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月岩信成 人生をも変えた5番打者

  • 2013/01/16(水) 12:54:24

『平成の怪物』の名をほしいままにし数々の伝説を残してきた松井秀喜がユニフォームを静かに脱いだ。

松井秀喜伝説はあのギラギラした夏の日に生まれたと言っても過言ではない。

1992年の夏の甲子園。

知将馬渕監督率いる高地の名門、明徳義塾が松井率いて悲願の全国制覇を目論む石川の雄、星稜高校の一戦である。

馬渕監督が勝利至上主義の為にとった作戦・・・。松井秀喜の「5打席連続敬遠」は当時は高校野球の在り方をめぐって社会問題にまで発展した。松井秀喜を押しも押されぬ強打者として認められた一方で4番松井の直後の5番打者だったのが月岩信成選手だった事を今はだれも知らない・・・。

明徳義塾戦で徹底的に松井を避けられ勝負された月岩選手はスクイズで一点こそ決めたが4打数無安打。松井が一塁へ歩かされた後、馬渕明徳の思惑通り徹底的に研究し尽くされ、打てるボールは一球も来なかった。まんまと作戦にハマり打ち取られたのだ。試合中は松井から「普段通りやれ」と何度も声を掛けられた。負けが決まった試合後は泣きじゃくり、自分を責め続ける月岩さんを松井はそっと肩を抱きしめた。

「自分が打っていれば…」

18歳の少年が周りからのプレッシャーに追い込まれ『敬遠』作戦が社気現象になればなるほど精神的に極限まで追い詰められたのは想像に難くない。

野球を続けたくても何処に行ってもこの一件を蒸し返され挫折・・・大好きだった野球をやめ松井をはじめ当時のナインとも卒業後は距離を置いた。こともあろうに「戦友」だった松井を責めた事もあったそうだ。

ただ時間とともに心に落ち着きを取り戻すと松井の帰省時には当時のメンバーで温泉旅行に参加。「今は良い思い出あれは僕しか経験できないことだったんだから」と笑顔で振り返れるようなった。その笑顔に一番嬉しそうに答えたのが当の松井本人だったそうだ。

月岩さんは地元金沢市で「KUSI56(くしころ)」というお店をオープンさせ繁盛させているようだ。店名の「56」には松井のプロでの背番号「55」のあとを受けるという意味が込められつけられたらしい。

「松井と一緒にプレーできたことは最高の思い出だし松井のあとの5番を打ったのは今でも僕の誇りです」そういって酒を片手にお客様相手に笑う月岩さん。

伝説の怪物・松井秀喜の引退は月岩さんの新たな人生のスタートでもあるようでならない・・・。

高校野球に隠されたドラマ・・・

  • 2012/08/28(火) 11:29:39

平成の新怪物・藤浪晋太郎擁する大阪桐蔭が3期連続決勝に進出し東北勢悲願の初優勝を目指した青森光星学院を返り討ちにし春夏連覇で幕を下ろした高校野球。

圧倒的な力の違いを見せつけた大阪桐蔭と準決勝で対戦した四国の雄・高知の明徳義塾。

熱戦の陰で小さなそして熱い高校野球ならではのドラマが隠されていた事をご存知だろうか?

明徳義塾の伊与田一起選手は幼いころからのライバルから贈られたバットを持って甲子園の夢舞台に立っていた。小学生から競い合った仲。「最後の夏、甲子園の土を踏みしめたい」との思いを受け懸命にバットを振った。バットを贈った主は高知県の名門校・高知高校の内野手芝翼君。2人は小学生の時、軟式野球の高知大会決勝で対戦し投手として投げ合った。芝君はこれまで一度も伊与田選手のチームに勝ったことがない。「四国一の選手」と伊与田選手の事を称する。
一方の明徳義塾・伊与田選手は昨春と昨夏、今回と計3回、甲子園にレギュラーとして出場。昨夏は2回戦まで進み、2試合で4安打1打点の活躍を見せた。今春、高知はセンバツに出場。芝君も控え選手としてベンチ入りしたが、試合に出ることはかなわなかった。「もう一度、甲子園へ」との思いが一層募った。

明徳義塾と高知は高知大会決勝で顔を合わせた。

延長十二回、明徳義塾が2−1でサヨナラ勝ちした。

直後、芝君は伊与田選手に「バットいるか」と声をかけた。「甲子園にもう一度行きたかった思いをパワーに変えてくれ」との気持ちからだった。伊与田選手は受け止めた。普段使っているバットより1センチ長かったが、体になじむまで何度も素振りした。打撃フォームを変えてまでそのバット、その想いにこたえようと毎日毎日、手指のマメがつぶれるほどバットを振った。

今大会ずっとスタンドから「頑張れ」と芝君が声を張り上げるのを伊与田選手は知っていた。

新潟明訓戦では左中間に適時二塁打を放ち試合を決定づける追加点をたたき出した。「今までの3年間で一番の会心の当たりだった」と芝君のいるスタンドの方に高々と指をさしそして満面の笑みがこぼれた。

絶対王者・大阪桐蔭を相手にしたこの日も伊与田選手は3番・二塁手として先発出場したが、無安打に終わった。

試合後、「甲子園に来たいという思いはみな同じ。芝の分も頑張った・・・。優勝したかったが、負けて申し訳ない」と芝君の分まで悔しがった伊与田選手に芝君は涙で答えた。

プロ野球の下部組織と言われる近代高校野球だが、まだまだこんな青く熱いドラマがある事に少しほっとした半面、胸が熱くなった。


後藤駿太

  • 2010/10/14(木) 01:36:36

先日のこのコーナーで今年の秋のプロ野球ドラフトの隠し玉候補生を紹介したがもう一人是非、紹介したい選手がいる。

群馬の前橋商業の後藤駿太である。

俊足活かした高校生離れした守備範囲の広さにはプロのスカウトも度肝を抜かれたのではないだろうか?
全く無名の高校生が甲子園の大舞台で幾度となく見せるスーパープレイに観客もため息しか出ない感じだった。そんな選手に野球の神様は幾度となく難しい打球をお見舞いし続け後藤駿太はその抜群の野球センスで好捕を重ね観客を魅了した。

この神がかり的なビッグプレーは決して偶然の産物でない事を僕は誰より知っているつもりだ。甲子園への道のりで何度もダイジェスト放送で流れたプレーの質の高さに注目していたのだ。特に群馬県大会決勝戦の前橋工戦で見せた好捕は高校生かどうかすら疑った程だった。


打った瞬間。正確に言うとバットにボールが当たる前にバットスピード、投球され球種、コース・・・全てを一瞬で判断して一目散に打球の落下地点で走り始める。この間、打球の行方、勢い、は一切見ずにあくまで感性で落下地点へ目指して走りこんだ。これはプロの選手でもなかなか出来るセンスではないはずだ。

そして打球の勢いを確認しながらここぞというタイミングでダイビングキャッチを試み。味方のピンチを救った。ダイビングした最後のプレーが注目されがちだがそこはある程度偶然の産物もあるので結果論でなくあの打球であの守備地からあそこ追いついたフィジカル、スピード、センスを称えたい。

「一歩目の速さ」これが後藤駿太の真骨頂である。

これは「判断」という一瞬のきらめきが大きなウエイトを占めるので教えられてできるセンスではない事だけはわかってもらいたい。
本人も「外野は高校から始めたし、経験がひとつもなかった。見て学ぶというより、とにかくやらなきゃいけないという意識がありました」と練習の賜物と強調しているがここは天性のセンスありきで考えて頂きたい。

それだけ彼のプレーはクオリティが高いのである。
当然、プロのスカウトもほっておくはずがなく「守備だけならすぐにでも使える選手」と高校生に太鼓判を押しているスカウトもいる程である。


後藤駿太の売りはそのセンス溢れる守備範囲の広さだけでなく投手をすれば最速147キロを記録する強肩も大きな武器である。

だが、それとともに見落としてはいけないのがバランスのよさ。速く強い球が遠くまで投げられるせんしゅは沢山いる。そんな中でで後藤のすごさはよりバランスの崩れた体勢からでも同じ球が投げられるところにある。これこそ最大の長所といっていいのではないだろうか。
小学生の頃、後藤は毎日夜ごはんも食べずに壁当てに没頭していたそうである。その場所の地面が砂利。足場が不安定なのに加え、軟式球のため、どこに跳ねるかわからない。そのバウンドの変化に対応し、壁に書いた枠にストライクを投げ続ける。そんな事をくり返していくうちにバランス感覚は培われたものだろう。そのおかげか、後藤は一輪車にも乗れるし、左で50m程度ボールを投げることができる。プロでも通用するバランスのよさと体幹の強さが後藤には既にあるのだ。

高校球界、アマチュア球界ナンバーワンといってもいい守備を考えると、打撃はまだまだ力を発揮しきれていない。ここは並みの高校生レベルとは言わないがプロでは相当苦労するレベルであることは否めない。

しかし、そこは天性の野球センスに努力を重ねる事ができる精神的強さも持っている後藤だからこそ克服してくれる気がしている。

「当たり前のことを当たり前にやる選手が目標」
高校生とは思えない大人びた目標設定におどかせられつつもいつの日か「いぶし銀」と言われる偉大な選手になっている可能性を感じる後藤駿太という名を是非、覚えておいてもらいたい

山下斐紹

  • 2010/07/21(水) 22:18:13

甲子園出場を目指す高校球児の夏が全国各地で始まっている。

千葉県習志野高校のキャッチャー山下斐紹に注目している。

50メートル走5秒9の走力に加え遠投120メートルの強肩で二塁送球タイムは高校生レベルでは最高クラスの1・8秒を切るポテンシャルの持ち主である。
千葉県はもとより全国でもトップレベルのキャッチャーですでに高校NO,1の呼び声もある。「地元出身うんぬんではなく高校生でトップクラス。欲しい選手」と特に千葉ロッテのスカウト陣が高く評価しドラフト上位候補として
既にリストアップしている。
チームでも4番を務め高校通算本塁打33本の長打力を秘める打撃と走攻守3拍子そろっている万能型の逸材であることは間違いない。

大学No・1捕手との呼び声が高い青学大・小池の獲得を狙っている球団もたくさんあるようだがこの夏の活躍次第では山下斐紹の方が上位で指名される確率は一気に高くなる。

山下斐紹は中学1年時に投手から外野手に転向し高校入学後からキャッチャ―に転向したのだ。つまりキャッチャー経験は3年もないのだ。キャッチャー転向後即、名門・習志野のベンチ入りをするだけの才能を見せ始めたのだ。1年秋の公式戦からはレギュラーキャッチャーに定着し甲子園出場に大いに貢献した。
まだまだキャッチングやインサイドワークに課題は残すものの伸びしろはかなりあるはずだ。

この秋のドラフトは斉藤ら大学のピッチャーが注目されそうだが
山下斐紹の名が必ず上がるはずである。

是非、覚えておいてもらいたい。


観野甲輝

  • 2010/07/12(月) 03:04:47

中学時代から幾度も清原和博の再来とも言われてきた観野甲輝。




PL学園進学後も1年生から圧倒的な存在感を放ち4番にどっかり座り清原以来の公式戦で名門・PL学園の4番を張った男だ。
順調な成長を遂げるかと思われたが昨年は怪我などにも泣かされ春先以降はベンチから外れる時もあり今春のセンバツではPL学園は甲子園に出場したものの観野甲輝は屈辱のベンチ外に追いやられるなど長く低迷が続いていた。
しかし最終学年3年生に入り再びその輝きを取り戻しつつある。

春季大阪大会で背番号3をつけながらマウンドに上がった。骨太の体格とふてぶてしいまでのその雰囲気。高校時代の清原和博をも思い出せる圧倒的なオーラは際立っていた。
打者の内角を厳しく突き時には相手に当てても素知らぬ顔。それまで怪我などに泣かされリハビリを怠り復帰が遅れるなど精神的に少しひ弱なイメージを持っていたがそんなイメージを完全に払拭してくれる姿だった。

投手としての才能というか野球センスは随処に見せてくれた。フィールディングなどをみてもスピード感はないが球際は悪くないように思える。投手としてもコンスタントに135キロ級の球を投げ込める地肩の強さがあるのでプロに行って野手になっても守備で苦労しそうにないタイプであろう。

ただ走力に関しては正直期待できない。そのプレースタイルからも走塁への意識は高くなく足を売りにして行くタイプには思えない。この辺は高校時代に大騒ぎされ鳴り物入りで北海道日本ハムに入団した中田翔ににているかもしれない。

観野甲輝の持ち味であるバッティングはホームランを量産する大砲タイプのスラッガーと言うよりは広角に打ち返す中距離タイプの強打者ではないのだろうか。ここが清原和博とは大きく違うところである。

しかし高校に入ってからは清原和博の呪縛に取りつかれたようなバッティングに変わってしまった。特に内角の球を強引に引っ張ったり、逃さず叩く力強いスイングする姿など広角に打ち返す好打者的タイプからスラッガータイプへの変貌を求められ悩んでいるかのようにも見えた。
ここ数年のバッティングスタイルから打てる球や打てるポイントはかなり限られている気がするのは気になるところだが甘い球を逃さない「鋭さ」があるのは大きな魅力である。

プロに求められる身体の強さ・スイングの鋭さは高校生の右の大型内野手としてはピカ一でるのは間違いない。打撃へのこだわりは誰よりも強く持っているようだ。バッターボックスでの独特の雰囲気を持っているのは高校からプロに行くような選手が共通して持っている感じだ。

もちろん清原和博にもあったし中田翔にも感じた。まだまだ粗くプロで大成するには入団してから時間は少しかかる素材なのかなとは思うが高校生の一夏の成長は人格すら変えるはずだ。大いに期待したい。


観野甲輝。

文字通り「甲子園で輝く」最初で最後の夏の挑戦が始まった!!

佐野泰雄

  • 2010/06/18(金) 00:17:18

3年生の高校球児は最後の夏の甲子園を目指して日々練習を重ねているようだ。
ひたむきに甲子園を目指す純粋な18歳を見るプロ野球のスカウト陣の活動も球児とともに活発になってきたようだ。

プロ野球のスカウト陣は各チーム10名程で構成され日本各地の地区別に担当が振り分けられ高校生、大学生、社会人、独立リーグと血眼になって有望な選手を探し技術の完成度に成長可能度合は勿論のこと、フィジカルのチェックから人間性、家庭環境まで詳しく調べつつチームの補強ポイントに見合った選手を選び出すのだ。
ドラフト当日に指名されるのは5〜8名程度だがリストアップされスカウト陣がチェックするのは各チーム100〜150名程という。

名もない高校生の練習試合に赴いてはスピードガンやストップウォッチ片手にビデオを回す労力は相当なものだろう。

そなスカウト陣の目を釘付けにした左腕が現れた。

野球強豪県の埼玉の中の無名の県立高校・和光高校に通うタイ・バンコク生まれの父親が日本人で母親がタイ人のハーフ・佐野泰雄。

バンコクで生まれ幼少期に日本に来た佐野泰雄を小学生になり近所に住む友達が少年野球に誘ったのが野球を始めたきっかけだった。
小・中学校と野球を続けたものの内野手、外野手の控え選手で試合で大活躍する事はあまりなかったそうだ。和光高校に進学し野球部に入るものの弱小チームでポジションも持ち回りで務めるようなチームだったそうだ。
そこで佐野泰雄にもピッチャーの役が回ってくる。これが初めてのピッチングだった。つまりピッチャーデビューという訳だ。

しかし初めて投げたボールはバットにボールが当たらないどころかキャッチャーも取れない剛速球でチームメイトを驚かせた。

ピッチャー転向3年目。

176cm、77kgの体はまだまだ大きくなりそうな感じがするし技術的にも伸びしろはかなり多いはずだ。

一年生からチームのエースナンバーを背負い県大会デビュー戦で18奪三振の完封で周囲を驚かせ練習試合で20奪三振の完全試合を達成するなど佐野泰雄の名は県内に轟き渡ることになる。もちろんプロのスカウト陣の情報網にもその噂はひっかかりスカウトリストにアップするも在籍する和光高校は部員が20名弱でしかも3年生がたったの3人、監督も27歳の青年監督、野球では典型的な無名校だけに練習試合の相手も無名校である。
従ってその快投の価値は半信半疑だったようだ。

そんなスカウト陣が実際に目にした佐野泰雄の姿に度肝を抜かれたらしい。

威圧感あふれる大きなフォームからキレ味抜群のストレートを投げ込み落差のある大きなカーブがアクセントとなり相手打者のバットがくるくる回る。球種はストレートとかーブの2種類だけ。

その2種類の球だけで三振の山を築いていく。一気にドラフト上位指名予定にランクアップされた逸材になった。

今ではプロ野球12球団全部のスカウト陣が集まる注目の無名エース。

佐野泰雄。

この名前はこの秋、必ず話題に上る名前である。是非、覚えておいてもらいたい。



山崎福也

  • 2010/04/08(木) 07:10:43

沖縄の興南高校の優勝で幕を閉じた春の甲子園。大会前から評判の左腕、島袋投手の熱投に打線が奮起、日大三高のミスも重なり延長12回でケリをつけ初優勝に輝いた。島袋投手を今大会NO,1と推していた僕としても嬉しい結果だった。延長12回198球を投げ抜いた精神的タフさに加え最後まで140km台のストレートを投げ込める体力にも驚かされ優勝投手にふさわしい活躍だった。もし大会MVP(最優秀選手賞)なる賞があれば間違いなくこの島袋のものだろう。夏には更に成長した姿を見せてもらいたい。

敗れた日大三高から優秀選手賞を捧げる事ができるのなら満場一致で山崎福也投手だろう。決勝戦での粘り強いピッチングもさることながら大会を通じて放ったヒットの数が13本と大会記録に並ぶ活躍を見せた。2年生だった昨年の夏もファーストで甲子園の土を踏んでいたとはいえ落ち着いたバッターボックスでの振る舞いは今後、ピッチャーよりバッターとしての大成を期待させる素質の持ち主だった。

山崎福也。





高校入学時の健康診断で小児脳腫瘍が発覚し即、手術を勧められるが手術後は野球どころか後遺症の可能性も残る確率はかなり高く、命も危ぶまれた難度の高い手術だった。全国の名医と呼ばれる医者の元を訪ねては「手術後に野球がしたい」と直訴し続けた。北海道大学病院まで訪ね先生の「大丈夫」という言葉を信じここでの手術を決意したそうだ。
ちなみに全国数十か所の病院を訪ね「大丈夫」と断言されたのは北海道大学病院だったそうだ。6時間におよんだ大手術で腫瘍はすべて取り除かれた。懸念された後遺症もなく手術は成功だったが野球が全力で出来るかどうかはこの時点では全く分からなかったそうだ。ここから医者も驚いた程の驚異的な回復をみせ、この年の夏には他の部員と同じ練習メニューをこなせるようにまでなった。

山崎福也が陰で行ったであろう努力は並大抵のものではなかった筈だ。父親は元プロ野球選手で兄も埼玉の聖望学園で甲子園で準優勝するなど野球一家のDNAは福也にもたぐいまれな素質を与えていたとはいえ練習量は誰にも負けなかったらしい。
中学生時代から熱心に誘ってくれた日大三高の小倉監督に病気の報告をし入学を辞退しようとした山崎福也に監督は「待っているぞ」「一緒に甲子園に行こう」と励ました。そんな監督の為にも、心配をかけた家族の為にもそしてあの子の為にも山崎福也の行った練習は死に物狂いだった。





彼は素直にそして静かに語った「野球ができる幸せを感じてます」。彼は泣いていた。決して負けた事だけで泣いている訳ではない、野球がまた出来た事だけに酔っている訳ではない事を僕は知っている。手術後、定期検査に訪れる病院で同じ小児脳腫瘍で苦しむ中学生と知り合った。地元、日大三高のファンで高校球児を夢見る中学生に甲子園出場の報告に病室を訪ねたある日、病室は面会謝絶でその少年は数日後、静かに息を引き取った。

「野球ができる幸せを感じてます」その涙は山崎福也だけのものではない気がしてならない。

島袋洋奨 (沖縄・興南高)

  • 2010/03/29(月) 05:18:57

一年生から沖縄の名門・興南高校のエースとして活躍する九州一のサウスポーが甲子園のマウンドにリベンジをしにやってきた。東海大相模の一二三や神戸国際大付属の岡本、帝京の伊藤らが注目される中、僕はこの左腕を是非推したい。一年生の県予選準決勝でその年の春に選抜全国制覇を成し遂げた沖縄尚学のエースで現在大学で大ブレイク中の東浜を相手に熱闘を演じ一躍有名になりプロ注目のピッチャーとなった左腕エースが島袋洋奨 (しまぶくろ・ようすけ)である。





右、左は違えど野茂を彷彿とさせるトルネード投法で抜群のキレ味を誇るツーシーム、カーブ、スライダーなど精度の高い変化球を巧みに投げ分け、ストレートもMAX145kmを計時し申し分ない。
走者を釘付けにする頭脳的な牽制球や高校生ばなれしたフィールディング技術などセンスの高さを見せつける天才肌のサウスポー。






昨年の春に出場したセンバツでは一回戦の富山商業戦で延長10回19奪三振を奪った快投でその名は一気に全国に知れ渡った。この時は惜しくも敗れたものの可能性を感じさすには十分な活躍で僕は岩手の花巻東の菊池が卒業した後は間違いなく高校NO1左腕だと思った。さらにその年の夏に出場した時は優勝候補の呼び声が高かった大分の明豊相手に8回迄に3点のリードを奪うもまさかの逆転負けを喫するなど不運に付きまとわれているがその潜在能力は抜群だった。

あれからひと冬を越し体重も5kgも増え下半身の強化が進みますます大きくなった感がある島袋がいよいよ全国制覇を夢見て帰ってきた。史上空前の大混戦、どこが勝ってもおかしくない正に戦国大会の優勝を虎視眈々と狙う左腕。「ひと回り大きくなった自分の姿を甲子園で見せたい」と島袋も意気込んで臨んだ初戦は14奪三振、1失点完投と十分なスタートを切った。ここまで甲子園の魔物を2度も見た島袋が成長した姿が今から楽しみになってきた。

次戦はいよいよ今大会屈指の強力打線を擁し名将高嶋監督率いる智弁和歌山だ。

スポーツはドラマよりも奇なり 高校野球決勝戦より

  • 2009/08/28(金) 03:01:39

夏の甲子園決勝戦。こういうシーソーゲームをドラマの演出家は思いつくのだろうか?「スポーツはドラマよりも奇なり」という言葉を聞いた事があった事を思い出させてくれた。

ゲスト解説に訪れていた清原氏でさえ「甲子園には魔物がすんでいる」「僕も2、3度出逢っている」と証言してくれていた程、時に悪戯をする神が甲子園のどこかに眠っているようだ。
地力に勝る中京大中京の73年ぶり全国制覇が間近に迫った9回のマウンドにはこのまま優勝すればそのの立役者であったエースで4番、堂林が登り最後を締めようとしていた。グランドに居た選手も観客もテレビで観戦した多数のファンも中京大中京の優勝を疑わなかっただろう。

「すいませんでした……」結果、全国制覇を果たしたエースが謝罪するインタビューを初めて聞いた。

不本意ながらも劇的な決勝戦を演出してしまったエース堂林と三塁手河合からこぼれた涙は嬉し涙だけでなく改めて野球のスポーツの怖さを思い知らされ恐怖から開放された安堵の涙だったろう。

よく試合後に「あれが無ければ・・・」とか「あの時こうしていたら・・・」とかいわいる「たら」「れば」をよく耳にする。10−4と6点差のセーフティーリードで9回の攻防。しかもマウンドにはエースの堂林が登板。誰もが結果の予想をし、気の早い中京大中京のファンは乾杯をし気の早い新聞記者は中京の優勝記事を書き始めていたのかもしれない。
2死から、四球と2本の長短打で2点を返され6−10。4点差に詰め寄られなおも2死三塁と攻め立てられていたとはいえまだまだ余裕の表情を見せる中京ベンチと選手達。
そして次のバッターがフラフラと打ち上げた三塁ファールフライ。誰もが試合終了を確信したそのとき「神」が宿った。あまりに油断した中京に対しお灸を据えるかのように風が舞いフライを落としたのだ。
俄然、勢いがました日本文理ベンチを尻目に慌てだす中京ベンチ。どっちがリードしているのかがわからなくなってきた。これが「神」の力と軽々しくは言いたくないがまさに「神」が宿った瞬間だったように思う。9回2死からの連続攻撃にたじろくエースはその後も四球に連打を浴びマウンドを降りてしまう。リリーフした2年生もその流れを止めれず連打を浴びあっという間に1点差にまでなり尚も1、3塁にランナーを残し一打同点、長打で大逆転の場面になる。球場のボルテージが最高潮に達し異様なほどの盛り上がりをみせた。

そして次の打者が放った打球は快音を残しエラーを犯した3塁手の元へ痛烈なライナーが飛んだ。誰もが長打、逆転がよぎった瞬間、無情にもボールはグラブにおさまった。獲ったというより入ったという感が否めないほどの打球だった。「神様がもう一度、チャンスをくれたんだなって思いました」と語った三塁手河合君の搾り出したような涙声が印象的な結末だった。

明らかな油断があった中京大中京に対し最期まで諦めなかった日本文理の執念。改めてスポーツの怖さ、野球の怖さを思い知った面白い試合だったように思う。

今宮健太   チームプレーを覚えた天才

  • 2009/08/27(木) 02:26:33

大分・明豊高校。僕は今大会実は影の優勝候補とみていたチームだ。ピッチャーもやりながら打者としても非凡なものをみせ、プロでも通用するのではないかと思っている選手がこのチームの中心だ。今宮健太。
実は以前このブログで彼のこと、明豊高校を酷評した事があった。

http://mrsoff.dtiblog.com/blog-entry-102.html

いくら実力があってもいくら才能があっても全力でプレーしない選手はいかがなものか?エラーがおこるかもしれない内野ゴロで一塁まで走らないとは何事か?と苦言を呈したことがあった。
しかしあれ以来、今年のセンバツでも今大会でも今宮健太は常に全力で一塁まで駆け抜けた。最後の打席、平凡なセカンドフライだというのに今宮健太は一塁を回って全力で走り続けた。まだまだ諦めない姿勢をチームメイトに見せ付けるかのように・・・
試合後「甲子園は風があるので何があるかわからない。」 正直、驚きのコメントだと思ったのはのは僕だけではなかったのではないだろうか。

たぐいまれな能力や才能を持つのに出し惜しみをするタイプで負け試合には全力でプレーしないとチームメイトからも批判の的だった今宮が一年の時を経て新たな姿に生まれ変わっていたのだ。

なにより凄いと思ったのは「前は簡単にあきらめてましたね。エラーするわけないなと思ってましたし負け試合に全力を出すなんて考えられないと思ってました」と過去の非を意図も簡単に認め反省のコメントをしていたことだ。

しかもこの試合負けはしたものの大事な場面でなんと送りバントも決めている。
勿論、サインではなく自分の判断でだ。高校入学以来、初となる送りバントを甲子園の大事な場面で行ったのだ。 

もともと身体能力、技術はプロのスカウトも惚れ込む超高校級。それに磨かれた心やチームプレー、全力で取り組む姿勢が加われば鬼に金棒ではないだろうか?

菊池などピッチャーが大注目された今大会で間違いなく最も見応えのある野手だったように思う。
見栄えを捨て、余計なプライドを捨てた今宮が打席に入るだけでわくわくさせる選手になったといっても過言ではない。きっとプロにいくであろう逸材でプロでも活躍できそうな素質だと思っている。

「今宮健太」みなさんもこの名前を覚えておいて貰いたい。

因縁の再戦  木内マジックと鬼軍曹の対決

  • 2009/08/20(木) 00:22:34

高校野球の醍醐味のひとつに監督の采配というのがある。経験も技術もまだまだ未熟で発展途上の選手達を指導し教育するのは並大抵の仕事ではないと思う。

甲子園で夏の大会が真っ盛りだが今年のオープニングゲームで興味深い名将対決があった。「木内マジック」と称され数々の伝説を作ってきた常総学院の木内監督に対するのは東北高校時代、鬼軍曹と恐れられダルビッシュを擁し鍛えられたチームで東北初の全国制覇をもくろんだ若生監督。
若生監督は福岡の九州国際大付に籍を変えそれでも優秀な選手が若生監督を慕って全国から集まり影の優勝候補と呼ばれる好チームを作ってきた。

九州国際大付の若生監督東北高校監督当時、木内監督率いる常総学院が全国制覇した03年にダルビッシュを擁しながら決勝戦で敗れ苦杯をなめた過去を持つ。
ダルビッシュ攻略の糸口を選手に伝え徹底的に弱点を攻め立てた木内マジックの前に理性を失ったダルビッシュの若き姿は今でも覚えている。当時は東北絶対有利の下馬評だったし試合前夜も「明日までにダルビッシュの攻略方法を見つけてやらんとな・・・」と自信無げにコメントしていた木内監督に対し「正々堂々やったら間違いなく勝てる」と自信満々の若生監督。
試合前に木内監督は「勝とうと思うと力が入るので、負けて元々でやれればと思う。ダルビッシュはきっとプロでもいいピッチャーになる。そんなピッチャーだって高校生じゃ。弱点もある。ゆっくり焦らずそこを狙え。出来なければ完封負けするだけじゃ。」と笑って選手を送り出したという。
対して若生監督は「今日の日の為に死に物狂いで練習してきたんだ」とハッパをかけたそうだ。

結果はご存知だろうが東北勢悲願の優勝はならなかった。この日を境に若生監督は押し付ける練習を一切やめ選手個人が考える環境作りに努めるようになったそうだ。

そして因縁の再戦。

高校は違えどお互いが意識しないはずはない。関係者も開幕試合ということもあり興味深く見ていたのではないだろうか?結果は若生監督率いる九州国際大付が完勝し見事リベンジを果たした格好になったが緻密な作戦といい相手をかく乱する走塁といい見所の多い試合だったように思う。

「今回は完全にやられたわい」とはにかんだ木内監督だったが本当に悔しそうだった。それでも若生監督に対し「いいチームを作ってきた。いい監督さんだわ」と敬意をはらった。若生監督もまた「またひとつ教えてもらった。」と賛辞を送った。

監督という仕事の難しさを知り尽くした名将の対決にもうひとつ別の甲子園のドラマを見た気がした。

鬼屋敷正人 日本最高の身体能力の無名キャッチャー

  • 2009/07/22(水) 01:22:01

高校野球の地区予選が全国各地で行われている。今年はこの秋のドラフトで注目の高校生投手が多いのでプロのスカウト陣も連日日本各地に視察に訪れているようだ。勿論下調べはちゃんとした上で偵察にいくのだろうがそんな中には全然注目していなかった”掘り出しもん”と呼ばれる逸材に出会う事があるそうだ。
三重大会に出場している近大高専のキャッチャー鬼屋敷正人(きやしきまさと)選手が今日の主役だ。

中学生までは柔道部に所属ししかも実力は全国レベルだったそうだ。高校から憧れの甲子園を目指し野球を始めた変わり者でその風貌や経歴から漫画ドカベンの「山田太郎」の再来と地元では騒がれていた。

しかしこの鬼屋敷君は漫画ドカベンの山田太郎よりも凄いのではないか?とプロのスカウトが急に騒ぎ始めたのだ。高専は5年生なので現3年生の鬼屋敷君に元々この秋に指名される権利はなかった。3年間の現役を終え引退しあと2年は勉学に勤しむ野球に関していえば浪人生活を余儀なくされプロ側も指名には消極的だったようだが状況が一変した。

今春にスポーツメーカーが実施した有名・無名高校を問わずしかもスポーツのジャンルも問わずに現役高校生アスリートの体力テストを実施したのだ。スクワットやベンチプレスなど約10項目の基礎体力テストで並み居る強豪高の有名トップアスリートをさし置いて全国総合1位に輝いたのがこの鬼屋敷君だった。

しかもその数値はどれも驚異的で身体能力の高さは半端じゃないと関係者を驚かせた。

こと野球に関しても高校生離れした遠投115メートルの強肩。全国一の身体能力の持ち主がなかでも一番自信があると言い放った「強肩」。プロのスカウト陣も「強肩」を超えて“鬼肩”と驚くほどだ。

キャッチャーの送球、盗塁を刺す送球に一番大事なのは捕球をしてから二塁送球までの時間の短さといわれている。プロのスカウトの基準は2秒を切る事が最低条件とされプロでも強肩捕手の基準値は1秒90といわれている。しかしこの鬼屋敷君は平均1秒70でこの日の最速が1秒64という驚異的な数字もマーク。盗塁阻止率も9割を超えるというレーザービームはまさに“プロ以上メジャーのレギュラー仕様”だ。
 
急遽集まったスカウト陣も絶賛の嵐だ。

「地肩もリストも強い。まだまだ伸びる素材」と高評価だ。5年制の高専3年生は現行規定では指名対象外だがプロ側は規定変更に動きだしている。それだけ各球団にとって鬼屋敷は魅力的な存在になったようだ。

伊藤拓郎(帝京) スーパー1年生

  • 2009/07/13(月) 16:12:37

いよいよ夏の甲子園を目指す戦いが全国各地で始まりました。今地方大会で注目していた選手の一人であった大阪・PL学園の勧野君は残念ながら腰の故障が癒えずベンチ外という形になり出場できませんがまだまだこれからの選手なので楽しみに待ちたいと思います。そんな中新たなスター候補の予感がぷんぷんする逸材が東京の名門・帝京に出現した。

16歳、高校一年生にして185cm85kgという恵まれた体格を持ち全身を使って投げ下ろすタイプの本格派投手です。
1年生でMAX145kmを計時した逸材です。
選手層の厚い名門帝京において1年生ながらエースナンバー「1」を背負うのではないかとまで言われている。

実はこの投手を僕は彼が中学生の時から知っていた。
シニアリーグの国際大会で堂々と投げこの世代では圧倒的なスピードとコントロールでばったばったと気持いいくらいに三振を取り続けた快投を衛星放送で目にし一瞬でとりこになったしまったのだ。
中学生当時から140kmを軽く越える球を投げ込み高速スライダーで三振を取るピッチングを見た時は本当に”化け物”の様にすら思った。

中学生レベルでこんな球を投げるピッチャーは見たことなかったからその驚きは今でも覚えている。
東京の名門・帝京に進学し前田監督の元、下半身の強化と夏の連戦を戦い抜けるだけのスタミナ強化に努めさらにひと回り大きくなったようだし球速も着実に伸びている。

5月に行われた春季関東大会では各校のスコアラーの度肝を抜かしたほどの鮮烈なデビューを飾り一気にその名を轟かせた。間違いなく今年一番のスーパー1年生である伊藤拓郎という投手の名を覚えておいてほしい。

松坂、ダルビッシュを凌ぐとも劣らないスーパー高校生エースになる日はそう遠くない気がしてならない。

佐々木達也  駒大岩見沢高校監督

  • 2009/04/20(月) 01:03:16

北海道の高校で一番、甲子園優勝が近いと言われ続けた名門校、駒大岩見沢高校。

姉妹校の駒大苫小牧が田中マー君を擁して全国制覇しかも春夏連覇するなど
一歩先を行ってしまった感はあるが”ヒグマ打線”と呼ばれた強力打線を武器に全国にその名を轟かせていた。

道内高校球界の名門、駒大岩見沢の監督が変わった。

25歳の若手コーチだった卒業生の佐々木達也氏が監督に就任した。
佐々木新監督は、元監督で全国に響きわたる“ヒグマ打線”を作り上げた名将・佐々木啓司総監督の息子さんだ。
「ヒグマ打線があって初めて駒岩。駒岩の野球がつまらなくなったといわれないようなチームを作っていきたい」と意気ごみを語った。文字通り親から子へ“ヒグマ打線”が受け継がれる形だ。親である総監督は公式戦では部長となる為、ベンチでは親子が揃うことになる。

『高校野球の監督になりたい』と子供の頃からの夢を実現させた息子はその帝王学を受け継いだ。
高校でキャプテンを務めた後、駒大に進み学生野球界最高の公式戦500勝を誇る名将、太田誠監督から直接指導を受けた。選手としての才能は開花しなかったが卓越した野球理論と性格の良さから早くからコーチや監督をと目されていた。

駒大1年の冬に太田監督から「コーチ業を学んだらどうか」と助言され受諾し学生コーチに就任した。希望が決意に変わった瞬間だった。

大事にしている言葉は太田監督が常々口にしていたという「姿即心(すがたすなわちこころ)、心即姿(こころすなわちすがた)」
理想の監督像は親である佐々木啓司氏。

伝説的な2人の名将の血が流れているであろう佐々木達也新監督。

理論的で明解な野球哲学と若き情熱指導で新しい“ヒグマの心”を伝授し新たな甲子園ロードをスタートさせる事になる。

父と同じ指導者の道に進むことを決めた若き監督にこれからの高校野球界は大きな期待をしているのは事実だ。



菊池雄星  みちのくの快速左腕

  • 2009/04/06(月) 00:00:26

「みちのくの快速左腕」と呼ばれ彗星のように全国で名をあげた岩手・花巻東の菊池雄星。




大会前の下馬評はかなり高かったが実際、甲子園では思ったような力が出せない高校生も多い中、この左腕はとてつもいポテンシャルを感じさせたくれた。

MAX150kmのストレートと高速スライダーにフォークと緩いカーブのコンビネーションで見事な奪三振ショーをみせてくれた。しかも今どき珍しい気持ちで投げるタイプ。熱のこもったピッチングを見せてくれる。見ているものを魅了するその投球スタイルはプロ向きとみた。




「変化球の軌道をイメージして投げようとか、曲げようとか考えすぎて曲がらなかったんです。腕を大きく振って真下に叩きつける投げようと思ったらびっくりするほど曲がり出しました」
自身の変化球の切れや投げ方、習得方法について取材を受けた記事から抜粋したが、そうなんです、これなんですよね高校生に求めている野球への取り組みは。

今の時代、160kmのストレートでも打ち返してしまう程のパワーと技術を秘めた高校生のバッター達にどうしても変化球を投げないとピッチャーとして成り立たない。
そんな変化球も大きく腕を振ってストレートのように思いっきり投げ込めば変化もするしバッターも簡単には手がでない球になるのだ。
しかしこれがなかなかできない。プロのピッチャーでも必ずその壁にあたる。

変化球の曲がりや小さなコントロールよりも大きく腕を振って投げおろす豪快なフォームと気持ちこそが見ている観客の心をゆさぶるものだ。

菊池の言う「野球を楽しむ、ピッチングを楽しむ」という事につながるのだ。
躍動するような投球フォームに派手なガッツポーズ、はねて飛ぶような勢いを感じさせるマウンドさばきに観客は目をみはった。

勝では長崎・清峰のエース今村に敗れたものの甲子園で35イニング以上投げて3失点とは本当に立派な数字を残したのではないだろうか?岩手県勢いや東北地方、悲願の優勝はまたもやあと一歩のところで手にできなかったが躍動感あふれる菊池は自分のピッチングに誇りを持って堂々と胸をはってもいいと思う。

菊池を躍動させる原動力は楽しむこと。
「野球が大好き。楽しんでやれば結果はついてくる」が口癖というみちのくの左腕はその心情通りのピッチングを見せてくれた。
「僕が抑えて最後に1点取って勝っていればいい」と真っ向勝負する野球の醍醐味や楽しみを思い出させてくれた菊池君にありがとうと言いたい気持ちでいっぱいである。そして夏、また会おう。

大本修 金属バット生みの親

  • 2008/10/20(月) 02:56:19

高校野球を急激に変化させた影の功労者であろう『金属バットの生みの親・大本修さんが亡くなられた。』という極々小さな新聞記事を見つけた

アオダモとよばれる木製バットの原料の不足を懸念し耐久性に富んだ金属製のバットの開発に努め、高校野球の発展に寄与した功績は大きいだろう。高野連の名誉顧問までされていたと記憶している。

木製に比べて耐久性、経済性が高いことを理由に国内で導入されて高校野球はコツコツ野球から一気にパワー野球へと変貌した。それはいつしか野球そのものの本質を考えさせる事にもなるのだが鍛え上げられた肉体とたくましい上腕で豪快に打つ徳島の池田高校の「やまびこ打線」や怪物・清原を作り上げたのも金属バットの性能による所が大きかった。

バットメーカーは飛ばす性能の向上に力を注ぎ反発力の高さが商品の売れ行きをも決めた。金属を薄くし、約810グラムの軽量バットまで登場する一方で当てやすさを追求する太い製品も増えた。その結果金属の利点であるはずの耐久性が失われ破損が目立ち始め時に金属バットが速球に負けて折れる事態も発生した。また高速スイングが可能になった近代高校生の肉体はその打球の速さから時打った球に直撃して死亡する事故まで起きた。

木製に比べて耐久性、経済性が高いこととなにより自然保護の観点から生まれた金属バットはいつしかより遠くへより強い打球を飛ばす為の道具になっていた。野球やソフトボールをオリンピックの種目に復活させるにはその競技が世界に広まり誰でもできる環境作りがいる。そういう意味からも金属バットの普及は必要なアイテムになるのだろう。

晩年の大本さんはどんな思いで金属バットの普及を見守っていたのだろうか?
芝浦工大学長を引退後の余生を樹木・アオダモの保護育成に取り組んだという逸話に胸が熱くなる思いがした。

ご冥福心からお祈りします

勧野甲輝 小野田俊介   選ばれし2人の未来

  • 2008/08/05(火) 12:32:18

いよいよ開幕した夏の甲子園。予選で敗れたプロ注目の選手達やいろんな思いを胸に散っていった球友達。選ばれし者だけが戦える舞台。それが甲子園。

東西に注目の一年生がいたが今夏は両方とも甲子園で見る事が出来なくなってしまった。
一年生ながら東西の名門校のエースで4番をはるその怪物の名はPL学園の勧野甲輝と早稲田実業の小野田俊介だ。
この2人の名は是非覚えておいてほしい。

甲子園で光り輝くようにと付けられた甲輝は「一人KK」と呼ばれ投げては桑田並みで打っては清原クラスと大会前から注目の一年生だった。ハイレベルな選手が集まる強豪・PLにあっても勧野甲輝は頭ひとつ抜けた存在であった。1年生ではベンチに入ることさえ困難ななか勧野はあの清原以来となる1年生で4番に座ると2本塁打をマークするなどチーム最多の14打点をあげる活躍をみせた。
しかし先発した決勝戦で近大付に敗れ今年の夏を静かに終えた。
「憧れの清原先輩に並んだことはうれしいが技術的にも精神的にも鍛え直さなくてはいけない面が多い。負けたことをいい経験にして、次の大会を目指したい」としっかり前を向いている。

同じく早実の小野田も決勝で日大鶴が丘にまさかの13失点で敗れ怪物の最初の夏が静かに終わってしまった。小野田も同様に「ここまでやれたのも先輩のおかげです。次は絶対に勝ちたい」としっかり前を見据えて来春に向け再スタートを切った。
しかし、PLが敗れた相手の近大付は一回戦で強豪、千葉経法大にあっさり負け早実が大敗した相手日大鶴が丘は鹿児島実業に13点も取られ大敗した。

甲子園とはそんなレベルなのだ。しかし2人にはまだまだ先が長い。2年もある。
甲子園をおおいに沸かせた桑田・清原や駒大苫小牧の田中と早実の斎藤の様な良きライバルが東西の名門で再スタートを切っている。今年の夏の主役にはなれなかったが近い将来きっと甲子園の主役になるであろう2人の今後に期待している。なぜなら2人はきっと選ばれし者だから。

三度、石田。常総の夏

  • 2008/07/25(金) 14:04:44

関連過去ブログ? 石田文樹   怪物退治をした男

関連過去ブログ? 石田、蘇る

全国高校野球茨城予選決勝で名将・木内幸男監督(77)率いる常総学院がサヨナラ勝ちで3年連続12度目の甲子園出場を決めた。

『天国の教え子にささげる甲子園切符』

教え子であり愛弟子であった石田文樹を失ってからも尚、甲子園出場への熱い思いを消さなかった名将は木内マジックと呼ばれる見事な采配でその思いを遂げた。

「優勝というこの日を迎えるために悪いけど葬式には行けない」と誰よりも多くの涙を流した名将はその夜静かに手を合わせた。そして昨日、「優勝を報告できるのは幸せなことだね」とまた涙をにじませた。

試合は序盤から苦しい展開に。
しかしこういう時にこそ木内マジックが炸裂する。練習のたまものと本人は謙遜するが一塁走者が挟殺される間に三塁走者が本塁を陥れて先制する戦術は高校生になかなかできる戦術ではないしっかし反復させ教え込み使い込んで初めて成功する高度なテクニックだ。しかしリードもつかの間エースでキャプテンの島田。
常総学院の島田。記憶にあるだろうか?
この名前に?そうあの島田の息子だ。
後に日本ハム・福岡で活躍した帝京の芝草宇宙と激闘を演じアイドル投手として高校球史にその名を刻んだ島田直也(元横浜)の息子が父と同じ常総学院の門を叩き甲子園を目指していたのだ。

その島田がつかまり逆転をゆるすと試合は大詰め9回を迎えた。誰もが負けを覚悟した2アウトから常総の意地をみた同点劇。勢いそのままに10回に勝ち越し甲子園への切符を大逆転でつかみとった。

大会中で葬儀にも参列できなかった。

「生きてるもんが頑張らないといかんからね」エースと監督の合言葉だった。

エースでキャプテンの島田も父が同時期に横浜に在籍した関係で遊び相手をしてもらったことがあったという石田への思いを秘めマウンドに立ち続けた。
2人は甲子園終了後に石田の元へ駆けつけることにしている。石田のそして常総学院の木内監督のそして父のたくさんの思い出が詰まった聖地で一暴れした後に最高の報告をするつもりだ。

石田、蘇る

  • 2008/07/17(木) 11:29:25

悲しいはずだ。みんなの前でも泣きたいだろう。いや人前にさえ出たくないだろう。そんな大きなショックをもろともせず一人の17歳はマウンドに立った。取手二高で高校球界を沸かした石田文樹が亡くなった翌日、その息子は父の跡を追う戦いである予選のマウンドに立った。

背番号20を背負うその控え投手はエースのローテーションの為、チームの為志願の登板をする。若かりし頃の父が上ったマウンドに魂を込めた。ポーカーフェイスを装い歯をくいしばって投げ込む姿に僕は父の姿を重ね涙した。
決してプロ注目のピッチャーではない無名の公立校の控え投手だしストレートも130kmそこそこスライダー、カーブ、フォークを交えて交わす軟投派タイプだ。

「私情は持ち込みたくなかった。自分がエースだと思っているので投げる事に迷いはなかったです。オヤジなら“行け”と言うと思う」と試合後振り返ったインタビューがまた泣かせる。

幼い頃のキャッチボールから始まり野球のすべてを叩き込んでくれた。スライダーは父がプロ野球選手時代に後輩の盛田から握りや投げ方を教わり息子に伝えた。カーブはライバル桑田からそしてフォークはあの大魔神佐々木直伝の投げ方だ。ストレートにこだわりプロで大成しなかった父の息子への最高の贈り物がプロの中でも超一級の投手から学んだ変化球だった。

気丈にふるまう高校生に厳しい質問がとんだ
「最後にお父さんにどのような言葉をかけたんですか?」
息子は絞り出すような声でこう答えた「ありがとう、父さん」と。
渡された“ウイニングボール”を握り締め父を思って泣きくずれた高校球児はその時初めて父を亡くした息子に戻ったようだった。

関連ブログ 石田文樹 怪物退治をした男

石田文樹   怪物退治をした男

  • 2008/07/16(水) 12:00:19

1984年の夏の甲子園の主役は間違いなく「KKコンビ」桑田・清原だった。
その怪物退治を演じた男が茨城県立取手二高のエース石田文樹投手だった。常総学院を率い何度も甲子園を沸かした名将・木内監督が当時はベンチにいた。その木内監督と共にそのエースは輝いた。




決勝戦で清原和博、桑田真澄という超高校級選手らを擁した絶対王者PL学園に対し試合前夜に木内監督は練りに練った作戦を選手に伝えたという。その第一声は「すまん。俺の力ではこれが精一杯だった。この作戦はエースの頑張りに尽きる。エースと心中する」その言葉に石田は今までに味わった事のない程の熱い思いがしたらしい。厳しさを前面に選手を鼓舞する木内監督に初めて認められ信頼された言葉だったからだ。県予選で不甲斐ない投球に「エース失格」と叱責された男は自分がエースなんだと確信させられそしてこの監督を胴上げしようと強く思ったらしい。
延長10回150球に及ぶ熱投で王者PL学園をねじ伏せた。

「あの甲子園でのピッチングが忘れられない」とストレート一本で清原から三振に打ち取った感触が消えずこだわった為にプロでは大成しなかったのが
なんとも皮肉なその後の彼の人生になったがそれもまた一人のピッチャーとして幸せな事だったかもしれない。

プロ生活5年。横浜引退後は打撃投手を務め縁の下の力持ちに徹したが今春体調を崩しそのまま人生のユニフォームも脱いだ。

享年41歳。早すぎる死を誰もが惜しむ。
木内監督も言葉を詰まらせ桑田、清原も涙した。

僕は高校野球観戦史上過去5人のピッチャーにあこがれた。名古屋電気(現愛工大名電)の工藤、伊野商業(高知)の渡辺、福岡一高の前田幸長、中京・野中に取手二高の石田の5人だ。魔球のカーブや気迫あふれる投球スタイル、冷静沈着なタイプにストレート一本にこだわるエースとそれぞれタイプも違うし時代も違う。しかし少年時代の僕の心を動かし毎日甲子園に見に行った思い出があるしその感激は今も忘れていない。その一人が早すぎる死を迎えた事に涙が止まらない。

熱く燃えたぎるような甲子園で躍動していたあのピッチャーがこの世を去ったという事実が今なお信じられないし受け入れがたい。
しかしながらこれはまぎれもない事実である。真摯に受け止め心からご冥福をお祈りしたい。

お疲れ様でした。そしてありがとう。



桑田真樹  「桑田」再び

  • 2008/07/14(月) 13:11:11

高校野球の歴史の1ページを刻んだ名前「桑田」。その名前が帰ってきた。桑田Jrである桑田真樹外野手。東京の名門桜美林高校にこの春入学し即レギュラーをつかんだ逸材がいよいよベールを脱いだ。
親子2代での甲子園出場へ向け桑田Jrが確かな一歩を踏み出した。西東京大会2回に出場し5回に代打として打席に立った時、場内なら大きなどよめきが起こったらしい。。

「代打・桑田君」そのコールにスタンドで見つめすっかり父親の顔になった桑田真澄が照れた様子がなんとも微笑ましかった。当の本人である桑田Jrは「1打席しか立っていないので何とも…。でも緊張せずいつも通りやれた」と父譲りの冷静さで振り返った。大会直前に右ひじを痛めこの日は同級生にスタメンを譲ったものの15歳でベンチ入りしたのは父と同じ。

甲子園通算20勝は歴代最多勝利数。プロでも幾多の怪我にも負けず克服し通算173勝を誇る偉大な父は試合後報道陣に囲まれ取材を受けた。冷静なJrとは対照的に興奮を抑えきれなかった。「ドキドキして、あまり見ていたくない。自分がやった方がよっぽどいいね」。さらに「打席に立てただけでも良かったと思う。力を合わせて頑張るのが高校野球。いろんなことを学んでもらいたい」とエールも送った。

中3時には関東選抜に選出されたJrは早くから大器の呼び声が高く多数の高校から誘いを受けたらしい。その中にはあのPL学園からも誘われ関係者は入学を熱望したそうだ。しかし本人は自宅から通える桜美林進学を決めた。PL学園との決勝を制しての全国制覇をした因縁の学校に入学するあたりは父譲りの負けん気の強さか?入学直後から練習でサク越えを連発ししっかりレギュラーの座をつかんだ。

将来の目標はプロ野球とはっきり断言する。「打撃は間違いなく僕以上。ケガさえなければプロに行ける」と父も太鼓判を押す。試合後、桑田は「父の名前で取材に来られるのは不満。自分の実力で来てもらえるようにしたい」と意地をのぞかせたあたりはさすがと思った。また、将来楽しみな選手に出会ってしまった気がしている。

中崎雄太   プロ注目の控え投手

  • 2008/07/13(日) 13:54:32

全国ナンバーワンの控え投手が宮崎の名門日南学園にいる。
中崎雄太投手だ。




エースナンバーを背負うプロ注目のMAX147キロ左腕有馬翔投手(3年)がストレートだけで勝負するピッチャーなら中崎はストレートよりも切れ味鋭い2種類のスライダーで勝負する。140km代後半を計時する左腕を2人ももつ日南学園はやはり全国でも優勝を狙える好チームだろうから注目もされるがやはりプロのスカウトも黙ってないだろう。

プロの評価ではやはりエースの有馬翔の方が高いようだが、なかなかどうして跳ねるような投球フォームで切れ味抜群の2種類のスライダー。昨夏の甲子園で2年生ながら脚光を浴びた左腕がたくましさを増した姿でスカウトにアピールした。

「一番自信がある」というスライダーはストレート以上にプロレベルと感じさせる。大きく切れ込んでくる横の軌道と鋭く落ちてくる縦の軌道。高校生レベルを超えた2タイプを自在に操る控え投手に僕はぞっこんだ。

「腕の振りがいい。制球力があるから大崩れしない。投げる姿に躍動感があるし、今後が楽しみな投手」と阪神の編成部長も赤丸急上昇とお墨付きだ。

プロ大注目の背番号「1」MAX147キロ左腕エース有馬翔の影に隠れている感はあるが一皮むけたら中崎の方がプロで大成する可能性を秘めていると思っている。今後が楽しみ存在だし更なる成長を期待している

中崎雄太という名前を是非覚えておいてほしい

甲斐拓哉  東海大三高 プロ注目のピッチャー

  • 2008/07/10(木) 13:31:25

今年も多くのドラフト候補と呼ばれる高校生達を目にする季節がやってきた。今年一押しの投手がそのベールを脱いだ。この男の搭載しているエンジンは明らかに違うと思わせた長野の東海大三高・甲斐拓哉投手だ。






無理をしなくてもコンスタントに140キロ台マークしMAX147km。ただ球速が速いだけではないビシッとミットに突き刺さる球の勢いや球威も兼ね備えたボリューム感もある球質はまさにこの男のエンジンの違いを象徴する。小・中から全国中に名をとどろかせていた投手は肩や肘に不安が残るがプロでも十分に通用する素質にほれぼれする。

近年の高校生で140kmを投げるピッチャーは決して少なくないが先発でコンスタントに140キロ台をけして力を入れないでも投げ込んでこられるポテンシャルの高い投手は中々出会うことは出来ない。
つまり勝負どころで力を入れればいつでも140キロ台中盤〜後半の球速は叩き出せる投手なのだから凄い。変化球は、カーブとスライダー。その殆どはスライダーとのコンビネーションで投球が組み立てられている。スライダーのキレはプロでは通用しないかもしれないがストレートとともにその精度を磨けば面白い球になりそうだ。

牽制球もうまくフィールディングもうまいしバッティングにも非凡なものを感じる。しかし小・中・高とスター扱いで成長してきたつまり「おやまの大将」的な性格がどちらに転ぶかが今後の課題ではないだろうか?負けん気が強く基本は真っ向勝負という心行きはまさにプロ向きの性格だろうしフィジカルも問題なくポテンシャルも高い性格もプロ向きとまさに言うことなし。だがプロ世界にはこういう人たちだけが集まる世界であることを今から心のどこかに置いておいてほしいと思う。

甲斐の負けん気の強そうな顔立ちは、この夏の主役はオレだと言わんばかりで
試合後「スライダーはまだ投げる必要がない。きついな、と思わない限り投げたくない」と強気なコメントを残す悪童ぶり。「プロ1本で行く」と今から進路を宣言した剛腕に」期待は高まる。

信州が生んだ剛腕、あだ名が「ダルビッシュ2世」甲子園とプロが君を待っている。

高校野球に何を思う

  • 2008/03/25(火) 14:14:10

大分の明豊高校には期待していた。
激戦の九州を勝ち上がり強力打線を売り物に優勝候補の常葉菊川に勝てるのではないかと思っていた。9回の攻撃、1点を返し2点差とし尚、一死一・三塁のビッグチャンス。バッターはエースでしかも地区大会5割以上の高打率を残した「明豊」の至宝・今宮君。最高のドラマが用意された場面だった。

打った打球はピッチャーゴロ。
万事休すと思った瞬間、ダブルプレーを焦ったショートが一塁へ悪送球。「首の皮一枚つながった」かと思ったが打ったバッターが諦めたように全然走っておらず”ゆうゆう”アウトになりゲームセット。

確かにピッチャーゴロを打った瞬間に「負けた」と思ったのは本人以外チーム関係者や観戦していたファンも思ったかもしれない。
しかし、当の本人があきらめては絶対いけないのではないだろうか?プロでもミスをする訳だしましてや勝ちを義務つけられた高校生が「勝った」と思って投げる送球が正確無比なはずもなく現に悪送球になっている訳で、しっかり走っていたら一点が入ってなおも同点のチャンスがつながっていった場面だった。

近年高校野球もプロ野球の下部組織と化し越境入学や推薦入学・特待生が当り前になっている。
「無駄な全力疾走は怪我の元」と教える監督が多いと聞くが本当にそうだろうか?そもそも「無駄な」とは誰のそして何の為の基準なのだろうか?気持ちの入っている全力疾走のなにがダメなのだろうか?

ウェイトトレーニング場に室内練習場、加圧式マッサージと施設も練習内容も近代化され一昔前とは様変わりした感のある高校野球界。もちろんスポーツなので「勝つ」を大前提に取り組む事には異義はないがやっぱり寂しい感じがしてしまうのは僕だけだろうか?「あきらめない」とか「常に全力で」という気持ちの面がないがしろにされてる気がしてならないのだが・・・

’おらが町’のスターが’おらが町’の高校に入学し甲子園に行き町全体で応援しそれに答えるかの様に全力でプレイし感動を生むという昔からの構造がなくなりつつあるのがやっぱりさみしい。

明豊の試合を見た前日に21世紀枠で出場の安房(千葉)や明豊のあとに登場した岡山の興譲館の選手のきびきびとした動きや凡打でも全力疾走する姿、審判に一礼してバッターボックスに入る礼儀正しさやイニング間に全力疾走などと比べるとやはり明豊ナインや指導者には高校野球の良さをもう一度考えなおしてもらいたいと思ってしまう。

「HEIAN」  名門平安高校野球部

  • 2008/02/16(土) 00:35:25

創部100年目の記念すべき年に36回目(史上最多だったと思うが)の甲子園出場を決めた京都の古豪といえばご存知「平安高校」である。古くは広島の鉄人・衣笠に阪神の桧山の母校で、オリックスの川口など好投手も多く輩出した名門中の名門である。
紺色で『HEIAN』というシンプルなデザインの伝統のユニフォームは甲子園ファンにはすっかりお馴染みのユニフォームである。

来年からそのユニフォームが変わるというニュースを見た。
学校名も龍谷大学付属平安高校に変わるらしい。

ちょっと寂しい気もするが時代の移り変わりと言われれば仕方がないのだろうか?京都だけでも京都商業が京都学園に、京都西が京都外大西に福知山商業が福知山成美に名前を変えているし全国を見ても中京しかり松山商しかり古豪と呼ばれる所はほとんど名前が変わってしまっている。

なにわともあれ今年で見納めの『HEIAN』の文字。
泥だらけになり真っ黒になり文字が見えなくなるほどがむしゃらにボールに飛びついてもらいたい。それが伝統の鉄壁の守備と言われた平安スタイルなのだから。

力的には全国で優勝するのは難しいのかもしれないが幾多の奇跡を全部知り尽くした伝統のユニフォームを着ている今年、そのユニフォーム、その校名最後のセンバツに何かをやってくれそうな気がしてならない。





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