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ウェイン・ルーニー

  • 2010/07/29(木) 00:03:26

ワールドカップで期待外れの成績に終わったイングランド。44年ぶりの頂点も狙えるのではと期待していたが結果は決勝トーナメント一回戦でドイツ相手に簡単に敗れ去ってしまった。

大会前にいまやチームの精神的支柱となったベッカムを欠きさらに守備陣の要ファーディナンドも故障で欠くなど故障者に悩まされたのが大きな敗因であるがあえてA級戦犯を見つけるとしたらウェイン・ルーニーを指してしまうのは僕だけではないだろう。

3月末に負った足首の怪我から高地への適応失敗まで、不振の原因には複数の説があるが、それにしても、南アフリカでのウェイン・ルーニーの出来はひどかった。
クリスティアーノ・ロナウドが抜けた名門マンチェスターUのFWをしっかり守り、前線からの守備意識を高く持ちながらもゴールを量産したその姿は完全に影をひそめた。

大会前は大会得点王の呼び声が高かった事を思えば散々というべきだろうか?

フィジカルの問題もあったのだろうがルーニーという選手を生かす戦術が取れなかったのも事実ではある。
マンチェスターUではギグスやナニといった左右を駆け上がりセンター付近でもしっかりルーニーをサポートしスペースを作ってくれるアシスト陣がいる。しかしイングランド代表の攻撃陣にはその確かな存在がいなかった。ヘスキーやレノンがその役を務めたのだがどちらも役不足の感は否めない。

しかも守備の要、ファーディナンドをけがで欠いたディフェンス陣が安定せず頼みの綱であるジェラードやランパードの位置が下がり前線との距離がぽっかりと空いてしまう致命的な欠陥を露呈してしまった。

たまらずルーニーも下がってボールをもらいに行くため相手ディフェンダーをますます楽にさせてしまいしっかり守備網をひかれてしまったのだ。


優勝候補の呼び声が高かったはずのイングランドの惨敗の責任を一身に背負う若きセンターフォワードは今後、どのような成長と輝きをみせてくれるのだろうか?

次回のブラジル大会では本物のウェイン・ルーニーがみれるのだろうか?

プレミアリーグだけで輝く選手にだけはなってほしくないのだが・・・・そう思えばルーニーの成長よりも若きイングランド人の台頭の方が気になるところだ。

ルイス・アルベルト・スアレス

  • 2010/07/24(土) 12:43:43

ワールドカップで南米の勢力図を塗り替えたといっても過言ではない活躍を見せたのが準決勝、3位決定戦で敗れたものの4位と健闘したウルグアイだ。

その中でも大エースのフォンランを差し置いて次世代のエースとして期待以上の活躍を見せてくれたのがルイス・アルベルト・スアレスだ。

元々の期待値が低かったわけでもなくウルグアイ国内はもとより世界中のサッカーファンから期待はされていたが今一その実力の程を疑問視されていた。

母国ウルグアイのナシオナル・モンテビデオでプロ選手としてキャリアをアヤックス・アスタートさせた。スアレスは高い個人技を買われオランダに移籍。2007年からはオランダの名門アヤックスに移籍した。移籍初年度にいきなり17得点しリーグ得点ランキング3位にはいった。
翌シーズンも終盤まで得点王争いを演じ22得点あげランキング2位にはいった。
今シーズンは更なる進化を遂げ年間4度もハットトリックを見せるなど大爆発し堂々と得点王に輝いた。
オランダリーグ最速の通算50ゴールを挙げるなどその活躍はまさにワールドクラスになった。

しかしまだまだ精神的なコントロール力にかけハットトリックの次の試合では決定機を次々と外すなど安定感に欠きチームでもウルグアイ代表でも”絶対的”エースになりきれないでいた。

個人技頼りの突破力は極めて脅威だしファンも面白がってみるがその反面、シュミレーションが多く度々イエローカードをもらい無駄な退場も繰り返すという悪い一面も持っている。

それでも中盤に下がってでも前を向いた状態でパスを供給されれば何かを見せてくれる選手なのでファンは目を離すことができない選手の一人だ。

ワールドカップでも準々決勝のガーナ戦で同点で迎えた延長戦の緊迫した場面で相手の決定機に大きく手を出しハンドをもらい一発退場処分をくらってしまった。
明らかな決定機でスアレスを突破されれば間違いなく一点を失っていたシーンでの極めて故意にだしたハンドに批判は集まり非難の嵐だったが一部では賞賛の嵐でもあった。なぜならガーナが得たPKを外し結果ウルグアイが勝ち上がったからである。

あのシーンは一発退場をくらってでも止めるべきだったかどうかは別にしてここ一番でそんなシツュェーションに出くわすスアレスはきっと何かを持っているのだと思う。

まだ23歳の若さ。アルゼンチンのメッシらと同じ世代である。

ルイス・アルベルト・スアレス。
更なる成長と次回ブラジル大会での大活躍を心底、期待している僕がいる。

ディエゴ・マラドーナが泣いた夜

  • 2010/07/18(日) 01:26:31

中村俊輔の様にワールドカップの神に見放された男がいる陰で過去には幾多の名選手がワールドカップの神に愛されその名を世界に轟かせてきた。

アルゼンチン国民の期待はその采配手腕よりもワールドカップの神に愛された過去の栄光に期待したのかもしれない。



若き天才リオネル・メッシを擁し優勝候補の一角にも挙げられていたアルゼンチンが準々決勝のドイツ戦で国民の期待を大きく裏切る大敗を喫してしまった。

0−4という屈辱的スコアで完敗しメッシ・テべスを中心とした華麗な攻撃サッカーと奔放な言動で大会の話題をさらったマラドーナ監督は涙にくれた。

開始わずか3分で失点したディフェンス陣は簡単なまでに混乱した。ミロスラフ・クローゼのポストプレーを自由にさせてしまいシュバインスタイガーやポドルスキーを何度もフリーにしては強烈なシュートを浴び続けた。
肝心の攻撃陣もメッシを完全に封じられテべスのサイド突破も空しくドイツの守備網にかかり攻撃の起点すら作れなかった。
「ドイツのW杯は今日でで終わる」と言い放ち絶対的な自信を持って臨んだマラドーナ監督だったが屈強なゲルマン魂の前に簡単に力尽きてしまったのだ。

選手時代も引退後もマラドーナはいつも孤独だった。
監督就任後もファンやメディアに珍采配や選手選考の疑問をたたかれた。
それでも強気なマラドーナ監督に対しファンやメディアもワールドカップの神に愛され続けた過去の栄光に期待した。

全員が運動量が豊富で効果的なフリーランを行いチーム全体でパスをつなぐ意識が高いドイツに対しアルゼンチンの攻撃は常にブツ切りでメッシやテベスやアグエロも個人技によるドリブル突破でしか見せ場を作れない。
「早く攻めたい。誰か早くボールを奪ってくれ」という意識がアルゼンチン攻撃陣の心に先に立ち、選手全員が少しずつ他人任せになり守備をサボるようになる攻撃志向のチームがリードされたときに陥る、典型的な現象がピッチ上で起きていた。すなわち次第にボールに対するアプローチが甘くなり自陣への戻りも遅くなりみるみる守備網は穴だらけになっていくのだ。マラドーナはそんなチームを作ってしまったのだ。

まるでマラドーナ監督の現役時代を彷彿させたチームバランスの悪さにドイツは情け容赦なく襲い掛かり圧倒的な差をつけて快勝した。



マラドーナ監督の目が真っ赤に腫れた。戦前には考えもしなかった完敗。

アルゼンチンは一見、ヨーロッパのビッグクラブで活躍するタレント選手が揃っているようでいて結局のところ予選から本大会を通じて攻撃はメッシ頼みだった感は否めない。攻撃型のチームでありながら、メッシの自由な動きを封じればアルゼンチンの攻撃は怖くなく、それでいてディフェンスのリスク管理はかなり甘く力の劣る相手なら個人能力で封じ切れたが同等以上の相手となるとその甘さが致命的となってきたチームだった。

そう思うと今回のアルゼンチンには勝ち上がるほどのチーム力が無かったと言わざるをえない。もしかしたらアルゼンチン国民はみんなその事に気が付いていたのかもしれない。




それでも国民はサポーターは「ワールドカップの神に愛された男」に期待し
予想以上の結果を求めた。求めたというより「ワールドカップの神に愛された男」の偉大さに賭けたのかもしれない。

そんな神通力が効かないのもワールドカップの奥深さなのかもしれない。

中村俊輔  ワールドカップの神に見放された男

  • 2010/07/16(金) 10:00:25

戦前の予想を大きく覆す決勝トーナメント出場という快挙に歓喜に沸いた日本代表。大会前は不甲斐ない試合を続けた岡田監督に「辞めろ」と迫ったサポーターも大会後には「英雄」扱いだった。監督という職業はつくづく大変なものだと改めて思い知らされた。
大会後も笑顔がなかった選手が一人だけいた。エースナンバー「10番」を背負った中村俊輔だ。



彼ほど日本代表に熱い思いを持ちサムライブルーのユニフォームが似合う男はいないはずだった。

代表国際Aマッチ98試合24得点という偉大な実績を残してきた選手であるがなぜかワールドカップにだけは輝かないのだ。代表に帯同し続けるためにJリーグ復帰を志すも横浜マリノスの処遇の悪さからスペイン移籍を余儀なくされ、それでも活躍の場を求めてJリーグに復帰しサッカー人生の集大成と位置付けたW杯・南アフリカ大会に臨んだ筈だった。

フィジカルの問題を抱えたまま無理をして試合に出続けた疲労のツケがワールドカップ期間中でも回復する事無く結果、中村俊輔がピッチに立ったのはオランダ戦の途中出場の25分間のみだった。
「コンディションは戻ってきた。ミスもあったけど仕事はできたと思う」と試合後には前向きに語っていたが、何度も相手にボールを奪われるなど全盛期の彼とは程遠い出来だった。

岡田監督が就任以来、ずっと絶対的エースとして信頼を置いていた背番号10はその期待に応えることなく終焉の時を迎えた。



19歳の時、当時まだ無名の中村俊輔をフル代表に招集したのは当時の岡田監督だった。フィジカルの弱さを露呈し98年のフランス大会の選考には漏れたが
順調に成長を遂げ2002年の日韓大会ではスーパーサブとしての出場を期待させたがフィリップ・トルシエ監督との確執が表面化し選考に漏れ人目をはばからず涙を流した。
この挫折をバネにイタリアからスコットランドへ渡って自分自身を磨き器の大きな選手に成長したのだ。
満を持して中心選手として挑んだ06年ドイツ大会は目に見えない重圧からか肝心なところで原因不明の発熱に見舞われた。体調管理の甘さをバッシングされた中村俊輔は予選全敗のA級戦犯扱いされた。

だからこそ「今年の南アフリカワールドカップでは完全燃焼したい」と意気込んだが空回りし小さなけがを繰り返した。チームドクターの制止もふりきり試合勘が鈍るのを恐れて無理を重ねた。
今にして思えばこの間違った判断が悔やまれてならないのだが、スペインで試合に出ることが出来ず失意の元Jリーグ復帰したのだから
焦る気持ちは十分わかるが、もし完治するまで休養していたらこのような形で終わることはなかったはずだ。

誰もが認める絶対的信頼感のあるエースの不調はチームのリズムを崩し守備にも攻撃にもテンポも生まれずチームは崩壊した。

皮肉なことに岡田監督が非情の決断を下し中村俊輔を外してからチームは輝きを取り戻し予選を突破したのだ。



トルシエに外された02年のころは中田英寿以上のエゴイストだったと言われている中村俊輔が、
南アフリカのベンチでは仲間を盛り上げチーム結束力を高めようとコミュニケーションを率先してとり
チームには欠かせない選手になっていた。その姿には人間的成長が強く見て取れた。
悔しかっただろうし自分に対して不甲斐なった事だろう。ストイックなまでにサッカーに取り組んで来た男なのに
ワールドカップの神様は簡単には微笑んでくれなかった

大会後、誰よりも日の丸そしてW杯にこだわったレフティーの口から「代表引退」の言葉が出てきた
代表に憧れ自分の仕事を見つけてはストイックなまでに技術を高めてきた男が白旗を上げたしまった。
日の丸をつける事に疲れた訳ではないだろう。力が大きく衰えたわけではないだろう。
あるとすればほんの少しだけ”ワールドカップの神様”に対する恨みかもしれない。

鄭大世の涙にに本当のワールドカップを見た

  • 2010/06/21(月) 00:02:14

日本生まれ日本育ちの在日朝鮮人Jリーガーが北朝鮮代表としてワールドカップのピッチに立った男。鄭大世(チョン・テセ)

南アフリカワールドカップのフィールドに立った誇り高き32カ国総勢736人の選手。試合目前の国歌斉唱を祖国の思いを胸に聞いた事だろう。
その国歌斉唱を誰よりも「熱く」誰よりも「誇り」持って聞いた男が北朝鮮代表の鄭大世(チョン・テセ)だったろう。試合前に流した大粒の涙の訳とは・・・・




父は日本生まれの在日コリアン2世。国籍は『韓国』、母は日本生まれの在日2世で国籍は『朝鮮』であった。そんな2人の息子である鄭大世(チョン・テセ)の国籍は『韓国』だった。それは日本の法律に基づいた父親の国籍を取得するというルールだけの国籍であった。しかし彼は国籍のことを意識して育っていない。むしろ母親の強い勧めで小学校から大学まで16年間通った朝鮮学校で『在日同胞』としてのアイデンティティーは自然とつちかわれていった。

拉致問題をはじめとする政治問題で日本と北朝鮮は微妙な関係が続き更には核兵器問題などで世界中から非難され孤立していた北朝鮮。それでも”祖国”のほこりを胸に”半島統一”を胸に秘めサッカーに打ち込んできた。

朝鮮高校時代には将来を嘱望され沢山の大学から誘いを受け迷った末、出した答えが「朝鮮大学校」進学だった。いかにも鄭大世(チョン・テセ)らしい選択だったのだ。
朝鮮大学校サッカー部は東京都3部リーグに所属し鄭大世(チョン・テセ)の才能からすればもったいない選択だったしサッカー選手としては間違った選択だったかもしれない。それでも鄭大世(チョン・テセ)はサッカー選手である前に「朝鮮人」だと言い張ったそうだ。

大学入学後もその強いハートとフィジカル、圧倒的な練習量でチームメイトを鼓舞するもなかなか成果がでなかった。
チームメイトの意識レベルも低く練習もしなかったし試合に負けても笑っている選手や試合中にたばこを吸っている選手まで・・・何度もぶつかり喧嘩した事も一度や二度ではなかった。

鄭大世(チョン・テセ)をそんなに熱くするのは子供の頃から植えつけられた「祖国」への誇りだった。その事を熱く語るうちにチームは変わり始め卒業前の最後のシーズンは東京都1部リーグに昇格するまでになり大活躍の鄭大世(チョン・テセ)はJリーグ数チームからスカウトを受け朝鮮大学校から初のJ1リーグの選手が誕生したのだ。




そんな鄭大世(チョン・テセ)が更なる大きな問題にぶつかる。「国籍」である。
サッカー選手として最大のあこがれは祖国の代表としてワールドカップのピッチに立つことである。

法律上、鄭大世(チョン・テセ)の国籍は『韓国』だった。
しかアイデンティティーは「北朝鮮」にあった。16年間も朝鮮学校で“在日朝鮮人”として育ち教育を受けたのに国籍が『韓国』ってことに矛盾を感じてはいたがワールドカップを見据えた時には感情以上に法律というやっかいな壁にぶち当たったのだ。

北朝鮮代表になりたくてしょうがなかった。でも『韓国』籍なのでなれないと知り、国籍を変えることを決意する。しかし、法律は簡単ではなく感情論では誰も相手にしてくれなかった。

それでも諦めきれない鄭大世(チョン・テセ)は在日本朝鮮人蹴球協会を通じ、FIFA(国際サッカー連盟)に対し嘆願書を何通も送り支援を仰いだ。そんな熱意が伝わりFIFAは在日コリアンの特異な歴史的経緯から、現在の国籍が『韓国』の鄭大世が国籍を母親の国籍である北朝鮮に変え北朝鮮代表になることを認め韓国、北朝鮮のそれぞれのサッカー協会の承諾をとりつけ各国の外務省にもその旨を伝え問題がないことを確認・要請しついに認められたのだ。



経済的にも決して環境が良くない北朝鮮代表。更に日本生まれでありJリーガーとして北朝鮮では破格の給料をもらっている鄭大世(チョン・テセ)に対し優しく迎え入れてくれる雰囲気ではなかった。
それでも人一倍の努力と熱い気持ちでチームを鼓舞し続けFIFAランク104位の北朝鮮が世紀の番狂わせと言わしめアジア最終予選を突破しこの日のピッチに立ったのだ。




幼少期には在日というだけで不当な差別を受けたこともあった、朝鮮大学時代はチームやリーグの低いレベルに悩んだ、さらに国籍という大きな問題に対しFIFAや外務省をも巻き込み「北朝鮮国籍」を得た。
経済的に厳しい北朝鮮代表チーム、政治的理由で海外の強国と親善試合も出来なかったし情報収集すらさせてもらえなった。練習をしたくても芝生のスタジアム確保もままならない・・・・そんな幾多の困難を乗り越えて立った南アフリカのピッチで聞いた北朝鮮国歌。

あおの大粒の涙こそがスポーツの良さであり政治や経済をも凌駕するスポーツの良さであり凄さである。こんな話を熱く熱く書き続けるライターで僕はあり続けたい。


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