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山本山 上から読んでも下から読んでも・・・・

  • 2008/09/30(火) 12:15:34

『山本山』と聞いてピンとくるのはなんだろうか?やっぱり『のり』のCMだろうか?
相撲取りと答えた人はなかなかの通と見る。

日本人歴代最重量252キロを引っさげて新十両の今場所大活躍をした力士がいる。しこ名をを山本山という。
「疲れてる。やばいっす。長いっす。未知の体験ですから」初めて味わう15日間の長丁場に苦笑い。寿司を100皿たいらげたことのある大食いだが「さすがに食べる量が減ってきました。食べても元気が出てこない。食が細るのは初めて」と落ち込んだ様子をみせた。

暴行事件に大麻問題など暗い話題ばかりが世間をにぎわし大きく揺れる相撲界の中で小さいがはっきりと残した“希望の光”だ。
聞きなじみのあるしこ名に迫力満点の取り口、気さくな人柄が好評で人気はうなぎ上り。
十両土俵入りの際はどの力士よりも大きな歓声と拍手を受け、国技館を去る際にはサインと写真を求めるファンからもみくちゃに。それでも嫌な顔1つせず、気軽に応じている姿は品格では横綱の朝青龍より明らかに上であろう。

近い将来必ず幕内にあがり三役、大関、横綱と目指せるほどの実力もある。
近年の大相撲ではスピード重視で大きな体格のあんこ型の力士が少なくなってしまった。ウエートトレーニングで鍛えられた鋼のような体が主流である。師匠の尾上親方は「上で戦うにはもっとスピードがいる。その為には体重を落とした方がいいけど前に出てる分にはね」とその体重からも目が離せない。

インタビューのたびに「のりは毎日食べてます。入門前からのり大好きです!」とCM出演を期待してか“本家”に猛アピールする姿はどこか憎めない。こちらも近い将来夢が叶いテレビCMで見られるかもしれない。

『山本山』という力士を覚えておいてもらいたい。




福永祐一  天才を越えた息子 

  • 2008/09/29(月) 11:39:23

福永洋一というジョッキーを覚えているだろうか?稀代の天才ジョッキーと呼ばれた男が落馬事故を起こし半身不随になってからもう30年近くたつだろうか?

「どこがどう凄いのか、言葉では表現できない」と過去の名騎手達が口をそろえる程のテクニックと天性の感で競馬界の風雲児と呼ばれた天才はもしあの落馬事故がなければ武豊が更新した最多勝記録は間違いなく福永洋一のものであったろうし、福永が記録を更新しても誰も驚かないだろう。

もはや伝説と化した福永洋一の騎乗をファンはその息子『祐一』に託しているのかもしれない。
「おやじを知る人やファンは、おれを通しておやじを見ている。それに恥じないように、1つでも上の着順を目指したい」洋一の息子というプレッシャーに負けずに勝ち星を積み上げ、下半身の強化、騎乗スタイルの試行錯誤など努力を人知れず重ねてきた。
「競馬に乗れば乗るほど(父の)存在は遠くなる」と表現しながらも、祐一は自分なりの道を探ってきた。競馬場でのイベントでは自ら出演しファンサービスも率先して行った。プロとしての自覚なのだろうか。勝利だけでなくファンを大切に思う心意気には頭が下がる思いだ。

伝説の父である洋一氏が残した成績。5086戦983勝、勝率1割9分3厘。その勝利数を息子は塗り替えた。
しかし勝率にすれば1割1分1厘と父とは大きな差がついてしまっている。それでも地道に積み上げた親父越えの勝利数は自慢してもいいだろうし立派な数字だと思う。
同年代に武豊という化け物がいた為にそう目立つ事がない数字ではあるがファンはもう息子、祐一に父、洋一の姿はだぶらさないだろう。何故なら息子、祐一はもう立派な名ジョッキーの仲間入りをしたからだ。

しかしながらここで止まる訳にはいかない。次なる目標であろう通算1000勝。更には天才ジョッキー・父、洋一も果たせなかったダービー制覇。父を越える数字や成績はまだまだたくさんあろう。これからの更なる飛躍を期待している。



アディグン・アデバヨ  ナイジェリア 

  • 2008/09/28(日) 11:21:56

世界のユース世代のいサッカー界をリードするアフリカの雄「ナイジェリア」。
北京オリンピックでもメッシやアグエロという世界クラスのスーパースターを擁するアルゼンチンを最後まで苦しめ準優勝に輝いた強豪である。近い将来、フル代表でも必ず世界のトップに登りつめるであろうと言われる国である。抜群の身体能力の高さとスピードで圧倒するパフォーマンスは見ていて楽しい限りだ。
その国の17歳。
若干15歳でオリンピック候補にまで登りつめた選手がJリーグ、柏レイソルのテストを受け入団しそうな選手がいる。

現U−19(19歳以下)ナイジェリア代表MFアディグン・アデバヨである。

「僕の持ち味は右足の正確なフィードです。レベルの高い日本でやりたい」と
あどけない笑顔で話す本人の前でおどける有名人がいた。格闘家でタレントのボビー・オロゴンとアンディ・オロゴン兄弟である。
アンディは「子供の時から一緒にサッカーをして遊んだ。僕の弟みたいなもの。ライオンより足が速いよ」と、大げさにアピールした。が冗談ではないぐらいのスピードを見せ関係者を驚かせた。石崎監督からは「1日みただけじゃ評価しにくいけれど身体能力が高そうだしプレーが丁寧だ。頭も良さそうで将来性を感じる」と高評価を得た。強化担当者も「スピードもジャンプ力もあるし持っている能力は高い。若いから言葉も速く覚えると思う」と太鼓判が押された。

しかし、ナイジェリアという国にはどれほどの逸材が眠っているのだろうか?

決して豊かな国ではないだろうし情報網が全国に張り巡らされているとは考えにくい。そんな国から次から次へとポテンシャルの高い好選手が湧き出てくる。
ヨーロッパ的戦術をしっかり理解し真面目に練習に取り組みあきらめない精神が宿ったらブラジルもアルゼンチンもいイタリアも勝てないほどの恐ろしい相手になるのは誰の目から見ても明らかである。

そんな強国から着た17歳がいつの日か日本で輝き、世界に飛び立って行くのを見たいと思う。楽しみな17歳に期待したい

王監督 「引退」

  • 2008/09/27(土) 11:28:28

9月23日。”世界の王”が遂に「引退」を表明した。





ここ数日新聞紙面では「王、来季も続投」や「WBCの監督を固辞してホークス残留」という見出しが踊っていたのでてっきり来季もするものだとばかり思っていたが体調がそれを許さなかったようだ。

当日、試合前の練習でもホークスナインはいつもと変わらない様子で選手たちも何も知らなかったようだが監督の胸の内は決まっていた。
辞意を伝えた監督の元には球団幹部が全力で慰留にあたり孫正義オーナーまでもが「体調が許す限りは続けていただきたい」と直接訴えかけたらしい。
それでも「自分で“こう”と決めたら頑固で意固地なところがある」と本人が言うように頑として固辞し続けたそうだ。
24日、オリックス戦後の「ホーム最終戦セレモニー」で、王監督はマイクの前に立った。今季の戦いを振り返り「すべて監督の責任でございます。強く、強く、責任を感じております」と話した。
涙を流す松中や小久保をはじめホークスナインの前で王監督は全責任は自分にあると反省の弁を繰り返した。ファンもスタンドから「そんなことないぞ!」「辞めないで!」と悲痛な叫びが飛びかった。

花束を渡す小久保裕紀の顔はぐしゃぐしゃだった。松中信彦は顔を上げられず、王監督をまともに見ることすらできなかった。『癌を克服してグランドに戻ってきた王監督を再び胴上げする』という悲願は叶わなかった事を悔いているのだろう。それが己の不振が招いた結末という責任も感じていたのだろう。

あのイチローをもってしても「大変な人格者であり尊敬する監督の一人。WBCの時に一緒のユニフォームを着た事を誇りに思う」と脱帽するほどの度量を見せた名監督だった。

巨人時代にも常勝軍団の監督としては満足な成績を残せず「名選手は名監督になれず」と言われ、なかば追われる形で巨人のユニフォームを脱いだ。当時、南海からダイエーに親会社を変えた弱小チームの監督を引き受けた時、だれがこんな長期政権になると思っただろうか?名前だけの「にぎやかし監督」とまで言われた王監督はいつしか笑いの絶えない常勝チームへと変貌させたのである。
体調さえよければ日本史上最長の長期政権になってかもしれないほどファンからも選手からも球団関係者からも全幅の信頼を得ていた監督だっただけに残念ではあるが心からお疲れさまと言いたい。

王監督はなにか吹っ切れたように晴れやかな表情で手を振り帰りの車に乗り込んだ。

間際に残した言葉
「思い残すことはない。幸せな14年間でした」がとても印象的だった。



プレミアリーグの波

  • 2008/09/25(木) 12:43:30

繁栄を極めるイングランドサッカー界にまたひとつ大きな波が訪れようとしている。チェルシーを買収したロシアの大富豪アブラモビッチが豊富な資金で有力選手を買い集めプレミアリーグを制してからイングランドのクラブはその知名度と伝統を揺るがすような投資家グループや元国王などが次々とクラブを買収し選手獲得にマネーゲームを繰り返している。

世界有数の投資グループ「アブ・ダビ」を所有し、この度クラブの最高経営責任者に就任したUAE(アラブ首長国連邦)出身のスライマン・アル・ファイム氏がタクシン元タイ国王から買収しマンチェスターシティのオーナーに就任してから派手な動きを見せている。

早速、イングランド史上最高額の3500万ポンド(約66億円)でレアル・マドリードのロビーニョと契約したさらに今年の冬の移籍市場では、ミランのカカ、ロナウド、ロナゥジーニョにユベントスのブッフォンらビッグネーム獲得のために、2億4000万ポンド(約456億円)もの金額を費やす用意さえあるという。確かに金で選手が買えるシステムではあるが莫大な資産を背景に買いあさるやり方はやはり見ていて面白く思えないのは貧乏人のひがみなのだろうか?
そうではないはずだ。

戦術やクラブ経営状態に見合った選手の中で選手個人と両クラブ双方に利益をもたらす選手を獲得してくる。そしてそのクラブで選手が輝き続ける事がサッカー界の一番の発展なはずなのに。クラブ経営は赤字でも関係なく金で選手を買いあさり活躍できないとすぐに捨て別の選手を高いお金で買って来る。これで本当にいいのだろうか?

イングランドビッグ4と呼ばれるマンチェスターユナイテッド・チェルシー・リバプール・アーセナル。
その中で一番資金力に乏しく名将ベンゲル主導の下いつも好チームを作り上げ優勝戦線をにぎやかすアーセナルでさえチーム内にイングランド人は3人しかいないのだ。
アフリカやヨーロッパ各国のスター選手を寄せ集めている為、おらが町のおらがチームという認識が乏しいプレミアリーグだからこそ簡単にチームごと買収し「金を持った者が勝つ」というスポーツの精神を当たり前のように壊していく風潮が流れているようだ。
「イングランドサッカー界の繁栄」本当の意味での繁栄はそういうことではないような気がするのだが・・・・・

ハマのおじさん 工藤公康

  • 2008/09/24(水) 11:00:32

45歳の「ハマのおじさん・工藤公康」が横浜スタジアムのマウンドに立った。味方のエラーなどもあり6失点で負け投手にはなったが堂々としたマウンドさばきは流石と思わせた。

工藤公康がまだ高校生だった27年前。
名古屋電気(現愛工大名電)の左腕エースは金属バット導入後、初のノーヒットノーランを達成した。左バッターの背中から曲がってくるカーブとコントロールされたストレートを武器にバットに当てさせなかったという記憶がまだ鮮明に残っている。

工藤の伝説的なエピソードは沢山ある。

黄金期をささえた西武ライオンズのエースは自分をプロにスカウトしてくれた恩師・根本のダイエー移籍とともにダイエーにFA移籍し常勝軍団を作り上げた。
その時に高卒で入団してきた城島(現マリナーズ)を育て上げたのだ。優勝戦線に残りダイエー初優勝がかかった年の終盤。エース工藤は快調な投球を重ねノーヒットノーランを続け8回2アウトまできた。工藤は8回2アウトで迎えたバッターにカウント1−3とボールを先行させてしまう。そこで城島はボール球を要求した。
「歩かせてもいい。無理にストライクを取りにいかなくても記録は続く」と考えた城島めがけて投げた工藤の球はど真ん中のストレート。ホームランを打たれ記録は幻となった。
工藤は試合後城島に説教をした「あの場面、絶対にボール球は要求するな!ファーボールでチームの士気が下がる事を思えば打たれた方がいいんだ。記録はどうでもいい。チームが気持ちよく勝つことが優勝につながるんだ。ピッチャーの為のフォアボールはあってはならないんだ」と。
城島は涙を流して説教を聴いていたという。
「優勝請負人」と言われた男の心意気を肌で感じた城島はその後順調に成長を遂げ今やメジャーのレギュラーキャッチャーにまで登りつめた。

そんな工藤が45歳にして今尚現役にこだわり自分を追い込んでいる。体のケアは人一倍気を使っているという左腕はまだまだ投げれると感じているようだ。
プロ野球史上最高額の減俸を受け入れてでも現役にこだわる精神を横浜の若い投手陣も見習ってもらいたいと思う。

こんな身近に最高のお手本がいる事の有り難味をもっと感じてもいいのではないだろうか?
工藤公康の現役へのこだわりに改めて賛辞をおくり応援したい。




K・ロッド 

  • 2008/09/21(日) 12:13:19

イチローや城島がいるアメリカンリーグ西地区の優勝の常連はアナハイムからロサンゼルスに本拠地を移したエンゼルスだ。今年もぶっちぎりの優勝を決めたのだが立役者にK・ロッドの名を挙げない人はいないだろう。
ベネズエラ出身で26歳のクローザー、フランシスコ・ロドリゲス投手の通称である。Kは三振のK。まさに三振奪取マシンだ。

不滅といわれた1シーズンの最多セーブ記録の57セーブを簡単に更新し前人未到の60セーブも確実視されているクローザーである。
1シーズンの最多セーブ記録は57。1990年、シカゴ・ホワイトソックスのボビー・シグペンが記録したものだがこの頃からストッパーは限定1イニングが通常とされ勝ち試合の最後に出てくる投手起用が確率されはじめた。
今ではどの球団のストッパー候補も契約時から勝ち試合にしか投げないだの1イニング限定だの球数制限だのとこと細かく決められているのが普通になった。

フランシスコ・ロドリゲス投手の話しにもどすと2002年にメジャーデビューした当時まだ20歳の新鋭は当時から度胸満点のマウンド捌きだった。
当時はまだセットアッパーだったし負け試合にも登板していたがどの試合を見てもテンポよく速球を投げ込む姿にすごいピッチャーがでてきたもんだと感心したのをよく覚えている。その年、ワールドシリーズにも出場し、大きくタテに曲がり落ちるキレ味鋭いスライダーでサンフランシスコ・ジャイアンツの強打者からバッタバッタと三振を奪っていく姿に度肝を抜かれたのを覚えている。近い将来、エンゼルスのいやリーグを代表するクローザーになるのは間違いないだろうと思った選手だった。

確かに、評論家が言うように登板過多による故障が懸念される。
クローザーが3年以上続けて満足な成績を残した例は極めて少ない。近代野球の象徴とも言える投手起用の一番の弊害になっているクローザーの登板過多による故障。マリナーズの大魔神佐々木もヤンキースの象徴リベラもドジャース時代にこの記録に挑んだガ二エも故障しシーズンを棒に振ったし引退の時期を早めたとも言われている。シーズン最多の57Sの記録を持っていたシグペンでさえは94年を最後にメジャー実働9シーズンで引退してしまう。
1シーズン57セーブの最多記録を作ったにも関わらず、通算セーブ数は201。これは2007年シーズン終了時点での通算セーブ記録上位30傑にも入っていないほどの成績だ。登板過多による故障が癒えなかった結果だと本人もコメントしている。

ロドリゲス投手も近い将来大きな故障をするかもしれない。
だからこそそんな大きなリスクを背負ってまで打ち立てたロドリゲス投手の記録をもっと褒め称えてもいいのではないかと思う。エンゼルスのフランシスコ・ロドリゲス投手。
K・ロッドの名を忘れないで貰いたい。



浅尾美和  ビーチの妖精 妹の死を乗り越えて

  • 2008/09/20(土) 10:38:35

ビーチの妖精はやはり照りつける太陽と砂浜、そして笑顔が良く似合う。
たとえコート外で何が起こったとしても・・・。




「浅尾美和」このスターが出現しなかったら日本のビーチバレー界はこんなに注目されていただろうか?大会にこんなにマスコミが集まっただろうか?今週末行われる六本木ヒルズ特別コートなんかで試合が開催できただろうか?大阪では中之島のオフィス街の真ん中で試合を開催し満員の観客を集めた事もあった。
彼女の功績は非常に大きいと思う。確かに実力が伴っていない感は否めないがマスコミを集められるというのも近代スポーツ界においては重要な才能である事は認めてあげたい。


北京の出場を逃したものの抜群の知名度を生かして某局のコメンテーターを努める為北京入りしていた彼女の元に「妹の美紀さんが交通事故にあい重体」というニュースが飛び込んできた。
しかし彼女は病院に駆けつけることなく妹の回復を祈りつつ北京で立派に仕事をこなしていた。目いっぱいの笑顔で感動を伝えてくれた。そして、北京の大舞台で躍動する日本人のライバルや各国の代表がみせる世界クラスのパワーと高さ、テクニックにロンドンへ出場する事を決意し帰国した。





関係者のたゆまぬ努力も実らぬまま美紀さんは今月5日帰らぬ人となった。

まだあどけなさの残る17歳の高校生。

テレビで活躍する姉よりもビーチで泥まみれになりながらボールに食らいつく姉を自慢し心底応援していた妹の短すぎる17年。落胆し涙が枯れるほど泣いた姉はそれでも妹の為にビーチに立った。
亡き妹の形見のネックレスをポイントごとにさわり言葉をつぶやく浅尾美和。優勝する事なく敗れはしたものの妹の為にビーチに帰ってきた妖精は笑顔だった。
「ロンドンに妹を必ず連れて行きます」と気丈にマイクの前で宣言した。それは妹の想いをわかっている姉が「本当の供養は形見のネックレスがロンドンの太陽の下で輝いた時だと」言っているようだった


関連ブログ 浅尾美和 浅尾フィーバーを考える

藤島豊和  EXILEを断った男

  • 2008/09/17(水) 10:47:13

先日行われたフジサンケイクラシックでプロ5年目で待望の初優勝を遂げた男がいる。藤島豊和である。

彼はゴルフよりも上手いと称されるものがある。なんと「歌」だ。人気ユニットのEXILEのボーカルATUSHIさんの前で歌う機会があり、その熱唱ぶりに驚いた関係者はボーカルをオーディションで探していた経緯もあり本気でユニット参加を勧めスカウトしたほどである。今頃、人気ユニットEXILEのツインボーカルとしてテレビに引っ張りだこだったかも知れないのに本人は志したプロゴルファーを目指す事を理由に断ったらしい。

プロ5年目のツアー初優勝で、“本業”でもその才能を証明できたそして、初めての優勝インタビューでは人目をはばからずに男泣き。
しかしそれは、初優勝の嬉しさに感極まって・・・という風ではなかった。インタビュアーに断って、デビュー前からお世話になっているというクラブメーカー、ナイキのスタッフのみなさんを、わざわざテレビカメラの前に呼び寄せて彼らへの感謝の気持ちをとうとうと語り始めたとき、それまで浮かべていた満面の笑顔が涙に変わったのだ。

どんなに成績が悪いときでも、「大丈夫、焦らないで」と言って励ましてくれたこと。クラブや用具に関するどんな無理な要望も、いつでもふたつ返事で請け負ってくれたこと・・・。試合の回想よりもそんな熱い想いを延々と語った優勝インタビューを初めて聞いた。

「いつも僕らに感謝の気持ちを示してくれて・・・。以前から“もし優勝できたらスタッフさんたちにも表彰式に出てもらう”と言い続けていた。言葉だけじゃなく、有言実行してくれたことからも彼の強い気持ちが伝わってきて、本当に嬉しかった」ナイキのスタッフも感極まって涙を流した。

感情を素直に表現したスピーチに、会場はほのぼのとした感動に包まれたものだ。

女子ツアーに比べ、男子はトップを張る選手の年齢層がやや高めだったしツアーの試合数も観客数も劣っていた。しかし石川の出現により少しは注目を浴びるようになった男子も藤島のような20代がもっともっと頑張ればきっと楽しい試合が多く見られるはずだ。歌が上手くて感謝の心を堂々と表せる藤島豊和の今後にますます注目したい。



清原和博の引退

  • 2008/09/15(月) 13:29:04

清原和博が今季でユニフォームを脱ぐことを決めた。いつかはこの日が来る事を、ここ数年はもうすぐでその日が来る事を知っていたとはいえ寂しい気持ちでいっぱいである。

ひと際体格のいい高校生が金属バットを一閃、振りぬくとピンポン玉のようにバックスクリーンに弾き飛ばされたあの瞬間の興奮が僕は今でも忘れられない。
「清原君の為に甲子園がある」と植草貞夫さんの名実況がまだ耳に残っているファンの人も多いだろう。
名門PLの4番を一年生からはり運命のドラフトを経て西武に鳴り物入りで入団。その時高卒ルーキー初の31本の本塁打を放ち西武黄金時代の顔に君臨した。2年目には憧れであり運命のドラフトを演出した巨人を倒して悲願の日本一に。その時9回の守備中に見せた涙はまさに男、清原の真髄を見た気がしてこちらも目頭が熱い思いがしたものだ。
度重なる怪我や若かりし日の悪行三昧が祟り悲鳴を上げる体に懸命に鞭を打ち肉体改造を試みるもここ数年は満足な体に仕上げる事もできず成績はおろか出場する機会すら失っていた。再起をかけ何度も手術をし懸命に努力する姿をすこぶる見せたがらない自分の信条を貫き通しそれでもファンの前で元気な姿を見せることを約束したものの肉体的衰えはどうしても補えなかったようだ。

「無冠の帝王」という言葉がこんなにぴったりの男はこの男以外にいただろうか?
王貞治氏のホームラン記録を凌ぐスピードでホームランを量産してもタイトルはひとつも取れなかったのだ。
球界の七不思議のうちの一つとして伝説にもなるほどの話である。清原和博という名選手の名は今後「記録には残らないが記憶に残る名選手」として語り継がれるのだろう。ファンを大切に思う姿や頑なに頑固なほどに自分を曲げなかったバッティング理論、球界の番長とある意味恐れられしかし慕われ続けた男気・・・

永遠のやんちゃな野球小僧はその大好きな野球から離れる時を迎える。
バットとボール、ピッチャーとバッター、男と男の真剣勝負をこよなく愛しファンを痺れさせてきた男が決断した「引退」の二文字。どんな思いで最後のシーズンを戦っているのだろうか?いやそんな事は考えていないのかもしれない。
ファンの為、家族の為、そしてチームの勝利の為に思いっきりバットを振りぬく事だけに集中しているのだろう。清原とはそんな男のような気がする。

このままオリックスがプレイオフ(クライマックスシリーズ)に残り日本シリーズ、その先アジアシリーズまで勝ち残ればもう少し清原の雄姿が見られると思うと嬉しい限りなのだが・・・・



(写真は最後のKK真剣対決)

郭晶晶? 郭晶晶の幸せとは・・・

  • 2008/09/14(日) 12:42:20

関連ブログ 郭晶晶





北京オリンピックのDVDを見ていてふと気づいた事があった。(見逃した種目やシーンを再度見るのが最近の私の日課である)

飛び込みの女子で優勝した中国の伝説的ヒロイン郭晶晶が見事優勝し金メダルを授与されているシーンである。
表彰式でメダルのプレゼンターは元来、各国のオリンピック委員会の会長や国際オリンピック委員会の要職にある人物が行うのだが女子の飛び込みのプレゼンターを担当したのは香港のオリンピック委員長であった。




なにも不思議でないはずのこの事実。

実はこの人はかねてから郭晶晶が交際を噂され今年の春には妊娠、結婚そして衝撃の引退説まで流れた相手で香港在住の資産家・実業家の御曹司ケネス・フォクの父親なのだ。偶然なのか中国の意図する何かの戦略なのかはわからないが何気に見逃しがちなこの事実をゴシップ紙の記者のような目で見てしまい思わず笑ってしまった。

しかし、この郭晶晶という選手の精神力は凄いという言葉しか出てこない。中国3大ビッグスターといわれた男子バスケットのヤオ・ミンや陸上の劉翔が怪我もあり思うような結果が残せなかったのに対しプライベートまで面白おかしく書き立てられたこの国民的ヒロインはそのプレッシャーをものともせず金メダルをしっかり物にした。
しかも2大会連続で出場した2種目のどちらも金メダル獲得である。

中国で流れるテレビコマーシャルでコカ・コーラやマクドナルドなどの世界的企業から日本の東芝など沢山のコマーシャルにその美貌とカリスマ性をかわれ連日ひっきりなしに登場している。テレビで郭晶晶を見ない日は無いぐらいだ。

そんな彼女ももう27歳。現役引退し本当に結婚するのか?という噂が現実のものになってもおかしくない年になってきた訳だ。アスリートとしての彼女をもう少し見たい気もするが本当の幸せを掴んでもらいたい気もする。破天荒な性格と言動で中国国民全員から注目を浴びてきた彼女の本当の幸せとはいったいなんなのだろうか?答えは本人しかわからないのだろう。



田沢純一  メジャー挑戦を決めたアマチュア

  • 2008/09/13(土) 11:12:26

MAX156キロを誇る今秋のドラフトの最大の目玉候補であるはずの新日本石油ENEOSのピッチャー田沢が大きな決断をしたようだ。12球団代表あてにドラフトでの指名を断る要望書を送付し、大リーグ挑戦を決断したというのだ。

田沢は昨年も複数球団が上位指名候補としてリストアップしたが「会社に恩返ししてプロに行きたい」として残留を表明した。そのときからメジャーへの憧れがあったらしいが一年を経て着実に力をつけメジャー球団の各スカウトの目に留まるまでになったのだ。
元来、プロ志向は強かった田沢だが、昨年11月に台湾で行われたワールドカップに日本代表として出場。国際舞台を経験したことで世界、そしてメジャーリーグへのあこがれが一気に高まった。

今後はメジャー球団による“金の卵”争奪戦となるが、すでに獲得に動きだしているレッドソックスへの入団が有力だ。レ軍は“ポスト松坂”としてオープン戦などにも積極的に足を運んで田沢を徹底マークしてきた経緯もあるし本人の憧れもあるようだ。
しかしメジャーもそんなに甘くなく数万円の給料でマイナーを長く過ごさないといけないだろうし、過酷な状況でトレーニングを積まないといけないし、更に簡単に解雇、トレードされ安泰した野球生活は一切送れないだろう。それでもその道を選んだのだ。

日本のアマ選手が直接メジャー入りする場合、その契約を禁止する規定はない。ただ田沢のように「ドラフト前に米球界入り表明」は初のケースだ。アマ選手に対しては「日米間選手契約に関する紳士協定」があるだけでこれまでに無かったケースに対して日本のプロ野球側も対応が後手になったきらいがある為強く抗議も出来ず少なくとも田沢は本人の意思の元ドラフトを回避しメジャーに挑戦しそうである。

今後は契約のルールが細かく決められるのだろうがまた一人大物ルーキー候補生、そして将来のスターが海外(メジャー)に流出する事になる。

このままだと日本のプロ野球がアメリカメジャーの養成所として扱われるのではないかと危惧している。確かに選手個人の意思を最大限に尊重すべきである。
だから無理なルールを作って流出を阻止する様な事だけは止めてもらいたい。そういうルール作成よりも世界に誇れるレベルと観客動員と選手の給料を保証できるような魅力あるリーグに盛り上げていく事を考えてもらいたい。選手が「日本のプロ野球でやりたい」といい観客が「日本のプロ野球が一番面白い」という環境こそが最高だと思うのだが。




「金」より価値がある「銅」 中村礼子と平井コーチ

  • 2008/09/12(金) 01:21:23

「俺は金よりこの銅の方が価値があると思っているんだ。」

金メダルよりも嬉しく重みのある銅メダルなんて存在するのだろうか?と疑問に思って会見を聞いていた。
前回このコーナーで紹介した平井コーチの会見である。言わずと知れた北島康介のコーチであると共に背泳ぎの中村礼子の専属コーチでもある彼が中村礼子のレース後、語った言葉が耳から離れない。








関連ブログ・・・コーチの名言 「自信と勇気を持ってゆっくり行け」


平井コーチも「康介の金メダルを決して軽々しく思っているわけではない。康介も大変な努力をしたし苦労も重ねた。十二分に敬意を払った上で中村の銅メダルを称えたい。」中村礼子は抜群の水泳センスを持ちながらいつも大一番では結果を残してこれなかった。小さな大会や記録会では抜群の成績とタイムを残すのにここ一番の大きな大会ではプレッシャーに押しつぶされ力を出し切れないハートの弱い選手だった。

そんな中村を指導し技術面の向上は勿論、ハートを強くする為に平井は徹底的にコーチングしたという自負があるようだ。時には睡眠時間を割いてでもとことん話し込み叱咤、激励は勿論、罵声を浴びせてでも中村を駆り立てた。アテネで銅を獲得した時ですら慢心する中村に活を入れ、真っ先に次なる目標を与え褒めることなく北京での金メダル獲得へのプロジェクトをスタートさせた。

とことん追い込んだ練習をこなしても世界との差は縮まるどころか開く一方で中村は挫折し「引退」まで考えるようにもなった日、平井は「もう一度俺を信じろ」と説得しプールに向かわせた。世界ランク3位。予選、準決勝と2位のタイムで決勝に臨んだ北京の100mでは後半失速し6位。「メダル獲得確実」というスタート前のアナウンスが空しく響いた。またもプレッシャーに負けたのだ。泣き崩れ放心状態の中村に平井は力強くこう言った

「礼子、200mが本番なんだ。この悔しさを忘れるな。その涙を覚えておけ。そして200mで獲りかえそう」

中村の200mはそんな平井の言葉とは裏腹に精彩をかいた。 

決勝に残ったものの全体の4位。しかも上位との差は2秒近くの大差。下位との差はコンマ数秒の小差。平井は決断した。「銅メダル獲得へのシナリオの実行を」。それは金メダルを諦めてでも銅メダルを獲得するだけの作戦である。「北京で金」というアテネ以後の目標を捨ててまで勇気ある決断。「金メダルを狙って銅メダルは負けた気がする」しかし「銅メダルを狙って銅メダルを取れたら勝った気がする」そう決めたコーチの決断が正しいかどうかは別にして平井は明確な目標と作戦を中村に伝えた。決勝前のアップでは考えられないタイムトライアルまで課した。そうして臨んだ決勝戦。戦略どおり中村は前半温存し中盤に勝負をかけライバルを慌てさせ後半必至に粘りこんだ。

作戦的中。

中村は3位になったのだ。銅メダルを獲得し”勝負に勝った”のだ。

中村はまたも泣き崩れた。ひと目をはばからずインタビューでカメラを向けられていても構わず泣いた。プレッシャーから開放された喜びを「涙」で表現した。100mで見せた涙とは違う歓喜の涙を流した。一緒に平井も泣いていた。最後に平井はカメラに向かって涙まじりにこう言った

「メダルの価値は色ではない。自分に打ち克った者だけが与えられるご褒美なんだから」

そして繰り返した

「俺は金よりこの銅の方が価値があると思っているんだ。」と。

前田健太  桑田2世の躍動

  • 2008/09/11(木) 13:01:33

赤ヘル再生の切り札。「若きエース」そんな風格すら漂わせるマウンドさばきをみせる19歳。
前田健太投手が躍動してる。

PL学園出身でその潜在能力は桑田2世と騒がれた逸材。「めっちゃ気持ちいいっす。満員のファンが力になりました。やっぱり市民球場で勝つのが、一番うれしいですね」広島ファンの心をがっちり掴む高卒2年の右腕は切れ味鋭い高速スライダーにスローカーブ、抜群のコントロールを誇るストレートとその変幻自在のマウンドさばきはプロ2年目とは到底思えない。

期待されたプロ1年目をプロの厳しい洗礼を浴びるだけに終わった事を反省し
自ら新球のマスターに挑戦しそれをいとも簡単にものにし完成させ自在に操れるなどなかなか出来ろことではないのだ。 
前田の投げるスライダーは一般的なスライダーとは違い、ツーシームの握りで縫い目に指が掛かるぐらい指の幅を広げて投げる独特の球で球速は130キロそこそこと「高速」と呼ぶにはどうなのだろうかというような球だがそのキレ味は抜群である。
「左打者への内角にうまく使えました」と話す通り、9月7日の首位・阪神戦でも赤星・平野・林・金本・鳥谷と続く巧打の強力左打線の内角を怖がらずにえぐる度胸とコントロールには恐れ入った。

高卒2年目での6勝はあの球団史上唯一の200勝投手・北別府氏を超える成績らしい。
若手を育てる事が上手いと評される広島においても隋一の成績を残した右腕に来季、更なる飛躍を期待している。ブラウン監督も「彼はこれからも必要な投手になる」と目を細めて期待しているのだから・・・。

潮崎哲也 魔球・シンカーとの出会い

  • 2008/09/10(水) 11:22:31

都市対抗野球(社会人・クラブチーム野球)を見てて懐かしの名選手という紹介コーナーに目がとまった。

潮崎哲也。

昔、中学生の頃、近所の球場で社会人の大会のボールボーイを手伝った事があった。その時の試合を今でもはっきりと覚えている。

松下電器VS三菱重工神戸の試合だった。

松下のピッチャーはサイドスローの潮崎哲也。後の西武黄金期の名セットアッパーだ。小柄な体を目いっぱい使ってそれでいてしなやかに腕を大きく振り下ろす独特のサイドスロー。ストレートも130キロ後半でそんなに速いという印象を与えなかったがなによりコントロールとキレがよかったのを鮮明に記憶しているそして魔球のシンカー。そ
んなに速くない「打ちごろの球が来た」と思った瞬間。ボールが一瞬にして消えキャッチャーミットの中で再び現れる。そんな球だった。当時、シンカーといえばアンダースローの山田久志(阪急)が操っていたのは知っていたが生で見たのは初めてだった。

登板を終えた潮崎がブルペンでクールダウンをしていた時に駄目もとで声をかけてみた。「
僕は野球が大好きです。学校の中でも一番試合を見ています。そんな僕は今日初めてシンカーという球を見てビックリしました。一度、そばで見せてもらえませんか?」と。

勿論、キャッチャーの先輩風をふかしていた方に「あっち行け」と一喝されたが潮崎はニコッと笑って僕にこう言った「僕、バッターボックスに入ってみていいよ。全力では投げないけど球の軌道がわかるぐらいに投げてあげるょ」と。

嬉しかった。

本当にドキドキした。そして一球だけ魔球を見せてもらった。
「凄いです。消えたかと思いました」興奮冷めずにこう言ったのを覚えているが実際は緊張していたのか全く球の軌道が見えなかった。その興奮が消えないまま秋を迎え、当時、野茂が注目されていたドラフトで西武に「潮崎」が指名された。あの時の「魔球」を引っさげて。

それから数年経ったある日。高知県の春野でキャンプを張っていた西武の練習を見に行った。正直言うと清原が目当てで潮崎の事はかすれていたがブルペンから引き上げてきた潮崎投手に声をかけてみた。

「こんにちは。松下電器の試合でボールボーイをして一度だけバッターボックスに立たせてもらったあの時の中学生です」と。すると潮崎はめんどくさがる事なくこういった。「覚えているょ。中学生相手にシンカー投げたのはあれ一度きりだからね」と。
続けてこう言った。「でも、あれはシンカーでなくただのスローボールだったんだ」と笑われた。複雑な思いがしたが僕は今でも信じているあれは紛れも無く魔球「シンカー」だったと。

少年の心を揺さぶった魔球・シンカー。そんな野球少年に夢を見させるようなプロ野球選手が最近はめっきり減ったような気がする。それがファンも選手も一応に「メジャー」にあこがれを持つようになっている原因のような気がしてならないのだが・・・



ヤンキースの敗北

  • 2008/09/09(火) 11:04:16

ヤンキースが華々しい過去に終止符を打つ時がいよいよ来たようだ。

13年間連続で出場していたポストシーズンへの出場が極めて難しくなった。「ヤンキースの今季は終わった」と誰もが考えているようだ。
選手はもちろん、そんなことは口にしないが、クラブハウスに入れば、その空気が明らかに違ったそうだ。9月8日現在で地区の首位を行くレイズと10ゲーム差、ワイルドカードを争う宿敵レッドソックスとも8.5ゲーム差残り試合数が19試合。難しいという数字ではもはや無くなったのは誰が見ても明らかである。

最後にヤンキースがポストシーズン出場権を逃したのは、1993年のことであの歴史的ストライキで中断する以前の話。更には野茂英雄が鮮烈なデビューを飾る以前の話にまでさかのぼる。

毎年のように大型補強を敢行し金満野球の象徴だったチームが静かにその幕を下ろすことになった。くしくも今年はヤンキーススタジアム最後の年。来年からの新球場移転が決まっている。ベーブルースやルーゲーリックをはじめ幾多の伝説のプレイヤーが憧れ誇りにしてきたピンストライプのユニフォームを今年はポストシーズンでは見れないのはやはり残念だがこれも時代の移り変わりなのか?

毎年、毎年スタートダッシュに失敗しつつもどこか選手もファンも、「もう、後がない」そんな状況に苦しみながらも、楽しんでいた8月、9月のニューヨーク。今年はもう来季に向けて監督交代や大物選手のトレードなど噂が絶えない状況になっているそうだ。

近年はその金満補強ぶりやオーナーの力の陰りなどからファンが随分離れているらしい。インターネットや衛星放送の普及で野球ファンもヤンキース一辺倒からわが町のチームをひいきにしアンチヤンキースが多くなってきているらしい。
日本のどこかのチームの様だがヤンキーススタジアムが満員にならない日の方が多くなってきたこの時に一時代の終焉を迎えたヤンキースの来季以後の巻き返しを期待するオールドファンは今、どれだけいるのだろうか?

ハンス・オフト

  • 2008/09/08(月) 14:19:53

日本サッカーを変えた指導者の一人にこの人の名は必ず入ってくるだろう。
ハンス・オフト。




日本代表史上初の外国人監督として名をあげた男である。
オランダ出身のオフトがサッカー後進国の日本のまだプロ化もされていない時に日本リーグのヤマハ発動機(現ジュビロ磐田)のコーチとして招聘されその後マツダ(現サンフレッチェ広島)のコーチを歴任しヨーロッパの最新戦術をいち早く取り入れ低レベルと酷評された日本リーグでその指導力は真価を発揮していた。
当時のヤマハもマツダも日本リーグの2部に所属し苦戦を強いられていたチームだったがオフトは見事に一部に昇格させたり、天皇杯で優勝させるなど輝かしい戦績を残し「優勝請負人」と称された。
その後、一度母国に戻るが1992年。満をじして日本代表監督に就任する。世間ではまだ、サッカーブームもなく(当時はJリーグも始まっていない)しかも無名の外国人監督就任という事で報道陣もまばらだった。しかしこの外国人監督が日本の歴史を次々と変えていくことになるのだ。

全く無名の森保と言う選手を当時はあまり重要視されていなかったボランチ専門選手として代表に呼び使い続けた。
キリンカップなどで戦ったアルゼンチンやハンガリーの選手から後進国の日本に「こんないいボランチがいるなんて」と驚かれたほどの輝きを放っていた。また当時は所属クラブでのポジションでそのまま代表のポジションをという今では考えられない間違った

常識を覆し、クラブではセンターフォワードを張っていた福田をウイングの位置にさげたりゴン中山をあえてスーパーサブとして温存しここ一番で出場させるなどアイデアは豊富だった。
戦術も徹底的に足元を鍛えパス&ゴーの基本中の基本を植え付け「アイコンタクト」という流行語まで作った。日本をアジア大会で初優勝させるなど結果を残したものの初出場を目指したワールドカップ予選では「ドーハの悲劇」の監督としてその名を更に轟かす事になった。

そんなオフトが低迷するジュビロの監督として日本復帰する事になった。

あの時よりは少しはレベルが上がったJリーグでまたどんな指導を見せてくれるか今から楽しみである。

コーチの名言 「自信と勇気を持ってゆっくり行け」

  • 2008/09/07(日) 10:57:40

北島康介の2大会連続2冠は本当に凄いことである。
並外れた集中力で相当なプレッシャーをはねのけ金メダルを獲得した事には驚愕させる。
北島という選手は普段は気さくで明るい性格だがこと水泳に関してはストイックで他人を寄せ付けないオーラを持ち合わせている。そんな北島が世界でたった一人だけ水泳に関してアドバイスを聞き入れ指導を仰ぐ人がいる。

平井コーチだ。

早稲田大学で水泳部に属していた平井は志半ばで選手として見切りをつけられる。それでも水泳が好きで諦められなかった平井はマネージャーとして部に残留する事を決めその日からコーチ補佐(といってもストップウォッチ片手に雑用係)としてタイムスケジュールから選手の体調管理、精心的ケアと精力的に働き担当の選手がレースで結果をだすと我が事の様に喜んだ。

いつしか選手の表情や動きでタイムが予想できる様にまでなり、日によって違う選手の泳ぎをメモする事によりアドバイスをするまでになった。

そんな平井に運命の出会いが。北島康介との出会いだ。平井は卒業後、大手会社に就職が内定していたが自ら取り消し東京スイミングクラブで専属コーチとしての道を歩き始めた。北島康介と共に歩く事を決めたのだ。

北島は当時から信頼した人間にはとことん心を許すがそうでない人間とは口もきかなかった。
北島の心を見抜いた平井は心に決めた事を守り続けた『否定語を使わない』と言う事を。「やっちゃいけない」「これはダメ」でなく、「こうしようか」「このやり方はどう思う?」そう会話をして平井は北島から信頼を受け北島は平井の事はなんでも聞くようになったしかし「黙って言うことを聞け」と言われて従うばかりではトップ選手になれないと悟った平井。

平井は当初のやり方を変えなかった。怒鳴ったりする事も練習を強制する事も極めてなかった。家族よりも長く一緒にすごすようになって13年目。平井は、北島のプライベートを驚くほどに知らない。それが平井流の北島康介指導法らしい。

北京の決勝前に緊張し世間で騒がれるほど簡単でないレースを前に平井は13年目で一番強く北島に伝えた言葉がある。

「康介、自信と勇気を持ってゆっくり行け」

真意はこうだ。

準決勝で北島はあせるあまり独特の大きな泳ぎが出来ず腕の回転に頼った泳法になっていた。

いつも17ストロークで最初の50mを泳ぐのに準決勝は19ストロークも要していた。これは早くかいでいるようだが相当体力的に後半に負担がくるのだ。「あせりは絶対だめだ」「落ち着いて行け」という言葉を平井は「ゆっくり行け」と言う言葉に集約させてみせた。そして決勝戦。なんと北島は16ストロークで前半を泳ぎ余力を残したまま後半はぶっちぎりなんと世界新記録までつけてみせたレース後、北島はその涙に満ちた声で平井に抱きついた「先生の言う事を聞いてよかったっす。ありがとうございました」北島は手にした金メダルをはじめて公然の前で平井の胸にかけてカメラの前でこういった「これは先生の金メダルです」と。

平井は「初めて金メダルをかけてもらった」と照れたがしっかりと北島と握手をし涙を流しながら最後にこう言った

「これでやっと俺も康介に認められたかな?」と。



国の誇り☆スーパードリームチーム 北京オリンピックから

  • 2008/09/06(土) 13:14:02

世界最高級のドリームチームが国の威信と個人のプライドで結束した時こんなに強いのかと改めて驚かされた。NBAの至宝たち。レブロン・ジェームス、コービー・ブライント、ジェイソン・キッドにカメーロ・アンソニー、ドェイン・ウェード・・・
聞いただけで鳥肌が立つほどの豪華メンバー、オールスター戦でもこんなメンバーは集まらないと言われるほどのまさに真のドリームチーム。

試合前にコービーを中心に輪を作った。星条旗をかざし「世界一に返り咲く為にここに来た。俺たちの誇りはコートにしかない」毎試合こう連呼した。明らかに格下相手の予選リーグでもコート上の5人はいつもベストメンバーだった。
スターター(先発メンバー)5人の年俸総額で100億はするほどのメンバーが”王国復建”というそれだけで集まり全力を出していた。

直前合宿でも「五輪最終日の8月24日に表彰台の真ん中に立って、国歌を聴いている自分たちの姿を思い浮かべろ」とコービーはこう仲間を鼓舞した。言っておこう1992年のバルセロナ大会からマイケル・ジョーダンを中心にドリームチームを結成してきたが直前合宿をはったのは今回が初めてなのである。激戦のNBAをフルシーズン戦った各チームのスター選手がなんと合宿までしチームの結束を高めて望んだ今大会は決してショーでも思い出作りでもなく誰が一番強いかを世界に知らしめる為に来たのだ。

話は若干それたが・・・

そんなアメリカの象徴「ドリームチーム」は前回のアテネでは屈辱の銅メダル、さらに復権をかけた日本開催の世界選手権でも3位、ここ10年世界大会クラスでは優勝していないのである。そこで立ち上がったコービーを中心とした今回のチームを「リディームチーム」と自らを呼んだ。直訳して「名誉挽回」チームと言う訳だ。

今回のチームに与えられた使命として単に金メダルを取ればいいというわけでもなかった。金メダルとともに、世界からの敬意を取り戻す必要があった即席の準備不足のチームで世界の舞台に立ち、それでも勝って当然という態度を取っていた米国に対して、他国は敬意を抱くどころか傲慢だと批判するようになっていた。敬意を取り戻すためには、対戦相手に敬意を払って本気で準備し、そして実力で勝つことだった。コート上とコート外の両方で世界一のチームとしてアメリカがそしてNBAが復権することが、“リディームチーム”の使命だったのだ。

掲げる12個の金メダルと一番高いところに掲げられた星条旗、流れる国歌・・・

12人の意地とプライドを集結し国家の威信をかけて全力で戦ったアメリカチームに世界中から敬意を表されている。個人の成績では決して測れないチームとして機能したドリームチームを見た人は世界最高の『スーパードリームチーム』と呼ぶ事になるだろう。



大学生に負けたフル代表 日本代表の苦言?

  • 2008/09/05(金) 11:06:19

『「岡田JAPAN」仮想バーレーンに向けてテスト完了』それでも新聞紙上にはこのような文字が躍る。
緊張感のないまま終わろうとしていた国内最終合宿最終日にビックリするような事態になってしまった。

岡田JAPANでも初めてで近年の代表では前代未聞の大学生相手の練習試合で敗戦したのだ。

しかも相手は大学界ではそこそこ強豪とはいえ2日前に天皇杯の地区予選をガチンコで戦ったばかりのチーム。初戦のバーレーン戦を想定して本来のシステムとは違う3バックをさせ、更に持ち前のパス交換サッカーを封印して
ロングボールからのカウンターを主戦術にさせ、更に組織立ったプレスよりも中東アジア特有のマンマークまでさせた。そんな制約をつけた大学生に負けたのである。

親善試合のウルグアイ戦の大量失点の反省を踏まえ「守備でプレッシャーをかける」をテーマに掲げたが、連動した動きができず、組織的な守りから攻撃への素早い切り替えはむしろ相手の流通経大の方ができていた。

大学の監督もさすがに「これから戦いに行く代表としては迫力がなかった。これが代表の姿と思うとどうなんだろう」と心配したほどでさぞかし出来の悪さに岡田監督も怒り心頭かと思いきや

「今までやってきたことが生きてないわけじゃない。現れていないだけ」
とちんぷんかんぷんな事を言っている。「中村俊輔らヨーロッパ組が加われば攻撃の方は変わるでしょう」と丸投げを示唆し楽観的コメントまで。

これでもし、アジアを勝ち上がったらアジアのレベルは相当低いという証明になるほどのチームでいよいよ最終予選に臨む。

関連ブログ サッカー日本代表に苦言 『絶対に負けられない戦い』??

錦織圭  テニスの王子様の進化

  • 2008/09/04(木) 14:37:03

テニスの王子様は第二の故郷アメリカで更なる進化を遂げた。

注目の全米オープン3回戦にノーシードから勝ち上がった錦織が旋風を巻き起こしていた。男子シングルス3回線。冷静だった観客がいつの間にか錦織圭とフェレールの名を交互に大合唱していた。世界ランク4位で今大会も第4シードのフェレール相手に互角以上の打ち合いを見せ、錦織圭独特のリズムで繰り出される強烈なフォアハンドに観客が酔いしれている。




「嬉しいとしか言いようがない。最後まであきらめないで戦えた」「決まりきったプレーは好きじゃない。お客さんをびっくりさせるようなことをしたい」流暢な英語で勝利者インタビューに答える18歳はまさに日本のテニス界を変えた男になった。

「後半からいつもの強いフェレールになってきたので大変だった」といとも簡単に世界ランク4位をくったようなコメントを残すあたり大物の片鱗が十分にうかがえる「マッチポイントを握ったときはさすがに緊張で手が震えた」笑うが何度も言うが相手は世界ランク4位で錦織圭より122も上の選手である。
世界トップランカー相手に「5セット戦えることを楽しもう思った」と言えた選手が過去にいただろうかこれは本当に凄い事である事を皆さんにわかってもらいたい。

4回戦ではこれも若手の成長株アルゼンチンのデルポトロにストレート負けを喫したが全米中にしらしめた錦織圭の名前と技術。
華麗で繊細でそれでいてアクロバティックな魅せるテニスで魅了した「シルクパフォーマンス」(絹ような動き)と称されたプレーが更なる進化を遂げる日を早く見たいものである。成長過程中にある体のバランスを整え、故障をしない体を作り上げもう少しプレーの精度が上がれば世界のトップ10には入ってきそうな逸材である。

そのちょっとした体の強さであったり精神的なタフさが難しい大きな差であるのだがそのちょっとした差の中に入ってきた事事態が既に凄い事であろう。

ますます楽しみな選手である。



サッカー日本代表に苦言 『絶対に負けられない戦い』??

  • 2008/09/03(水) 11:06:53

「絶対に負けられない戦い」とい声があちらこちらから聞こえてくる。
監督自らも「背水の陣」という言葉を何度も使って危機感をあおっている。
サッカー日本代表がいよいよワールドカップに向けアジア最終予選に挑む。

韓国、オーストラリアのワールドカップ常連国に、カタール、イランなどの中東勢・・強豪は多数いるようだが南米やヨーロッパに比べると所詮、アジアの中の低レベルな戦いに過ぎない。されど、同じアジアに属する日本も世界に目を向ける前にアジアで勝ち抜かなければならない。

そんな試合を前に最終合宿が始まりいよいよ緊張が高まってきたのかと思いきや「リラックスムード」だの「余裕の調整」などといった見出しが新聞紙面をにぎわしてる。
口では「背水」といっておきながら”へらへら”笑いながらのウォーミングアップにはじまりパス回し、極めつけは談笑しながらのシュート練習。もちろん、正確にゴールをとらえる事も無く・・・勿論、真剣にシュートしても入らない下手くそばかり集まっている事はしっているが彼らにはどうやら日本の代表の誇りであるとかは一切無く単なる「おごり」だけがあるようだ。

チームの中心のはずの遠藤(G大阪)は言った。「精度は技術的な問題。もう少し上げていければ・・・」こいつは本当に馬鹿なのか?それとも自信過剰のビックマウスなのか?その精度とやらが上がらないから北京で惨敗し、世界の強豪には歯が立たず、アジア大会でも勝てない原因ではないのか?

いっそのことアジア予選で惨敗を喫し「ワールドカップに出場して当たり前、決勝トーナメントにいってあたりまえ」という論調や選手のばかげた意識を完全に追い払ってもらいたい。それが今後の日本代表への最良の薬になると思うのだが・・・・

石井慧 JUDOを制した男と協会

  • 2008/09/02(火) 02:55:13

石井慧。柔道の天才がJUDOの王者になった。




21歳の若武者はその破天荒な言動で周囲を冷や冷やさせるものの本職の柔道ではオリンピック金メダリストである。日本の男子が世界の変則的な組み手から力でなぎ倒すJUDOと言われる所からついていけず、メダルも取れないほどの大惨敗を喫した。そのショックを振り払おうと躍起になっている。協会はそれでも日本古来の「柔道」というしっかり組んで相手を崩して一本をとるという形にこだわりを見せている。

石井は「JUDOが漢字であろうがカタカナであろうが日本古来であろうがそんな能書きは要らない金メダルをとったものが一番強いんだ」と言ってはばからない。

そんな石井を協会は良く思わないらしく報道規制をひく様にまでなっている。石井は確かにビックマウスだし破天荒かもしれない。だが、世界チャンピオンだし日本の選手の誰よりも強く成長しそして誰よりも早く世界のJUDOを研究し追及してきた先駆者であるはずだ。
しかも日本選手の誰よりも多くの稽古をしている日本一の才能を持った日本一の努力家でもある選手だ。そんな選手を協会は面白く思わない方がナンセンスだと思う。いっそのこと石井をマスコットや広報部長として柔道の普及に努めるほどの度量が見たいとさえ思う。




「サボってるやつは嫌い」「人付き合いは狭く深く」がモットー。
学生時代から先輩、後輩問わず強い選手を見つけては胸を借り、伝統の「一本」より『勝ち』にこだわって攻め続ける柔道を目指してきた。「努力の天才」と呼ばれ続けた高校時代は自主的に毎朝走り多いときは一日8時間も練習した。

その性格は強さの半面、繊細さを併せ持つ神経質だそうだ。「大きなことを言うのは自分を鼓舞するため。本当はナイーブ」と指導してきた先生方はこぞって石井をそう評するあの斉藤仁全日本監督でさえ「横柄に見られるが、ぶきっちょ。勝つことに誰よりも貪欲で、形やスタイルにこだわらない。今までにないタイプ」と初めて石井を見た時に思ったらしい。

そんな石井が小さくまとまるところを見たくないしもっともっと大きく羽ばたいてもらいたいと心から思うのだが・・・

過去関連ブログ?石井慧  努力の天才柔道家

過去関連ブログ? 惨敗の男子柔道を考える

松永祥平

  • 2008/09/01(月) 11:47:25

オリンピックの影に隠れてビックリするニュースが日本のサッカー界を駆け巡った。
静岡の全国的には無名の加藤暁秀高出身の19歳・松永祥平という選手がドイツのブンデスリーガの強豪シャルケ04というチームとプロ契約を結んだのだ。

日本では全くといっていいほどの無名だった19歳が大きな大きな夢をつかもうとしている。松永は高校卒業後、進学した国士大を練習方針が合わない事を理由に入部2ヶ月で中退し、知り合いのつてを頼って単身ドイツ2部リーグのアーヘンの練習に参加した。

性のボディバランスとドリブルの技術、左右両方から繰り出す事ができる正確無比なキックが注目され、すぐにシャルケの2軍の練習に呼ばれるようになった。練習試合でもトップ下などでプレイし自らも屈強なディフェンス陣を切り裂いてゴールを挙げるなど活躍を見せた。

シャルケ04というチームはここ数年常にリーグの優勝争いに顔を出し2位、2位、3位と安定した実績を残しヨーロッパの最高峰、チャンピオンズリーグにも出場する強豪チームである。そんなハイレベルの中で輝きを見せたのだからこれは凄い逸材かもしれない。ドイツと言えば“パワーサッカー”のイメージが強いが近年は日本からも長谷部や小野、稲本など器用でクレバーな日本人プレイヤーが重宝されている。
「トップ下も左右MFもこなせる。19歳という年齢も魅力」とチーム関係者のコメントを聞いても「能力の高い十代の選手なら欧州でも活躍できる選手を自力で育てられる」という判断が契約にまで至ったのだろう。

すぐにトップチームの試合に出てこれるほど甘くは無いがこの2年をしっかり体を作りスピードとパワーになれる時間に充て地道に努力を重ねればいつか大きな光を放つ存在になるかもしれない。楽しみな選手である事は間違いないようだ。


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