!勝利至上主義で野球がつまらない!など批判は多いがそんな声を完全にシャットアウトして「勝利」のみを目指す姿勢こそが真の「オレ流」なのだろう。

それでも落合監督は監督就任当初から「ファンサービスが足りない。野球がつまらない。」と囁かれる外野の声に自問自答を重ねてきた。「いろいろ言われることには慣れてる。ただ、オレは現場を預かる最高責任者として、何ができるかを考えたら、勝つことしかないんだ。勝って気持ちよく家に帰ってもらう。それが一番のファンサービスだろ」。何を言われようと、オレ流を貫いたのだ。


落合監督の本当の「オレ流」はその野球に対する類まれな洞察力にある。

ブランコの起用の仕方がその典型的といえるだろう。

開幕から飛ばない統一球の影響からか極度の不振にあえぐブランコを、落合監督は6月4日から約2カ月間の長きにわたって二軍に落とした。

チーム状態が決して良かったわけではない。むしろどん底だった状態のときに4番を早々と切ったのだ。

しかし、落合監督の視線は、先にあった。6月の当時、抜け出していたのは優勝経験のある選手が少ないヤクルトだった。しかも開幕が約2週間遅れた今季は9月以降にも35試合以上の試合を残している。じっくりとそこに向けて調整させたのだ。2カ月のキャンプで作り直させて、勝負どころで切り札として投入した。

8月30日に再び一軍に上がったブランコを、迷うことなく4番で起用した。そしてこの4番が機能したことが、中日のラストスパートにつながっている。

プロでも簡単に見抜けない野球の奥深さや怖さを熟知する。

これがオレ流監督のすごさである。

彼我のチーム力や、選手個々の状態と持っているポテンシャルを見極める力、試合の流れを読んで勝利への道を探す探求力、そして144試合という長丁場を踏まえた上でシーズンを展望して優勝への道筋を築くコンストラクション力……。この監督は表面的には見えない、プロでもなかなか見抜けない、野球の奥深さや怖さを見抜く力に長けている。その洞察力にかけては、12球団の監督の中でもトップクラスにあることは間違いない。

そんな知将が宙に舞った。無数の手に突き上げられ、万感の思いがこみ上げた胴上げだったのだろう珍しく涙が止まらない。今期限りの勇退が決まっている「オレ流」監督は悲願の日本一をもぎ取ってドラゴンズと決別するのだろう!

「オレ流」監督の短期シリーズの采配に期待してやまない

オールブラックス 事実上の決勝戦を制する

  • 2011/10/17(月) 16:52:12

地元開催で悲願の優勝を目指すオールブラックス。言わずと知れたラグビーのニュージーランド代表のことである。

ラグビーワールドカップ準決勝の相手は宿敵・オーストラリア。通称ワラビーズ。ホームのオールブラックスが圧倒的優位とはいえ事実上の決勝戦である。

観衆は軽く6万人を超えている。満員に膨れ上がったスタンドの大声援を受け、すさまじいラッシュをかけたのはやはりオールブラックスだった。相手のキックオフミスからの最初のスクラムで強烈にプッシュし早々に先制トライを決めた。その後も圧倒的にボールを支配し攻め続けた80分間。ワラビーズに一切ラグビーをさせなかった。ボールを持てば低くスマッシュし、相手ボールになれば、鋭いタックルで突き刺さし攻撃の芽を摘んだ。


地元開催で優勝が至上命題のフットボール大国のニュージーランド。オールブラックスにかかる期待とプレッシャーは相当なものだったはずだ。しかし今大会はけが人が続出した。大黒柱のSOカーターに次ぎFBムリアイナが戦線離脱しピンチに陥った。

チームがコンパクトに集散を繰り返し、15人の寄りの早さは凄みすら感じた。正確なハンドリング、突き刺さるような魂のこもったタックル、数少ないピンチの場面でもFW、BKが一体になり守備に奮闘し最小限の失点で霧に抜けるた。過去140戦以上戦っているライバル・ワラビーズとの力の差は大きくないが随所に見せる気迫に満ちたプレーの積み重ねが20−6という予想外の大差のスコアとなった。

「An ALL BLACKS NIGHT!!」

6万人が連呼した。

キャプテンのマコウは試合後「ボールキャリアとブレイクダウンがゲームのカギだった。そこで勝った。"ビッグ・ナイト"になった」と胸を張った。

まさにビッグナイトな試合だった。

悲願のチャンピオン返り咲きまでマジック1。相手はくしくも24年前の初優勝を遂げた時と同じフランス。前評判は圧倒的にオールブラックスであろうが真の「An ALL BLACKS NIGHT!!」まで油断大敵である。

東京世界体操選手権 男子団体決勝

  • 2011/10/16(日) 13:32:40

前人未到の個人総合3連覇がかかる東京世界体操選手権。日本のエース内村航平は大会前は事あるごとに個人総合の事よりも「団体」の金メダル獲得に意欲を見せていた。団体で掴んだ金メダルの重さの事はアテネオリンピックをテレビで見て感動を覚えたあの日から、塚原を含め富田や鹿島といった大先輩から伝え聞いている。

あの感動は内村の心を大きく揺さぶった。とくに最後のエース冨田の鉄棒は忘れられないという。最後の最後まで「綺麗な体操」を魅せた冨田は落下の危険を考え離れ業コバチを回避する作戦を無視して自分の体操を貫いた。

その先にあったものは悲願の金メダルと体操ニッポンの夜明けだった。期待された北京は小さなミスが重なり中国に完敗した。これを機に冨田・鹿島の2大エースはチームを離れた。内村はエースに成長し個人総合の世界チャンピオンの称号まで手にした。

そんな内村に課せられたノルマはただ一つ!団体の金メダル!これだけだ。

33年ぶりの悲願は真の体操ニッポン復活を告げる事を内村は誰よりも知っている。

予選をトップで通過した日本。だが得点システムが異なる決勝は各種目のスペシャリストが集まる中国有利の声はぬぐえない。

内村をはじめ山室、田中と得手不得手はあるものの比較的オールラウンダーを集めた日本に対し中国は各種目のスぺシャリストを選び結晶の一発勝負にかけていたのだ。

ミスの許されない団体戦で日本はあん馬で落下した。中国も小さなミスはあったものの安定感では一歩リードしていた。この安定感から精神的余裕を生み徐々に王者・中国は日本を追い詰めていく。神経戦が展開されていた中盤から後半にかけて日本チームから笑顔が消え確実に追い詰められていたのは圧倒的な応援を受けて優位なはずのホーム・日本だった。

最後の6種目目。ここまで全体の2位の日本は高得点が見込める日本。対するここまでトップのライバル中国は体力的に辛さがあり最終種目としては不利と言われる床。

会場内は「金メダル」の期待が現実味を帯びボルテージが上がってきた。

会場の視線が鉄棒に集まる中、会場の中央の床上では華麗な大技が連発されまるでマグネットを履いているかのようにピタッと着地が止まり続ける。これが世界の中国の底力なのだ!と言わんばかりに床のスペシャリスト達はF難度のルドルフを成功させ最終種目と思わせない脚力で着地をとめていくのだ。

中国から受ける無言のプレッシャー!それでも会場から高まる期待!

日本チームからは悲壮感すら感じさせた。完全に飲み込まれた日本は2番手で田中がまさかの落下。この時点で最終演技者の内村と中国の差は16点以上。期待が膨らむファンの声援とは裏腹に完璧な演技をしても届かない事を内村はそして日本チームの全員が知っていた。

誰よりも内村自身がノルマに上げた団体の金メダル!演技前に悲願がかなわなかった残酷な瞬間である。

内村の集中力は途切れていたことは明白だった。あのアテネで魅せた冨田と同じコバチに挑むも落下してしまったのだ。会場から悲鳴が上がる。内村にとってこの「悲鳴」がどれだけ辛かったことだろう。

辛うじて銀メダルは守ったものの内村は「こんな姿しか見せれなくて申し訳ない・・・」と唇を噛んだ。

これが世界なのだ。完全アウェー感のあったはずの中国は最後の最後で地力をみせてくれた。これが5連覇の貫録と強さなのだ。

この雪辱はロンドンオリンピックで晴らすしかない。体操ニッポンの完全復活は来年までお預けである。

土井健大

  • 2011/07/16(土) 09:00:00

オリックスの顔にと成長しつつあるT−岡田を人は『浪速のゴジラ』と呼ぶ。大阪の名門・履正社高校出身でオリックスへ進んだ経歴までは同じで『浪速のミニラ』と異名をとった一人のキャッチャーがいる事をご存じだろうか?

岡田に比べサイズは一回り小さいが岡田以上に速い球を叩くことや強い打球を飛ばすことでは岡田のポテンシャルをしのぐ逸材であったはずだ。

そう横浜に住む野球ファンに言われ高校時代のVTRを見返してみた。

当時大阪には高校NO,1左腕と呼ばれた辻内(現・巨人)がいた。

左バッターとはいえ辻内相手に完全に腰が引けスピードに対応できていない岡田に対して土井はしっかりと対応していた。インコースに入ってくるボールをしっかりと見切りライト方向にクリーンヒットしたセンスに非凡なものを感じた。

高卒キャッチャーの育成はチーム方針でどうにでも変わってしまう。長い目で見て育てるだけの時間とチーム力があればいいのだが無いチームは秀でたバッティングセンスだけを取り上げキャッチャー育成にはスグに見切りをつけファーストや外野にコンバートしてしまう傾向がある。

ちょっと小太りタイプの昔ながらの捕手と言った感じの土井もそんなチーム事情からか入団してスグにファースト点功を命じられてしまう。捕手としても中々の力量の持ち主だっただけに今思えば残念でならない。

配球に関しては時折セオリーから逸脱し痛打を浴びるシーンを見るがこれは結果論であり、その配球で抑えたら「斬新だ」とか「裏の裏をかく天才」と評されていたと思うのでここでは触れないようにしておこう。

スローイングスピードも実際に生で見た訳でなくあくまでVTR上の計測だが2秒前後で高校レベルではトップクラスだがプロの世界では普通ぐらいではないだろうか。肝心の肩の強さもプロの世界では並である。

そう思うとオリックス球団のキャッチャーへの見切りは間違っていなかったのかもしれない。

そうなれば後はバッティングで開花するしかなかったのだが・・・

独特のフォームから重心がグッと沈ませ踏み込んで来るので、多少上下に頭が動く悪癖がある。但しこのフォームが岡田をしのぐ土井独特の打球の強さを生みだしているのだから良い癖でもあるのは事実である。

むしろ修正しないといけないのは身体の開きが早いのと軸足の形が前に崩れて身体が前に突っ込み気味の所だ。

T-岡田よりも強い打球を飛ばせる要素が詰まったフォームであるがその反面、足を高くあげても全く軸がブレなかったT−岡田に比べると土井の動きには波がある。というか有りすぎる気がする。

そういう面が修正されないまま昨年、とうとうオリックスを戦力外になってしまった。これがプロの世界なんだ。

「捨てる神いれば拾う神あり」

土井のチームへの忠誠心、2軍戦とはいえ大きな声を上げベンチを鼓舞するハッスルさを買った人がいた。

巨人の2軍監督を務める川相の目にとまった。「2軍戦であんなに声を上げベンチを盛り上げる選手はいない」とそのハートに目をつけ育成枠での獲得を球団に直訴したらしい。川相監督の熱いラブコールに応える日がいつか来るだろう。

オリックスでは花が咲かなかったが巨人の育成枠からもう一度這い上がってきてもらいたい。

土井健大。いつか東京ドームで会おう。

メッシそしてバルセロナ CL決勝より

  • 2011/06/02(木) 01:16:44

イングランドサッカーの生き字引アレックス・サー・ファーガソンですら「完敗だ。それ以外に形容の方法がないほどの完敗だった。もっとやれると思っていたが、相手の力量が上だったということ。至ってシンプルなことだ」と完敗をいとも簡単に認めた夜だった。

マンチェスター・ユナイテッドvsバルセロナ。今季好調同志のチームのガチンコ対決。場所はイングランドサッカーの聖地ウェンブリースタジアム。条件といい対戦カードといい最高の決勝戦のはずだったが、蓋を開けてみればバルセロナの引き立て役に終わったマンチェスターUだった。

「63%」というボール支配率におけるバルサの優位性は戦前の予想どおりだったもののバルサの「12」に対してユナイテッドが「1」という枠内シュート数が示すとおりファーガソンの予想以上にバルサは強すぎた。

マンチェスターUのチーム戦略が機能したのは試合開始から10分が経過するころまでだった。得点の起点となりチームの攻撃に欠かせないはずのナニをベンチスタートさせパク・チソンをメッシにマークさせ前線のルーニーまでもが中盤のプレスに加わりメッシはもちろんの事、イニエスタにも全くスペースと自由を与えない。

しかし、その流れも長くは続かなかった。次第に生まれ始めた中盤のスペースとそのスペースを効果的に利用する意識と目的をしっかりと共有できているバルサの選手達。

ベテラン揃いでチーム戦略も熟知していたはずのマンチェスターディフェンス陣にほころびが出始めた。ほころびと言うよりはメッシ率いるバルサの攻撃陣がしっかりディフェンス網を読み切ったといっていいだろう。

27分、バルサがあっさり先制点を奪う。シャビのスルーパスに抜け出したペドロが右足を振り抜いた。シャビのスルーパスもイニエスタがおとりになった瞬間に中央をメッシが駆け上がる。慌てたマンチェスターUのディフェンス陣が2枚メッシについたところを後ろから駆け上がったペドロへラストパスが通ったのだ。攻撃陣がイメージを共有していたからこその1点だった。

「メッシは私が今まで見てきた中でのベストプレーヤーだ。もしかしたら、サッカー史上最高のプレーヤーかもしれない。彼は違いを作れる、唯一無二の存在だ。」監督のグアルディオラは誇らしげにメッシの肩を抱いた。

アルゼンチンが生んだ169cmの天才の活躍に誰もが舌を巻いた。


身も蓋もない話だが、今のバルサを破るには、リオネル・メッシを奪うほかに術はないのかもしれない。そんな事を言われるほどの輝きを魅せるメッシ。

今のバルセロナは強い。しかし、それはチームとしての戦術とメッシという別格の存在がバランス良くマッチして生まれる強さでもあると思う。バルサ勢を多数擁するスペイン代表が、バルサほどの破壊力を秘めていない点もそれを裏付けるのではないだろうか。

クラブ史上最強とも言われる今のバルサを破るヒントは、今夜マンチェスターUが開始10分だけ見せ機能した戦術しかない様に思う。最終ラインと中盤の選手がスペースを埋め積極的なプレッシャーをかけ続けボールを奪ったら素早く攻撃へと展開。堅守からのカウンターという“至ってシンプルなプラン”だ。

しかし、このプランを全メンバーの共通理解の下で徹底し続けることは案外に難しい。

経験豊富なマンチェスターUでさえバルサ相手に10分しか機能しなかった。

美しくそして強すぎるバルサを倒すチームは出てくるのだろうか?少なくともメッシが健在である今は無理であろう。そんなため息交じりの言葉が飛び交いそうなほど今夜のバルセロナは強すぎた。


中島裕之

  • 2011/05/29(日) 15:33:47

西武ライオンズの浮沈はこの人に懸っているといっても過言ではないだろう。あのイチロー、松坂大輔をもってしても「天才」と言わしめた逸材。
西武ライオンズの英雄清原和博がつけていた背番号「3」を引き継ぎさらに大きくした男。中島裕之。





兵庫県伊丹市出身の中島は名門報徳学園からの誘いを蹴って(正確には受験失敗)地元の無名校に進学した。高校通算43本の本塁打を放った無名校の天才が西武のスカウトに目にとまり入団して10年がたった。高校まで投手と外野手。プロに入って内野の要ショートにコンバートされたのだ。北京オリンピックやWBCも経験した今や日本球界きっての名プレイヤーに君臨している。



走塁では一塁到達タイムは5秒台が多く、良くて4.25秒と速くはないがベースランニングは上手く、三塁打時には12秒台前半を記録する。このスピードにはイチローも驚きメジャー関係者も注目している。守備面では肩が強くコントロールもよく送球だけはメジャークラスだが失策が多すぎるのが玉にきずである。それ以上のバッティングを見せているので目立ちはしないが実はリーグ失策王を何度も獲得してしまっている・・・。

そんな中島がバッティングではまた一段高い頂きに上った。

空振りにも高度な空振りがある。



5月28日のヤクルト戦で見せたヤクルトの技巧派左腕石川から放ったホームランに注目したい。

この日の第3打席。前打席で凡退した石川の勝負球カットボールとほぼ同じ軌道の内角高め直球をわざと空振りし、石川らしい配球で追い込み満を持して投げた勝負球の外角球をスタンドまで軽々と運んだ。天性の感覚と究極のバットコントロールから生まれた一発でありそこに読みと技が加わった究極のホームランと言っても過言ではないだろう。

一流のバッターがタイミングが合わずに見逃すことはあっても、スイングの途中でバットの軌道を変えることは容易ではない。それを平然とやってのける。右打者の中島が、5年連続で打率3割をクリアしている理由は、自在にバットを操る非凡な技術にあるのかもしれない。

「前の打席で同じような軌道だったので、(バットに)当てたら嫌だなと思ってわざと空振りしました」。

全打席で初球の内角高め135キロカットボールに手を出し、詰まって凡打となった。6回の初球も同じく内角高め、カット気味の136キロ直球。瞬時に球の軌道を察知し、前の打席と同じ凡打を回避するために空振りし、次のチャンスを得た。いうなればホームランを打つ布石となった空振りと言うことになる。

「内角直球と、外寄りの浮いたシンカー。その間の球なら全部打とうと思っていました。僕はベースから離れて立っているので、踏み込んで行きました」。内角への意識を持ちながら、外角球を引っ張る技術とバットコントロール。中島にしか打てないホームランに好投手石川もヤクルトバッテリー、ベンチも言葉を失った事だろう。

空振りにも高度な空振りがある。
中島裕之。来季こそメジャーリーガーであろう



ローリー・マキロイ  オーガスタの魔物に出会った男

  • 2011/04/29(金) 23:51:51

オーガスタの神が笑ったのは北アイルランドの若き至宝、21歳のローリー・マキロイではなかった。


3日目を終えローリー・マキロイが2位グループに4打差をつける12アンダー。最終日が始まる前まではこの北アイルランドの若き至宝の優勝が濃厚と誰もが思ったはずだ。「オーガスタはそう簡単ではない」と若きチャンピオンの誕生に待ったをかけたファンですらすくなくともマキロイを軸に優勝争いが繰り広げられると考えていただろう。


今年のマスターズもまた終盤に波乱が待っていた。


まずは復活を期すミスター・オーガスタ、タイガー・ウッズが前半から猛チャージをかけアウトで31という驚異的なハイスコアをマーク。最終日スタート時にあった首位マキロイとの7打差はいつの間にかなくなっていた。そればかりかマキロイがバックナインにさしかかった時1打差の10アンダーに4、5人がひしめく大混戦になっていた。

そしてマキロイ自身も「何が起きたのか解らなかった」という10番での大乱調。左に引っ掛けた第1打が木に当たりトラブルになるとこのホールでトリプルボギーを叩き一気に8アンダーまでスコアを下げてしまった。完全に冷静さを失ったマキロイ。案の定もう修正が利かなくなっていた。続く11番でボギー、12番ではダブルボギーを叩いて完全に自滅してしまった。


これがマスターズなのだ。これがオーガスタなのだ。


マキロイは失意の中で「確かに失望したけれど、63ホールまでは完璧だった。優勝するために何度もこういう経験が必要だと思うしかない」と涙を流した。

ローリー・マキロイ。

彼は天才である。近い将来きっと世界のゴルフ界を牽引していく男であることは間違いない。


そんな天才に与えた試練。それがオーガスタの洗礼である。

「オーガスタには魔物が住みついている。」
誰かが言った言葉である。

「本当に魔物がいたんだ。僕は幸せかもしれない。世界中のゴルファーの中で魔物に出会った数少ないプレイヤーになれたのだから」

オーガスタの魔物に出会ってしまった天才の今後が楽しみである。


羽生結弦

  • 2011/03/29(火) 23:30:53

男子フィギュア界にまた一人新星が現れた。高橋大輔、織田信成、小塚崇彦。日本男子三羽ガラスと呼ばれ誰もが世界一を目指せるポテンシャルを秘めている。そんな中で生まれた新星が今日の主役、羽生結弦である。
四大陸選手権で大会史上、男子シングルでは最年少で銀メダルを獲得したのだ。高橋、織田、小塚ら世界選手権出場組が調整段階とはいえ完璧な演技で獲得した銀メダルの価値は本物であろう。

「驚きました」

大会を振り返っての当人のコメント以上に観る者が驚かされ演技にわくわくした。

16歳の羽生結弦は昨シーズン、ジュニアグランプリ(GP)ファイナルで小塚崇彦以来2人目世界ジュニア選手権では高橋大輔、織田信成、小塚に続く4人目の優勝を遂げ今シーズンからシニア参戦を果たした。

デビュー戦となったNHK杯で4位と上々の滑り出しを見せた羽生はロシアでのGPこそ7位にとどまったものの全日本選手権で4位と健闘し四大陸選手権で表彰台に上ったのである。

今後、体の成長が柔軟性などにどんな影響を及ぼすか心配ではあるがそこはたぐいまれな身体能力で是非克服してもらいたい。

シニア参戦1年目で残した成績はもちろんの事だがシニアの舞台でも際立った個性を持つことを示したところに誰よりも将来性を感じさせる。
図抜けた柔軟性をいかし女子の技といってよいビールマンスピンを取り入れるなどしたプログラムはジャンプ全盛の男子フィギュア界で異彩を放つ。誰よりもバランスが取れそれでいて華のある演技力で国内のみならず海外でも観客の目をひいた。

柔軟性ばかりではない。

羽生結弦は四大陸選手権出場選手の中でただ一人4回転ジャンプを成功させた。男子では十分な筋力をつけて習得するケースが多いのにほっそりした体型にもかかわらず成功させたポテンシャルの高さは大きな驚きに値する。

反面、課題もはっきりした。


フリーの演技時間はジュニア時代と比べ30秒長いがスタミナ面で対応し切れていないように見受けられる。こうした課題はあっても、十分以上に存在感と可能性を示した活躍は近年、好成績を残してきた日本男子の次代の担い手が現れたことを告げるには十分すぎるパフォーマンスであった。

ジャンプだけをを武器に世界水準まで台頭する選手の多かった日本男子フィギュア陣の中では珍しいタイプの若武者は大きな存在感を感じさせると共に世界を制する日がきっと来る事を予感させるのにも十分だ。

羽生結弦

是非、覚えておいて頂きたい。

ガリー・ネヴィル

  • 2011/02/26(土) 17:04:28

イングランドが生んだ現代サッカーの常識、攻撃的サイドバックの先駆者でもあったガリー・ネヴィルが静かにピッチを後にした。

元イングランド代表でマンチェスター・ユナイテッドの元主将だったガリー・ネビルが突然現役引退を発表したのである。

今年35歳のネビルは「私は生涯マンUのファンだ。描いていたすべての夢をかなえた。選手として終えることはとても残念だが、みんなが経験すること。私にその日が来たということだ」と談話を残した。

マンチェスター・ユナイテッドのユースアカデミー出身で同期にデイヴィッド・ベッカムやライアン・ギグスやスコールズといったマンチェスターの黄金期を支えた一員で特に花形スターのベッカムを陰で支えた功労者であり、サッカー関係者は口を揃えてベッカムが輝けるのはネヴィルのお陰と評する。

ベッカム自身もユースから右サイドでコンビを組む相性は抜群で「ギャリーは俺の影のような存在」とその存在意義を認めている

疲れを知らずタイミングよく右サイドを一気に前線まで駆け上がる、現在では当たり前になった攻撃的右サイドバックのはしりといっていい。何かあると怒鳴ってチームに気合いを入れるタイプでチームの精神的支柱でもあった。

トップチームでデビューして以来、8度のリーグ優勝に貢献。05年から主将を務め、約20年間で602試合に出場した。レギュラーポジションを獲得して以降、常に安定したパフォーマンスを披露し彼の突出したリーダーシップと普段の生活態度クラブに忠誠を誓ってきた事等を考えるとネヴィルがキャプテンに任命されたのは自然な流れであったろう。 イングランド代表としても2度のワールドカップと3度の欧州選手権に出場するなど通算85試合に出場した。イングランド代表史上最も長い期間代表として活躍した右サイドバックである。


勝った試合でも負けた試合でもミックスゾーンと呼ばれる会見場では多くの選手が素通りするなかガリー・ネヴィルだけは確実に止まって話していた。そんな姿にピッチでは想像もつかない英国紳士の姿を重ねたのは僕だけじゃなかったはずだ。

それにしても安定感抜群で完成度の高い右サイドバックであった。常にインテリジェンスに溢れたハイレベルなディフェンスを披露下かと思えば抜群のタイミングでの攻め上がりから精度の高い右足のクロスを撃ち込むことができ、瞬発力・敏捷性やスピードとも水準程度あり上下動を繰り返す持久力は高いレベルを誇った。

ミスを犯しても引きずらない強靭な精神力を持ちひたすら勤勉にライン際を往復し続ける。

クロスやサイドチェンジなどのスキルは世界有数であり利き足の右足で精度の高いクロスを上げることができる。攻撃の幅を広げるロングレンジのサイドチェンジも精度が高くクロスの種類も豊富であり敵陣浅めの位置からの大きくカーブをかけたアーリークロスからディフェンスラインの裏側に送り込む低くて速いクロスまで持ち合わせていた。

そんなテクニックも豊富でキャプテンシーに長けたガリー・ネヴィルがピッチを去った。少し寂しい気もするが今は心から「お疲れ様」と言いたい。ガリー・ネヴィル。最高の右サイドバックがいた事を僕は忘れない

東九州龍谷の復活!女王のプライド復権

  • 2011/01/29(土) 16:16:03

バレーボールの全日本高校選手権(通称:春の高校バレー)が今年から1月開催になりこれで3年生が出場できるようになった。名実ともに高校バレーの頂点を決めるBIGイベントになったという訳である。

「女性バレー界最強」。これが東九州龍谷に課せられた宿命でありもはやキャッチコピーである。

過去にもこのコーナーで書いた事もあるがその強さは時にVリーグのトップチームを破ってしまうほどであり高校女子バレー界では無類の強さを誇っている。
「東九州龍谷高校」

“最強”という東龍の伝統を継承すべき走り出した今季は春高バレーで三連覇を達成した後はインターハイでは準決勝で鹿児島女子に、昨秋の国体は決勝で古川学園に敗退するなど無冠。

女王のプライドは、ズタズタになった。

1年時からレギュラーリベロとして数々のタイトルを手にしてきた将来の日本の守護神・筒井さやかが、当時の選手たちの心情を代弁した。
「先輩が築き上げてきた伝統を崩してしまった。みんなが自分を責めていたし、申し訳ない気持ちでいっぱいでした」と暗くうつむいた。

東九州龍谷バレー=スピードバレー
と言っても過言ではないほど、独自の高速コンビバレースタイルは高校女子バレー界に強く刻まれてきた。「打倒東龍」を掲げ続けた北の女王古川学園も、高さとパワーが圧倒的に勝っているにもかかわらず、その利点を捨ててでも「スピード」を封じるための策を打ち出した。課題として取り組み続け、古川学園がようやくその東龍の壁を破ったのが昨秋の国体だった。


一斉にひかれた「東龍」包囲網。
その網にまんまと引っ掛かった「東龍」。
苦しんだ末に臨んだ今大会。女王のプライドにかけてももう負けられない。


決勝戦、古川の高さとパワーに苦しむも、徐々に自分たちのペースをつかんだ
「スピード」というその最大の強みに、東龍の相原昇監督は変化を命じた。

「今まではただの高速バレー。さらに進化するために、立体化を加えました」スピードを封じこまれたらその次の作戦を練り込む監督もすごいがここ数カ月でその高度な戦術を具現化した選手たち。これが女王のプライドなのだ。


両サイドからのスピードを生かした攻撃にバックアタックを加える。これまでは全日本候補の村田を軸に鍋谷とのWエースとして攻撃陣を支えてきたが鍋谷が打ち、村田が守ると2人の役割を区分。他の選手に対してもアタッカー陣はスパイク決定率を高めるよう無理な勝負はせず、決めるべき時に必ず決めることが課題とされ司令塔セッターの比金には状況判断と正確なトスの提供が命じられた。

もともと身体能力やバレー技術に優れた選手たちとはいえ、その課題克服はたやすいことではない。

特に困難を擁したのが、セッターの比金だった。「求められるトスの高さも質も変わり訳が分からなくなってしまったこともありました」と優勝後のインタビューで胸の内を明かしてくれた。何度も自信を失いそうになる中、「つらい時は(自分に)上げてくれればいいから」と言うエース村田の言葉に励まされ、「三連覇を達成したセッターなんだ」と自らを奮い立たせ覚悟を決めて臨んだ最後の春高。勝つことに加えて自分たちの形を貫くことにこだわり、今できる最高の試合で勝利する事を義務つけられた東龍の司令塔は誰よりも涙を流した。

挫折と苦節を乗り越えた最強東龍が再び女王のプライドを取り戻した春高バレー。東龍の強さがよみがえったと同時に更に東龍包囲網が全国に張り巡らされた事はいうまでもない。


森本稀哲

  • 2010/12/02(木) 15:18:29

プロ野球の世界には特に野球に秀でた強者ばかりが集まっている。そんな野球センスにあふれた選手の中でも性格も違えば考え方の違う選手がいる。

森本稀哲。「ひちょり」と言った方がピンとくかもしれない

幼少のころ、髪の毛が抜けて生えなくなる病気にかかり、人知れぬ苦悩を味わった森本だが、今では底抜けの明るさでチームの雰囲気を盛り上げ強いてはプロ野球界きってのエンターティナーである。

44年ぶりに奇跡の日本一の栄冠に輝いた北海道日本ハムファイターズのトップバッターであり守備範囲の広さに地味ではあるが犠打も上手い。足も速く野球センスとしては最高レベルのものを持った選手の一人であるに違いない。

おちゃらけたイメージが先行している森本だが実はいたって真面目な好青年だ。インタビューでも一生懸命誠意を持って答えようとする。しかし、あいまいな質問や、自分の考えと異なる場合には即座に否定する。彼は努力をひけらかしたがらない。「みんなやっているから」とさらりと言ってのけるがその練習量は球界でもトップクラスと言っても過言ではないだろう


そんな森本に影響を与えた選手といえばやはり新庄剛であろう。森本にとって、心をさらけ出せたのは新庄だけだったのではないか。そんあ新庄の助言もあって日本ハムから横浜へFA移籍することが決まった。

「弱いチームをなんとかしたい」
言い換えれば試合に負け続けて下を向いてばかりいる選手をなんとかしたい!という事であろう。

ストイックに練習に取り組む森本の姿勢を見て弱小球団の若手選手たちが何を感じるかが大事であろう。練習を積み重ねたうえで明るくエンターティナーに徹する姿を見て何を感じるのだろうか?

森本稀哲(ひちょり)。

来季の活躍がそして横浜の変貌が今から楽しみである



澤穂希

  • 2010/11/14(日) 20:43:36

澤穂希。

この一人の女子サッカー選手を日本はもっと注目してもいいのではないだろうか?といつも思う。

サッカーは男子が圧倒的人気でワールドカップの予選ですら一喜一憂するのに女子サッカーとなるとなかなか盛り上がらない。
男子が惨敗した北京オリンピックでもベスト4に入りメダルにもう一歩のところまで行った事もあまり知られていないのは悲しい限りだ。

そんな『なでしこジャパン』の中盤で圧倒的な存在感を放つ背番号「10」。15歳の中学3年生から青いユニフォームに袖を通しているまさに日本女子サッカー界の伝説である。

今なおトップレベルのフィジカルとテクニックで日本代表の中心選手として活躍を続ける“なでしこ界のレジェンド”、澤穂希選手。日本人歴代トップのキャップ数を誇る大エースをもっと取り上げてもいいのではないだろうか?

15歳で代表に初招集されアジア女子選手権で初出場すると中学生ながらデビュー戦で4ゴール。以後、五輪(1996年アトランタ、2004アテネ、2008北京)、W杯(1995、1999、2003、2007)などに出場。国際Aマッチ156試合出場は、男子歴代1位の井原正巳氏の122試合を上回る日本人トップである。

海外挑戦したのも澤が最初だったし日本リーグ(Lリーグ)初のプロ契約選手も澤だった。
まさに日本女子サッカー界を一人でひっぱてきた開拓者でありまさに”伝説”である。

類まれな身体能力に加えスピード豊かなドリブルと決定機を確実にものにする世界に通用するFW選手だったがここ最近ではトップ下にウィングにボランチにとマルチにこなすユーティリティープレイヤーとして存在感を見せている。ボール奪取能力と展開力に戦術理解度も高い。足元のテクニックなどどれをとっても世界で通用する選手である。

「苦しい時は私の背中を見なさい」といまや最年長になった代表で若いチームメイトに難しい状況で試合に臨む時や苦しい時に声をかけ強烈なキャプテンシーでチームを鼓舞する。

「苦しい時間帯に、経験のある選手が声をかけて若い選手の気持ちを上げていくのはもちろんですけど、やっぱり口だけじゃなくて、自分がグラウンドで表現していかないとついてこないですよね。『絶対に勝ちたい』という気持ちを前面に出していくというか。勝ちたいという気持ち。絶対に負けたくない。」
このハートの強さも今の男子のフル代表には無い気がしてならない。

現在代表通算75ゴール。これは釜本邦茂持つ代表通算ゴール代録に並んでいる。まだまだ現役でいる以上この記録更新は時間の問題であろう。そして新たな勲章を手に入れる事になるのだろう。

澤穂希。

日本の女子サッカー界をけん引し続ける”伝説”をもっと注目してもらいたい。

ランディ・モス 電撃解雇そして再び

  • 2010/11/04(木) 12:43:13

NFLきってのスーパーWRランディ・モスがミネソタ・バイキングスに解雇されウェーバーにかけられテネシー・タイタンズ入団で合意したとニュースが飛び込んできた。

悲願のスーパーボール制覇に向けエースクォーターバック、ブレッド・ファーブとのゴールデンホットラインを形成し注目されたミネソタ・バイキングスだったがそのコンビは不完全燃焼のまま5試合で幕を閉じた。

今年で33歳になったモスは一時の峠を過ぎたとはいえまだまだトップに君臨できるWRである。度々素行の悪さでチームで問題を起こすもののその活躍は今でもリーグトップクラスである。

特に2007年。無敵艦隊と言われたニューイングランド・ペイトリオッツに移籍し、シーズン最多タッチダウンパス捕球記録を更新する23本のTDパスを捕球する新記録を達成し更なる高みに上り詰めたリーグきってのスーパープレイヤーである。



ランディ・モス自身のプロのキャリアをスタートさせたミネソタ・バイキングスに電撃移籍してきた今季はプロ生活の集大成をかけた年になると意気込んでいたはずだった。特にモスの加入でそれまでエースと言われながらも今一つ伸び悩んでいたパーシー・ハービンにも恩恵があると予想された。しかし開幕以来チームは機能せず、その矛先はチーム批判ともとれる発言を繰り返してきたランディ・モスに向けられ電撃解雇という運びとなった。開幕5試合ではモスが即戦力としていかにバイキングスに貢献したかの判断は難しい所ではあるがファンとしては故障を抱えながらのプレーで満足なパフォーマンスが出来ないが完治したファーブとのホットラインは見続けたいところだった。

一方ではテネシー・タイタンズが早速、モス獲得の意思を表明し入団に至った。モスの現役でのプレーがまだ見れる事をまずは素直に喜びたいと思う。




ランディ・モス。

「褐色の弾丸」と称されるパワーあふれるダイナミックなステップからとんでもないスピードに乗り一気に相手ディフェンスを振り切り、切り裂くプレーを是非見てもらいたいと思う。





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