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シンクロ日本の終焉

  • 2009/07/27(月) 01:40:08

ついにローマの空に日の丸が掲げられることはなかった。

演技を終えた選手たちの表情は以外にもさっぱりしている様にも見えた。失敗したわけでもなく調子が悪かった訳でもなかった。完全なる力不足を露呈した若き日本選手には悔しさを噛み締めるレベルでもなかったかのようだった。

チーム(8人)のフリーでなんとか予選を通過しただけで見せ場なく6位と惨敗した。同調性を欠き、動きにキレもなかった演技は到底世界のトップレベルには届くものではなかった。

1973年の第1回ベオグラード大会からシンクロ世界選手権のメダルを守り続けてきた日本シンクロ界。
しかし、09年ローマで、34年間守ってきたメダル獲得の歴史はついに途絶えた。シンクロではいったん世界大会での点数や順位の序列が決まってしまうと、次の世界大会まで順位を逆転するのは難しいという特性がある。そんな序列に甘えてきた日本とその序列からとうとうふるい落とされた日本。
今後この世界との大きな差を埋めるのは並大抵の時間ですまないような気がしてならない。

「世界と戦うには力をつけないといけない。決め所で甘い。世界で認められていないということ」と口々にレベルの違いを口にする選手達に『シンクロ日本』の面影は一切なかった。あきらかな世代交代の失敗に加え世界のレベルが上がった事とこれまでの「シンクロ日本」の奢りがあったのだろう。

2004年のアテネ五輪後には4人の選手が残りメダルの重要度を伝えることで次の世代の選手を精神面で引っ張った。その結果、世界選手権では05年カナダ・モントリオール大会で全4種目3個、07年メルボルン大会では全7種目中6個のメダルを獲得。昨年の北京五輪では、チームでメダルを逃したものの、デュエットでは銅メダルを死守できた。

しかし、北京五輪後に代表選手たちがそろって現役を引退。シンクロ日本の未来を託された平均年齢20歳、全員が五輪未経験者という今回のメンバーは、技術力不足はもちろん、世界大会の怖さ、メダルの重さが、まだ十分に理解できていなかったのではないだろうか?

今後、日本が再び世界に追いつくためには何をしていけばいいのかを考えてみたい。決定的に欠けている「表現力」の向上と長時間の水中での姿勢を維持するための筋力トレーニングと根本的なトレーニングを見直す必要があるようだ。
つい最近まで日本のコーチを招聘したりして「シンクロ日本」の技術を輸入してきた各国が今や日本は格下と完全に見下した立場になったようだ。

逆に世界のトレーニング方法や足りない部分を積極的に取り入れる柔軟性も必要ではないだろうか?

藤木麻祐子

  • 2009/07/23(木) 02:48:40

世界水泳が開幕した。2012年のロンドンを目指した戦いがいよいよ始まったのだ。シンクロが一足早く開幕し連日熱戦が伝えられている。


北京オリンピックでオリンピック史上初めてチームでメダルを獲得できなかった日本はメンバー8名を総入れ替えし平均年齢20歳そこそこのメンバーで再スタートを切った。経験不足からか小さなミスを連発し、しかも技の完成度や難易度も低く結果5位と惨敗してしまった。しかしまだまだ先は長いロンドンでは間に合わなくてもこの経験をその先のオリンピックに生かしてもらいたい。

今日はシンクロ後進国だったスペインの躍進を支えた一人の日本人コーチにスポットをあててみたい。

北京オリンピックで初めてスペインにメダルをもたらした功績者が藤木麻祐子テクニカルコーチだ。





彼女は「日本の技術の高さ」を海外で証明してみせた最初の日本人である。

藤木コーチは96年アトランタ五輪のチームで銅メダルを獲得した日本代表のメンバー。引退後も日本シンクロの協会員として日本代表をサポートしコーチ業を学んでいた。未来の監督候補とまで言われた卓越した技術指導に定評があった。
自身のコーチ業の修行の為、単身スペインに渡ったのは2003年だった。
当時を振り返り藤木は「16時から練習開始しますという前日の告知に対し当日16時にプールに来た者は一人もいなかった」そうだ。文化の違いなのか時間間隔の違いなのか藤木は全く理解できなったそうだ。16時に練習と言われ16時に家を出る者もいれば16時にロッカーに入る者、更には16時起床する者までいて藤木を困らせた。表現力や多彩な技に定評があったスペインに欠けていた物は「協調性」だったり「正確性」だったりとおよそ日本が一番得意とされるものだった。

当初、藤木はそれを常識の域だと思い、選手を怒鳴りつけたりしたそうだ。勿論そんな事をされたらスペインの選手は練習をボイコットするなどますますやる気を失くしチームとして機能しなくなった。

しかし根気強く説得し時には怒りをあらわにしチームとしての大切な「協調性」や「正確性」を説き続けた。やがて日本から“輸入”した技術力が確実に好成績に結び付くことに選手も目覚め自覚を持つようになってきた。

ある日、16時に練習開始と前日に告知した藤木はビックリする光景を目の当たりにするのだ。16時に全員が集合ししかもウォーミングアップも終わらせいつでもプールに入れるような準備をしてコーチの登場を待っていたのだ。その姿に藤木は涙が止まらなかったという。

ほんのコーチ業の修行のつもりで来たこのスペインで初めて自分が認められた事に気付きそこから藤木はスペインの専属コーチとして世界にその名を届かせるとうになった。

世界選手権では05年、07年とメダルの常連となり実力では日本を上回る存在に急成長し念願のオリンピックのメダルまで獲得した。

次のターゲットは打倒ロシア。つまり金メダル獲得だ。シンクロ王国ロシアの牙城を崩すのは大変だがなんだかそれも達成される日が近いという実感を僕は持っている。

シンクロ? 井村イズムと銅メダル  井村雅代

  • 2008/08/25(月) 00:53:46

「井村イズム」という言葉がシンクロの世界にはあるらしい。

井村雅代。




日本のシンクロの母と呼ばれオリンピックの正式種目に採用されてから全ての大会においてメダルを獲得してきた名コーチとしてその名を世界にとどろかせている。歯に着せぬ物の言い方で時には選手に鉄拳制裁する事もいとわない根っからの鬼コーチだった。その名コーチが幾らアイデアを出し選手を鍛え挑んでもどうしても埋まらなかった絶対王者ロシアとの差。その差に限界を感じていた時。

中国から思いもかけない誘いを受けることになった。
「中国は北京オリンピックでどうしてもメダルがほしい。その為に貴方の経験と知恵と情熱が欲しい」と関係者から熱烈なラブコールを受けた。





「裏切り者」「国を売った」と陰口を叩かれた事もあったが意に介せず自分の信念を貫いた。アテネで7位入賞がやっとのチームの再生を託されたシンクロの母は5分の遅刻に目くじらを立て緩慢な練習態度には怒鳴り声が響き渡り時には鉄拳制裁も。中国人コーチと衝突した事もあった。練習方法について意見が食い違っても相手が納得するまで持論を展開し妥協を一切許さなかった。

異国の地で教えた選手たちを試合後次々に抱きしめた。

デュエットでは負けたがチームではライバルの日本を引き離して銅メダルを獲得したのである。4年間で見事にメダル獲得させて見せたのである。珍しく何度も何度も目元をぬぐった。自分を信頼し、すべてを託してくれた人たちに応えたかった。「国なんて関係ない。コーチとして幸せです」。その胸元で、中国の選手たちがかけてくれたメダルが輝いた。歓喜の涙を流す選手たちを横目に「驚きではなく目標だった。だから私はまだ泣いていません」と気丈に笑ってみせた「感動しちゃった」とメダルを誇らしげに掲げる目には間違いなく涙がたまっていた。





自身が設立した「井村シンクロ倶楽部」の門下生を倒しての銅メダルに複雑な思いがないか?ととある記者が聞いていた。井村はゆっくり周りに聞かせるようにこう答えた

「五輪で負けたらそれをバネにしてはい上がり、強い人は自信にしてまた強くなる。それだけ」
これが井村イズムなのだろう。

シンクロ? 守った2人と失った8人

  • 2008/08/24(日) 01:56:16

シンクロといえば一昔は日本とロシアの独壇場だった。今回も「銅メダル」を獲得した。しかし今回のメダルは過去のメダルとはひと味もふた味も違う意味があるようだ。

デュエット決勝のフリールーティンが行われる朝、日本の原田・鈴木組の顔色はすこぶる悪かったと感じた最大のライバルは変わらずロシア組だが日本にはもっと大きなライバルと戦わなければいけなかった。元日本代表の井村雅代ヘッドコーチ(58)率いる4位の中国を僅差で抑え、7大会連続のメダルを死守した。日本人コーチを迎え急躍進したスペインには予選の段階から勝ち目はなかった。
さらに「日本のシンクロの母」と呼ばれ崇められてきた井村雅代率いる開催国中国。古くは小谷美佳子から奥野史子を経て前回のアテネまでオリンピックのメダル獲得全ては井村イズムといわれる井村コーチの教え子達だった。

そんな井村がアテネ後すぐにシンクロ後進国の中国のヘッドコーチに電撃移籍した。

潜在能力がありながら下位に甘んじるシンクロの建て直しに国の威信をかけて井村にコーチ就任を依頼した中国関係者を井村は快く快諾した。「裏切り者」「いくら金を貰ったんだ」と非難の声が相次いだが井村は記者会見で一蹴した。「私のコーチングが世界で認められたんだ。中国を指導して何が悪い?泳ぐのは選手だ。コーチを非難している時間があるのなら選手に激励の言葉をかけてあげてほしい」と。

井村イズムは中国の目覚しい躍進の原動力となり日本との差はみるみる内に縮まり昨年の12月ンおアジア大会では史上初めて日本が中国に負けた。井村は笑っていた「日本はどうしちゃったの?そんなんで世界に臨むの?なめてない?」と。当時の日本のヘッドコーチは辞任し一時は井村に任せて勇退していた金子をコーチに迎え再起を期す日本。

その命運を握って臨んだ北京のプールで日本の2人のマーメードは華麗に舞った。演技後2人のほおに熱い涙が流れた。原田と鈴木はかすむ目で中国を抑え3位にランクされた電光掲示板を何度も確かめた。「自分たちの代で負けるわけにはいかない。」という強い意思が芽生え始め練習に練習を重ねた高速スピンに流石の井村コーチも舌を巻いた。




演技後原田と鈴木は選手通路で井村コーチとすれ違い「おめでとう」と声を掛けられたそうだ。
原田、鈴木ともに基礎を鍛えたのは井村だった。そんな愛弟子の奮起に井村も思わず声をかけたそうだ。デュエットでは井村中国に今回は辛くも勝ったが団体ではいとも簡単に負けてしまった中国の背中、井村イズムを追いかけての戦いが始まっている




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