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ジャンプ帝国・オーストリア  バンクーバーの空から?

  • 2010/02/23(火) 06:12:27

日本のメダル獲得も期待されたジャンプの団体戦。

各国4人が2回ずつ飛びその合計ポイント(距離点+飛形点)で競う団体戦、チーム合計8回の総合戦だけに一人の失敗が命取りになる試合だ。日本は葛西が意地の140mの大ジャンプを最後にみせたものの5位と敗れた。日本の実力からすればこの成績は決して悪くない。しかしその試合で異次元の強さを見せたチームがある。ジャンプ帝国「オーストリア」だ。ワールドカップ上位10人の中になんと5人が名を連ねるジャンプ帝国ではワールドカップで10位に入っても国の代表になれないというほどの強国で卓球における中国のような勢力だ。オリンピックで勝つより自国の代表になるほうが難しいとさえ言われている

過去にもゴルドベルガーやビドフェルチェルといった名選手を輩出したオーストリアの強さの秘密は幼少期から繰りこまれる育成プログラムと国家スポーツ予算の大半をつぎ込んでいると言われ最新科学技術のすべてをつぎ込み十分すぎるほどの施設を兼ね備えたトレーニング学校の存在と言っていいだろう。飛行姿勢や踏切のタイミングなどを科学の力で解明し才能にあふれた限られた選手にだけ徹底的に指導する育成システムは世界中の関係者が羨むほどだ。

そのオーストリアのエースは若干20歳の若き天才グレゴア・シュリーレンツァウアーだ。
昨シーズン、ワールドカップで6連勝を含むシーズン通算13勝の記録を打ち立てた若き天才は大会前はオリンピックの3冠(ノーマルヒル・ラージヒル・団体)を期待された。ちなみにこの記録はフィンランドの鳥人ことマッチ・ニッカネンが1988年のカルガリーオリンピックで記録して以来出ていない記録だ。しかし昨シーズン終盤に右ひざ靭帯(じんたい)を断裂するという大怪我をし手術を受けるというアクシデントに襲われた。迎えた今シーズンはワールドカップですでに7勝を挙げるなど怪我の影響を感じさせないがそれでもジャンプの精度に昨シーズンほどの正確性と勢いを感じなくなくなっていた。

案の定、個人戦はノーマルヒル・ラージヒルとも無難にまとめたがいづれも銅メダルに甘んじてしまった。しかし最後の団体戦では帝国の力、エースの力をいかんなく発揮し圧勝という形で金メダルを獲得した。今大会、一番余裕のある金メダルだった言ってもいいだろう。

ウォルフガング・ロイツル、アンドレアス・コフラー、トーマス・モルゲンシュテルンという世界が羨むスーパージャンパーを従えてアンカーを任されたグレゴア・シュリーレンツァウアーは2本とも大ジャンプを揃え圧勝劇の中心にいた。母国の育成システムの成熟度を誇示するかのように国旗を大きく振って笑った若き天才ジャンパー達に死角は一切感じない。天変地異が起こらない限りオーストリアの牙城を崩すのは難しいと感じさせたこの日の4人のジャンプだった。


トーマス・モルゲンシュテルンについての過去のコラム

越和宏 バンクーバーの空から?

  • 2010/02/21(日) 06:22:28

日本にスケルトンを持ち込んだ男、中年の星・越和宏が45歳で迎えた自身3度目のオリンピックで20位と惨敗し引退を表明した。





日本選手団の最年長は日本の冬季オリンピック史上でも最年長記録である。陸上選手として活躍した高校生が大学に入ってボブスレー部に勧誘され興味本位ではじめたそりの世界。オリンピック選手を目指したが1992年アルベールビルオリンピックの選考に漏れ当時オリンピック種目でなかったスケルトンに転向した。当時の競技人口はなんと越和宏ただ一人だった。
勿論、当時から越を指導できるコーチは日本には一人もいなかったし競技用のそりも日本に一台もなかった。経済的にも困難を極めた。海外遠征しようとも協会から費用がでるわけもなくスポンサーも一切つかなかった。
自身の貯金を切り崩し募金活動をしたこともあった。

国内に指導者がいないため海外選手のビデオを入手しては見つくした。ビデオで研究しビデオに移る選手がお手本だった。海外遠征で他国の選手やコーチに教えてもらいながらほぼ独学でスケルトンに取り組んできた。
始めた当初は海外選手やコーチから年齢の事やコーチ不在、費用不足の中での挑戦に「クレイジー」と笑われ続けた。それでも試行錯誤を続け、アルバイトを続けながら競技に専念した結果、世界中が驚いた成績を残すことになる。1999年のワールドカップで日本人初のそり系競技で表彰台にあがる3位になれば翌年にはなんと優勝してしまったのだ。
この年35歳。世界中は越の卓越したそりコントロール技術に驚き独特のライン取りでコースを駆け抜ける通称「越ライン」に驚きを隠さなかった。

もし恵まれた環境で10年早くから越がスケルトンを始めていたならばワールドカップ総合チャンピオンは勿論、世界チャンピオンになっていただろうとヨーロッパの強豪国の選手達から尊敬される選手になっていた。

2002年ソルトレークシティオリンピックでオリンピック種目に復活したスケルトンの日本代表に選ばれめだるの期待もされたが8位に甘んじた。
それでも日本人で初めてそり系種目で入賞したのだから凄い成績だったといってもいいだろう。リベンジを期した2006年トリノオリンピックでは11位と流石に年齢的な衰えは否めなかったが諦めずに競技を続けながら後輩の指導、環境づくりにも精を出しスポンサー集めにも奔走した。
スポンサーをかき集め日本で初めてスケルトンのクラブチームも作り今大会は初めてクラブチームメイトで後輩選手とオリンピックにやってきた。

たった一人ではじめたスケルトン人口も今では約100人のところまできた。公言してきた「金メダル」には遠く及ばなかったが「自分の経験を次の世代に受け継いでいくのがこれからの使命」とコメントいた越は自身の悲願を後輩に託し笑顔でそりを降りた。



前代未聞の大失態  バンクーバーの空から?

  • 2010/02/20(土) 00:47:46

前代未聞の大失態と言っていいだろう。

4年に一度の大きな大会でいったい「何をやっているのか?」と言いたくなる。本当に世界中に向けて謝ってもらいたい。同じ日本人として本当に恥ずかしい思いだ。スノーボード選手の服装の乱れや問題発言なんかよりも罪が重いとも思っている。
18日に行われ女子スケルトン(そりに前向きに乗り滑走)競技に出場した小室希が用具に関する規定違反が判明し失格処分を受けた。4年に一度の大舞台であるオリンピックに挑むにはお粗末過ぎる管理体制が招いた大失態だ。

出場者は全員、使用するそりに、国際ボブスレー連盟の規格検査をクリアしたことを示す認定ステッカーを貼る事を義務つけられている。そのことは小室をはじめ関係者の全員が知っているはずの極々当たり前の事項である。日本を出発する前に小室がオリンピック違反に該当するスポンサーのシールを剥がした際に誤ってはがしてしまったらしい。はがした小室自身の過失は大きいが日本を発つ前にはがしたという事は現地に入って何度も公式練習に参加しそりの刃の調整を繰り返すなど監督、コーチをはじめ技術スタッフもみんなそりを見ていたはずである。そりの刃の検査は毎シーズンごとに実施され五輪や世界選手権などの大きな大会では、公式練習期間中に連盟に認定を申請することが認められている。つまりステッカーの無い事に気がつけば大会期間中に申請すれば問題なく認定されシールをもらえていたはずだ。誰かが確認し誰かが気づけば問題は起きなかったはずだ。さらに言うと15日に行われた女子のリュージュ(そりに後向きに乗り滑走)で同じ日本代表の安田文選手がそりの重量規定違反で失格処分を受け出場を停止される大失態を犯した所であっただけの緊張感のなさと責任意識の低さにはほとほとあきれるばかりだ。

なんていう大失態だと怒りが収まらないのは僕だけだろうか?


昨今の不況と税収の落ち込みなどで民主党政権下で行われた「事業仕分け」で「強化補助費削減の対象」に名指しで挙がり協会は反発の会見を開くなどし色んな意味で危機意識があって普通なのに最も存在感を示す場であるはずのオリンピックの舞台でこんな失態でスタートすら出来ないのであれば強化補助費削減の対象に挙げられても仕方ががないのではないだろうか?もう誰も守ってくれないだろう。

オリンピック選手とはいえ今でも恵まれた環境にはほど遠く遠征費などの活動費用を工面するため練習のオフの時は選手がみんなアルバイトに精を出すなど練習とともに資金作りにも奔走した経緯を知っていただけに残念でならない。

この日も小室も15日の安田も人目をはばからず泣きじゃくったがそんな事をしてもこのオリンピックは帰ってこない。更には努力も一切報われない。今はただただ反省しもう一度一から出直してもらいたい。

オーレアイナル・ビョルンダーレン バンクーバーの空から?

  • 2010/02/19(金) 23:43:33

日本ではあまり馴染みのないがヨーロッパではワールドカップがリアルタイムで地上波で放送されるほどの人気競技にバイアスロンという競技がある。もともとスキーをはいて山に入り銃で獲物を撃つ狩猟達の腕前を競う形が明確なルールを確立させスポーツに発展したのがバイアスロンという競技で、つまりはクロスカントリースキーの距離競技のタイムにライフル射撃の正確性を足した総合力で戦う競技である。種目は男子は20km、15km、12,5km追い抜き、10kmスプリント、団体リレーの5種目で争われる。

この競技に長年第一人者として長く君臨し「バイアスロン界の鉄人」と呼ばれる絶対王者がノルウェーのオーレアイナル・ビョルンダーレン選手だ。36歳になるオーレアイナル・ビョルンダーレンはワールドカップで通算92勝を誇り2002年のソルトレークシティオリンピックでは4種目を制覇するなど通算5個の金メダルを獲得している。勿論、オリンピックの金メダル5個獲得はバイアスロンでは最多で母国ノルウェーの英雄・クロスカントリーのビョルン・ダーリの金メダル8個、通算メダル12個という冬季オリンピック最高に次ぐ2位の記録である。

この日行われた今大会3種目目となった個人20kmで2位に入りオーレアイナル・ビョルンダーレンは通算10個目のメダルを獲得した。今大会の残り2種目(15kmと団体リレー)でメダルを獲得すれば獲得メダル数は12個になりダーリに並ぶ。団体は金メダルが有力視されているし15kmは前回トリノでも銅メダルを獲得している得意種目のうちの一つだけに期待は高まる。

試合後オーレアイナル・ビョルンダーレンは「ちょっと疲れたよ、もうおじさんだからね」とおどけて見せたが「バンクーバーは暖かいね、次のソチ(ロシア)はどうなの?」と早くも40歳で迎える次回のオリンピック出場を志した。この鉄人伝説はまだまだ終わりそうにない。

ショーン・ホワイト バンクーバーの空から?

  • 2010/02/18(木) 17:50:55

異次元の世界を舞った。自慢の赤毛の長髪をなびかせて華麗に舞い上がりいとも簡単に難度の高い空中技を披露するアメリカのショーン・ホワイトの事を人は「空飛ぶトマト」と呼ぶ。

服装の乱れや言葉使いや記者会見での態度など「品格」問題で大きな話題となってしまった国母選手らが出場した男子ハーフパイプ。昨年の世界選手権を制した青野選手や国母選手がジャンプで致命的なミスを繰り返しメダルの期待もあったものの惨敗し落胆した日本のファンも沢山いただろうが、そんなハーフパイプに馴染みのなかった日本の方でもショーン・ホワイトの演技を見て世界最高の演技、世界との差を痛感しまた感動していただけたのではないだろうか?

まさに「神」の域を一人だけ行くショーン・ホワイトを取り上げてみたい。ショーン・ホワイトは13歳からプロスノーボーダーとして活動しはじめ通常は日本の選手をいはじめ各国の選手がしのぎを削るワールドカップを転戦したり世界選手権に出場したりしない異色の選手なのだ。ではどうして競技力を高めているのかといえばアメリカ各地で行われる「Xゲ―ム」と呼ばれるいわばショー的な要素も大きく加味された高額賞金大会を主戦場にしているのだ。

各国の選手は審判員にジャッジをされ順位を競いあう大会に出場し技の正確性を追求するのだがショーン・ホワイトは観客にアピールし続ける事を義務付けられた高額賞金大会に出場し次々と新技を披露し観客の期待に十分以上に答えてきた。その報酬は年間約10億円との言われ自宅に専用のハーフパイプを作って黙々と技を開発する日々を送っているのだ。

昨年の夏に初めて世に出して世界中を驚かせた縦2回転横3回転の「ダブルコーク」。この技は国母が最後の最後の大技、オリンピックのメダルへの秘密兵器として挑み着地に失敗した難度の高い技だ。この日もこの大技をなんと2度も成功させたしかも正確に。ハーフパイプ競技は2回づつ滑り得点のよかった方を選び順位を競うのだが一回目でいとも簡単に優勝を決めてしまった。2回目はいわばウイニングランであり、棄権してもいいのだ。普通の競技者ならここで終わっているだろう。しかしショーン・ホワイトは観客の目にいつも答えてきた男だ。優勝が確定した中での2回目にさらに難しい「ダブルマックツイスト」を成功させた。縦横に回転軸を複雑に変えながら3回転半する曲芸のような新技は物理上、人間の限界と言われている回転数の大技を成功させ観客から大きな拍手を浴びた。50点満点で48.4点の高得点をマークしたまさに異次元の強さで圧勝した。

「限界??まだ伸びる余地は十分あるよ。4年後、ソチ(ロシア・次回の五輪会場)でまた会おう」と笑った笑顔は自信に充ち溢れていた。ショーン・ホワイトの見事なまでの演技に酔った夜だった。

イ・サンファ バンクーバーの空から?

  • 2010/02/17(水) 17:29:45

スピードスケート男子500mで銀メダルと銅メダル獲得に沸いた日本だが金メダルは韓国のモ・テボムだった。モ・デボムは韓国では第3の男という存在で、優勝候補に挙げられていた韓国の至宝でワールドカップチャンピオンのイ・カンソクらが惨敗する中、韓国を救った男だ。韓国内でもモ・テボムの優勝は「奇跡」という表現で取り扱っている。それでもスピードスケート後進国だった韓国は近年、目覚ましい進歩を見せそのレベルは世界のトップレベルに君臨している。

そんな韓国勢の勢いが止まらない。この日行われたスピードスケート女子500mでもイ・サンファが勝ったのだ。世界記録保持者で絶対女王と言われ金メダル最有力候補だったドイツのウォルフを直接対決で破っての金メダル獲得だけに価値が高い。この日は抽選の結果、くしくも2回ともウォルフと滑ったイ・サンファ。男子顔負けのロケットスタートを見せるウォルフに対しコンマ数秒の差で追随したイ・サンファは得意のコーナリングでさらに加速すると十分すぎる練習量に裏付けされたスタミナを見せ最後まで低姿勢を崩さずウォルフを差し切った。「勝ったなんて信じられない。」と涙にくれた20歳の新鋭は誇らしげに韓国の国旗を誇示し観客に手を振った。

男子5000mでアジア人初のオリンピック長距離種目で銀メダルを獲得したイ・ソンブンと男子500mの金メダリストとなったモ・テボムとこの日のイ・サンファは同じような言葉を口にした。

躍進の秘訣は?という質問に対し「特別なこともしていない。練習時間を延ばしているくらい」「世界で一番練習しているだけ」「この練習で負けたなら仕方がない」
共通する練習量からくる自信。これが今の韓国勢の勢いを後押ししている。これから数年はスピードスケート界は韓国を中心に回っていく気がしてならない。

川口悠子 バンクーバーの空から?

  • 2010/02/16(火) 16:38:52

川口悠子はロシア国籍を取得しロシア代表としてオリンピックのリンクに立った。ロシアは旧ソ連時代からオリンピック12連覇中の絶対負けられない種目の代表に川口悠子を選び1964年から守り続けてきたタイトルの維持を川口悠子に託しリンクに送り出した。

日本でフィギュアスケートといえばシングルが男女とも花形でアイスダンスやペアなどの種目が注目されることはただの一度もなくシングルで戦えなくなった選手がいわば”都落ち”のようなイメージでペアなどの転向する傾向がある。全日本選手権でも出場ペアが1〜2組ほどしかなく実施されない年もあったほどだ。しかしロシアではジュニア時代からペアを目指す選手はペアの育成プログラムに乗り強化されていくしシングルを目指す者はシングルの強化プログラムがあり全く別の種目と扱われめったに転向したケースはない。
そんな「ペア大国」ロシアのスケートを見てひとりの少女が強烈なインスパイアを受けペアに転向した。長野オリンピックの完璧なまでに構成されたプログラムに華麗に舞い、ペア同志の息を合わせながら氷上で踊る姿に魅了されシングルを志していた選手がコーチの反対を押し切ってまでペアに転向したのが当時7歳の川口悠子だった。




ペア大国ロシアでも屈指のペアの天才と称された「エレーナ・ベレズナヤになりたい」と川口は誓い彼女のコーチだったタマラ・モスクビナにファックスで指導を嘆願し、断られても断られてもあきらめずに手紙やファックスで指導を懇願し続けた。時にはタマラ・モスクビナが行った合宿場に直接、乗り込み直談判したこともあった。そんな熱意に負けたタマラ・モスクビナはコーチを引き受け厳しく指導し始めた。

ペアの経験が皆無だった川口に一から教え込みペアの真髄を注入し続ける。コーチの練習拠点が当時はアメリカだった為に川口はアメリカに移り住み、コーチがロシアに戻れば川口もロシアに移住するなどんその信頼関係はスケート界でも有名になりつつあった。




アレクサンドル・スミルノフとペアを組んだ川口はめきめき実力をつけ悲願のロシアチャンピオンになる。悲願のオリンピック出場の為に国籍を変えることもいとはなかった川口はその後、ロシア選手権を3連覇し今年のヨーロッパ選手権でも史上最高得点で優勝し一躍オリンピックの金メダル候補に名乗りを上げ近年、低迷が続いていたロシアの希望として国内中から期待され注目される存在になった。

ペア大国ロシアの牙城を守るべく出場したオリンピックでショートプログラムでまずまずの僅差の3位につけ得意のフリーに臨んだもののミスが重なり4位に甘んじてしまった。
異国の地に自分の夢を託し、逆に大国ロシアの夢を託された川口は試合後、何度も涙をぬぐった。「すいません」コーチに泣きながらつぶやいた日本語がとても切なく響いた。

小林範仁 バンクーバーの空から?

  • 2010/02/15(月) 21:24:31

冬季オリンピックの花形競技の内のひとつにノルディックスキーの複合がある。勝者には「キング・オブ・スキー」の称号が与えられる。前半はジャンプを跳び、後半はクロスカントリーでその総合で競う。前半のジャンプをタイムに換算し後半のクロスカントリーはそのタイム差をハンデにスタートしていくのだ。個人戦が行われ日本のエース小林範仁が見せ場を作った。前半のジャンプをトップと58秒差の12位で折り返した小林は得意の後半戦で一時はトップに立つ快走を見せた。

トップ集団が8人となり大混戦のクロスカントリー、残り1キロを切った場面で先頭集団からスパートし一時は先頭に立ちレースを引っ張った。しかし余力を残していたヨーロッパ各国の実力者達にあっさり抜かれあの荻原兄弟ですらなしえなかった金メダルの可能性をみせたものの7位に甘んじてしまった。

荻原兄弟を含め日本がこの種目で強かった時代は前半のジャンプに得点の比重が高かった為にタイムに換算した時にかなりのアドバンテージを得る事ができた。その結果、日本勢は飛躍で大差を奪い、距離で逃げ切る形を得意とする選手が多かったのだ。しかし、ルール変更により日本人に不利な後半のクロスカントリーに重きを置かれその後、日本勢は世界で通用しないレベルになってしまった。

日本勢は更なるジャンプの距離を求めようとジャンプの練習に明け暮れたが世界との差はますます開くばかりで世界との差は大きく開いてしまった。
過ちを大いに反省した日本は協会を挙げてクロスカントリーの強化に乗り出し発掘されたのが雪深い秋田出身の小林範仁はジュニアの時代から徹底的な強化を受け、18歳で世界ジュニア選手権を制すなど10代から結果を出し始め将来を期待された。もともとジャンプが不得意だった小林にとってジャンプよりもクロスカントリーが重視されるルール変更も有利に働き世界で戦える選手に成長していた。

試合後「あそこで行かなければよかったが、目立つチャンスだったから」と満足そうな笑顔を見せ小林は日本のエースとしてメダルが期待される団体戦に目を向けた。複合日本の復活は間違いなくこの『お祭り男』のクロスカントリーの力にかかっている。



上村愛子 バンクーバーの空から?

  • 2010/02/14(日) 20:34:21

オリンピックの女神はまた上村愛子に微笑まなかった。1998年長野大会に初出場し7位入賞し一気にブレークしたアイドル系スキーヤーは円熟味を増したテクニックを引っさげてバンクーバーに悲願のメダル獲得の為に乗り込んできた。長野大会以後、出場したオリンピックで7位⇒6位⇒5位と一段づつステップアップしてきた成績は皮肉にもその数列は変わらず4位と甘んじた。

前回のトリノ大会で「どうしたらメダルは獲れるの?」と泣きじゃくった上村が見つけた答えはターンに磨きをかける事だった。モーグルという競技は華かなエアーと呼ばれるジャンプ技が注目されるがエアーの点数は総得点の25%をしか占めない。さらに上村がこだわってきたスピード(タイム)も全体の25%。一番のウエートはターンの技術(50%)にある。何を隠そうこのターンが上村は苦手だった。コーチを変えこのターンを徹底的に磨きをかけ4年間その練習に全てをつぎ込んできた。
その結果、世界最高クラスのターンテクニックとまで称されどんな悪条件でもどんな雪質でも膝が開く事がなく華麗かつ無駄のないターンは全選手のお手本にまでなった。

昨シーズンはその成果が存分に発揮されワールドカップの総合チャンピオンになり日本で開催された世界選手権でも優勝するなど一気にオリンピックの優勝候補筆頭となった。今シーズンは今一、調子が出ていなかった上村だがそれでも大きな自信を持って臨んだ今大会。練習の段階からその言動は自信に満ちたものを感じさせ今大会こそはという決意も感じられた。

予選5位からスタートした上村。雪なのか雨なのかみぞれ混じりの悪コンディションの中、上村は果敢に攻めた。しかし第2エアーで着地が前に大きくのめるミスを犯してしまった。それ以上に誤算は磨きに磨きをかけてきたターンは全体の5位(12.9点)に甘んじてしまった事だろう。自信をもっていたターン技術。決して上村が大きなミスを犯したわけではなった世界のトップクラスが抜群の集中力で上村の技術を上回っていたのだ。

今季ワールドカップ6戦5勝と圧倒的な力を見せていた地元カナダのジェニファー・ハイルさえも勝てないのがオリンピックの舞台だ。「オリンピックの舞台で自分らしく、しっかり滑ることが一つの目標だった」と言うコメントとは裏腹に涙が止まらない上村愛子。こんな上村を見たことがなかっただけに悔しさの大きさを改めて思い知らされた。長野から4度続いた五輪は7、6、5、4位。「何でこんなに一段一段なんだろう」と自分を責め続けた上村だったがそのあくなくスピリッツは十二分に伝わってきたし感動を貰った。今後の現役については不明だが今はお疲れ様でしたと心から言ってあげたい。



リュージュの死亡事故に何を思う

  • 2010/02/13(土) 23:30:47

バンクーバーオリンピックがいよいよ開幕した。バンクーバー特集になろうかというこのコラムのスタートが悲しい事件から書かなければならない事が残念でならない。

リュージュ男子1人乗りに出場予定だったグルジア代表のノダル・クマリタシビリ選手が開会式当日の朝にこの世を去った。公式練習中に起こった事故により夢の舞台には立てなかったのだ。オリンピック史上最高の高速コースというバンクーバーの舞台で起こった悲劇は起こるべくして起きた惨事の様に思えるのは僕だけだろうか?

「リュージュ」とはそりに仰向けで寝そべりスケルトン(前向き)やボブスレーに比べ比較的操作性に難しさがあり危険度も高い競技ではあった。前が十分に見えない状況で時速約150kmで滑降してくるのだから想像を絶する世界での戦いである。さらに1000分の1秒までを争う僅差の勝負となるためにそりの改良に加えユニフォームの軽量化も含め年々その危険度は上がっている。

オリンピックに正式採用された1964年オーストリアのインスブルック大会当時の最高速度は時速130キロ前後だったそうだ。高速化が進んできた近年では150kmオーバーが当たり前でMAX160kmに達する時もあるそうだ。大会前から生身の人間が時速160km近くで滑走するレースの高速化に対して、安全性への懸念が高まっていただけに、関係者は沈痛な思いだと言うがそんな程度の認識で果たして大丈夫なのだろうか?

ダル・クマリタシビリ選手が亡くなった大惨事が起こる前兆があった事も問題ではないだろうか?前回のオリンピックで金メダルを獲得したイタリアのアルミン・ツェゲラーがこの日の練習中にコースを逸脱しあわや大怪我にあうところだったというしこの前の日に行われた女子の公式練習でも複数のけが人が出ていた事実も報告されていた。コース外に飛ばされそうになったというオーストラリアの女子選手は『クラッシュを経験するためのようなコース』と難度にも疑問を呈し恐怖感を口にしていた。

IOCが事故原因を専門チームによって究明した結果、クマリタシビリ選手個人の操作ミスによるコースアウトした。と選手のせいにしてしまったが人間の限界に近づいているであろう高速化への対応が迫られるのは必至のはずだ。

大会中、二度とこのような惨事を招かない為にも早急なコース改修を含め検討をしてもらいたい。


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