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WBCを振り返る

  • 2009/03/31(火) 00:18:05

第2回WBCは原監督率いる侍JAPANの劇的な2連覇達成で幕を閉じた。

日本国内の経済効果が550億円だそうだが、世界では・・・他の出場国を含め海外の諸国ではどうだったろうか?

日本ほど盛り上がった国は韓国ぐらいで開催地アメリカでさえ大きな盛り上がりに欠いたような気がしてならない。

開催された球場の雰囲気や試合内容の密度の濃さ参加選手のレベルなどどれをとっても前回大会を上回り国際大会として相応しいものだったとは思うのだが・・・・

日本国中がすっかり祝勝ムードに浸っている最中に水を差すようで恐縮なのだが・・・・

連日報道されているように日本にとっては最高の大会だったと報道されているが本当に“世界一”決定戦になったのだろうか? 

僕は、大会運営に関して大きな課題を前回大会以上に積み重ねた形になったと思っている。
結局、大会を通じて感じたのはWBCが国際大会というのは名ばかりであくまでもMLB(アメリカメジャー野球)の国内収益イベントであるという趣がとれないのが事実ではないか?

出場国であった南アフリカやオーストラリア本国からアメリカへ取材に来たメディアは誰一人としていなかったという。

現地在住の特派員の情報は逐一ニュースになったようだが出場国でさえ大きな盛り上がりを見せていなかったのだ。
サッカーのワールドカップとは比較にならないほどの盛り上がりの低さに大会の意義を疑ってしまう。

開催国のアメリカでも同じだ。

MLBのファン層である米国民のほとんどから関心を集められなかった分、試合では観客席に空席が目立ち、同時期に開催されているメジャーの有名チームのオープン戦に負ける観客数の入りの試合も多々あった。

もし、日本や韓国が第1次予選で敗退していたら興行的に大失敗だったと思うとゾッとする関係者も多いのではないだろうか?

開催時期や所属チームとの契約問題、球数制限に準備期間や準備金のチーム格差などなど、すべての選手たちが心ゆくまで本当の世界一を競い合える大会になるには幾つものハードルがある気がしてならない。

その大きなハードルを越えなければ野球が再びオリンピック種目になる日は来ないであろうと思う



岩隈久志

  • 2009/03/30(月) 03:14:34

岩隈久志。
楽天のエースであるとともに日本球界のエースとして大ブレークしたWBCでの大活躍。

MVPの松坂からも「本当に岩隈に申し訳ない。MVPは岩隈だ」と絶賛された活躍だった。
負ければ敗退という崖っぷちのキューバ戦やプレッシャーが最高潮だったろう決勝の韓国戦の熱投に感動したファンも多かったと思う。

すらっとした体格に手足が長くはにかんだ笑顔がとてもプロのピッチャーという感じがしない好青年。彼のことを「仙台の貴公子」だの「球界のバンビ」と呼ぶファンも多いが、なかなかどうして本当は気の強いハートの熱いピッチャーなのだ。

ムチのように長くしなる柔らかい手から繰り出されるスライダーやシュートは切れ味抜群で三振奪取よりも内野ゴロの山を築かせるタイプのピッチャーだ。しかし本来のスタイルは軟投型のピッチャーでなく150kmを超えるストレートでどんどん押しまくる剛腕派だった。

近鉄在籍当時にたまたま家族で出かけた美術館でコーチであった広橋氏の家族と遭遇しそこで紹介された広橋氏の娘さんに一目ぼれ。
まだ10代だった娘さんに猛アタックをし結婚したのだ。
さらに近鉄がチーム合併になった時も当時の近鉄の絶対的エースだったのにもかかわらず父親の広橋氏が楽天移籍するなら僕もと直談判し意見を押し通し強引な形ではあったが信念を曲げずに楽天に移籍した。

しかしここまで順風だった野球人生に大きな狂いが生じだすのだ。

年連続15勝をあげ最多勝のタイトルを獲得するなど球界のエースとまで言われたものの楽天移籍後は肩や肘の故障に苦しみ手術まで受けリハビリの日々を送った。期待された2年間で上げた勝ち星はわずか6勝だった。

「岩隈は終わった」とか「楽天移籍は単なるわがまま」などのバッシングが彼を襲った。

復帰後も150kmのストレートにこだわりを見せる岩隈に「速さよりもコントロール」「160kmの剛球よりも135kmのキレのあるまっすぐ」と
教え込んだのが野村監督だった。

野村監督は岩隈の大名刺だった大きなスライダーを変化の小さいものの肘に負担の少ないスライダーに変えさせ、シュートを覚えさせフォークも投げさせた。
岩隈も天性の器用さを見せ見事にピッチングスタイルをチェンジさせたのだ。その後の活躍はいうまでのないだろう。

さらに岩隈には忘れられない屈辱があった。

近鉄のエースだった2004年に初めてつけた日の丸のユニフォーム。期待され先発したアテネ五輪のオランダ戦で緊張のあまり全くストライクが入らず2回もたずに簡単にノックアウトされてしまったのだ。
格下相手のこの失態に岩隈はもう二度と登板の機会は与えられなかった。21勝を上げた昨年でさせも外国人には弱いというレッテルから北京オリンピックの代表にさえ選んでもらえなかったのだ。

そんな岩隈を迷わずWBCの先発の一員にと推したのが同じ名前の山田久志ピッチングコーチだった。

緩急と抜群のコントロールを武器に内野ゴロを打たせる新しい岩隈のスタイルは間違いなく外国チームにも通用すると信じたのだ。

国際経験の豊富な和田をメンバーから外し北京で活躍した涌井や杉内を中継ぎに降格させてでも選んだ岩隈が期待通り、いやそれ以上の活躍をしてくれた。

たしかに速い球を投げるピッチャーはすごいと思うがそれ以上に凄味を感じさせてくれた岩隈のピッチングはまさに芸術の域だったと思っている。



イチロー  最後に決めた千両役者

  • 2009/03/28(土) 04:03:30

やはり最後はイチローだった。

「ここで決めなければ」とか「俺が決めてやる」そんな思いがチャンスの場面でプレッシャーとなり時として力が出せない。そんな事はアスリ―トなら誰でもわかっているだろう。

もちろん、イチローもその場面で冷静にそんな事が頭をよぎったと振り返っている。
トップアスリートにとって最大の敵はプレッシャーや緊張といった精神的な重圧だ。その場面で同じ気持ちになった時どれだけ冷静になれるかどれだけ自分を客観的に見てその重圧を分析できるかが超一流になれる条件だと思う。

1OUT1塁・3塁の一打勝ち越しの場面で原監督の選択肢はこの日先発し好調だった片岡に左の代打を送った。前日大活躍したムードメーカー川崎だった。

勢いよくベンチを飛び出し自分を鼓舞するようにフルスイングの素振りを繰り返す川崎を見て、僕は「やばいな」と思った。
小柄な体に似合わず気持ちでプレーするタイプの川崎がはやる気持ちを抑えきれない状態、競馬にたとえて申し訳ないが”かかっている”感じさえした。
しかも初球から高めに入ってきた。その球を迷わず強振。いつものスイングではなく完全にアッパースイングしかも状態が前に突っ込んだ形で完全にミスショットの内野フライ。

川崎の頭の中に「ここで決めなければ」とか「俺が決めてやる」そんな思いが大きかったのは明白だった。

そして2OUTになってイチローの登場だ。

ここで韓国の守備陣形を再確認してみるとファーストの選手はベースを離れ長打を警戒している。
ランナーの岩村は簡単に走れる状況だがここで2塁に行けばイチローを敬遠する作戦のようだ。
岩村をあえて走らせずにイチローに任せるという選択肢もあったはずの日本は初球から迷わず岩村をスタートさせた。
楽々盗塁成功し予定通りイチローを敬遠し中島勝負かと思いきや韓国バッテリーはイチローとの勝負を選んだ。

試合後、韓国の監督は「イチローとの勝負を避けるようサインをだした」とコメントしたがバッテリーはそれを見落としたほど周りが見えていなかったのか?それともベンチの意向を無視してイチローとのいわば”直接対決”を選んだのか?
韓国ベンチもイチローを追い込みファールで粘る所でタイムをかけてでも明確な指示を出すべきだった。韓国ベンチにも迷いがあったのが事実だろう。

イチローも川崎同様「ここで決めなければ」とか「俺が決めてやる」そんな思いがあったろうがファールで難しいボールをしっかりカットしボールに対する慣れをやしない、アジャストしていくのだった。そして高めの失投をしっかり捉えた。

その勝負強さがイチローと川崎との技術以上の精神的な部分の大きな違いだと改めて感じた。

それまでの打率やここまでの調子の良し悪しは関係なく、その瞬間の精神的勝負に勝ったイチローの凄さはもっと称えられてもいいと僕は思う。
韓国のベンチワークのまずさに助けられたとはいえここ一番でヒットを打つ技術以上の精神的な強さをもったイチローは本当に何か持っていると思う。

流石は「イチロー」だった。



WBC優勝  スコアラーにMVPを

  • 2009/03/26(木) 17:00:09

韓国とのいわば「直接対決」を制して2大会連続の優勝を成し遂げた原監督率いるサムライJAPAN。




勝負を分けたものは一体何だったのだろうか?それは情報収集力と分析力、対応力だったと思う。さらに言えばスコアラーの力の差だったと思う。

序盤から苦手意識のある韓国の先発ポン・ジュングン攻略はデータ通りに対応できていたと思う。
たしかに緊張からかこれまでの2戦の出来とはいかなかったが内角に角度のあるストレートとチェンジアップのコンビネーションは健在だった。
しかし日本の各バッターも失投は間違いなく捕らえていたし上手くつながれば序盤に大量点が入ってもおかしくない位の攻略を見せた。
ここ一番での打ち損じやゲッツーなど詰めの甘さで点が入らず苦労したがポン・ジュングンは完全に見切っていた。

対して東京ラウンドで岩隈に土をつけたとはいえ完全に抑え込まれていた韓国打線から大きな工夫は感じられなかった気がする。
東京でのシュートの残像が残っていたのか外のスライダーとストレートの組み合わせにタイミングが全然あってなかったようだ。
岩隈が先発しキューバも手こずった外角に見事にコントロールされたスライダーへの対応が情報不足だったのか見切れていなかったのが序盤に点差以上の差を感じさせた内容の差だったように思う。

この情報力とその情報に順応する対応力の差で日本はどの試合においてもアドバンテージを握り続けたのが優勝の大きな要因と僕は思っている。

対応力でいうと韓国投手陣の2枚看板であったはずの北京で完ぺきに抑えられたキム・ガンヒョンと100kg以上の体格から剛球を投げ込むリュ・ヒョンジンがWBCの公式球になじめず思い通りのピッチングができなかったのだ。

キム・ガンヒョンは日本戦に先発してメッタ打ちにあいその後はなんと中継ぎに回ってしまった。同じく期待されたリュ・ヒョンジンも中継ぎに甘んじ、唯一の先発となったメキシコ戦では序盤に大量失点をしノックアウトされている。このリュ・ヒョンジンを実は日本が一番警戒していた剛腕だった。

北京オリンピックでキューバを相手に真っ向勝負を挑み完璧に抑え込んだあのストレートは僕は世界一の左腕ピッチャーだとさえ思ったのだ。
リュ・ヒョンジンが本調子だったらと思うと日本は優勝できただろうか?とさえ思うほどのピッチャーなのだ。

日本のスコアラーも何度か対戦して情報をしっかり持って分析をしつくした。キム・ガンヒョンより情報の少ないリュ・ヒョンジンの対応に心底困ったと言っている。
その2人の左の先発エースがともに調整遅れを露呈しすべりやすい公式球への対応が遅れ本来の出来から遠い調子に終始したのだ。
一方の日本投手陣は早くから公式球に慣れ、対応に遅れた西武の岸をメンバーから外すなどその適応力の早さを実践してくれた。

それでも9回土壇場で追いつき延長戦にまで粘った韓国のチーム力にも脱帽だ。
パワーやスピードなどでは互角か日本以上のポテンシャルを感じた。今後は日本以上に世界の中心に君臨する感じさせさせた。

このポテンシャルに国際試合特有のルールの違いやボールも含めたすべての状況に応じて適応できる
対応力を得れば日本にとって今以上の強敵になる気がしてならない。

以上の事も含め日本野球の根底を支えたスコアラー達に影のMVPを贈りたい。



WBC準決勝アメリカ戦から  ベースボールの落日

  • 2009/03/25(水) 22:06:08

WBC準決勝「日本対アメリカ」を見て改めて日本野球とアメリカベースボールの違いを感じずにはいられなかった。

体格・パワーでは到底かなわない現役メジャー。しかもトップ選手ばかりを並べたアメリカチーム。たしかに辞退者や故障者の続出で当初のベストメンバーからは3〜4割ダウンの戦力になってしまったことは否めないがそれでもジーターやライトをはじめとしたメンバーはそうそうたるメンバー構成だった。

対する日本は体格やパワーを補うだけのスピードと緻密さ、何より情報量で勝っていた。
例えば投手力。
先発陣はなかなかの顔ぶれのアメリカチームもセットアッパーや抑えは各チーム事情や契約問題と重なり専門職の投手を用意した。
しかしここに辞退者や故障者が重なりしかも春先のシーズンで到底ベストピッチングは期待できないメンバー構成となった。そんな投手陣の弱点を徹底的にスコアリングし分析、研究を徹底した日本のスコアラーは影のMVPと言って過言ではないだろう。

この日の先発・オズワルドもこぎみいいピッチングをみせるものの大きな武器となる変化球もなければ剛速球で押しまくるタイプでもない為日本の各バッターはスコアラーの報告通りのピッチングにしっかり対応し2順目の打席では完全に見切っていた感があった。

しかも連打を浴びた先発を交代させようにもブルペンで次の投手が全然準備していなかった。ベンチワークの悪さを露呈してしまい次の投手の準備ができるまで3連打を浴び傷口を広げてしまった。

日本では考えられない光景だった。
ブルペン担当の投手コーチを配し電話で密に連絡をやりとりし最高の状態でマウンドに上がれるように準備するのも戦術のひとつであろうに。アメリカチームにそれはなかった。




リードされモチベーションの上がりにくい場面での登板も日本の攻撃陣に付け込まれた大きな要因となったようだ。

更には守備面だ。たしかに肩の強さは流石はメジャーと思わせるプレーが随所に見られた。
その反面、送球ミスや捕球ミスが重なり大量失点をしてしまった。ジーターでさえ深い位置からノーステップで送球し悪送球になってしまった。
もっと言えばライトを守ったアダム・ダンの緩慢さは目を覆いたくなった。

もちろん本職の守備位置ではないのはわかっている。DH専門の大型選手なだけに守備の悪さは目をつむるつもりだったアメリカベンチもこんなに酷いことを想定していただろうか?城島の2本の犠牲フライも他の外野手だとあんなに簡単に生還できただろうか?

最後にも大失態をしでかした。

痛烈な当たりとはいえゴロのコースを見あまりとんでもないところを走ってなんでもないライト前ヒットをフェンス到達のスリーベースヒットにしてしまったこれも日本では考えられない光景だった。

対して日本は長打力はないもののミートを心掛けたシュアなバッティングに終始し結果大量点を繋いで繋いでとった。
「今日の日本は隙がなかった」元巨人の選手で日本野球をよく知るアメリカのジョンソン監督と主将でアメリカの象徴ジーターのため息が印象的だった。

「日本は基本に忠実。ミスに付け込んでくるしいやらしい相手だった。勝てる気がしなかった」この日4安打と一人気を吐いたロリンズの言葉は野球発祥の国アメリカのベースボールの落日を語っている気がしてならなかった。



蕭一傑(ショウ・イッケツ)

  • 2009/03/23(月) 23:38:46

阪神優勝のカギを握る先発陣の一角を将来担うであろう逸材が今年のドラ一台湾人・蕭一傑(ショウ・イッケツ)である。

高校時代に一度このピッチャーが話題になったことを覚えている人はいるだろうか?日南学園(宮崎)在学当時2年だったと思うが甲子園に出場したエースピッチャーだった。そんなに球は速くなかったがこぎみいいピッチンングをしていたし、将来を嘱望されていた。

しかし、台湾からの留学生だったショウは台湾の高校在学したのち日本の高校野球に身を投じた為アマチュア規定違反に抵触し以後の活動の一切を禁止された。
故障もしていないのに試合で投げれない日々は甲子園を志す者にとってどれだけの苦痛だったろうか?それでも日本野球に憧れた少年時代の思いが彼を練習の虫に駆り立てた。思わぬ事態に晒され言われもないバッシングも受けつらい現実を味わったシュウは「今振り返れば日本野球への思いを再確認する絶好の機会だった」と振り返っている。

試合に出られないと分かっていてももちろん、甲子園に出られないと分かっていても自らの肉体をいじめ続けた結果、大学野球を経てプロへの道へと繋がったと思うと彼のハート強さを感じられずにはいられない。

180cmを超える立派な体格から投げ込まれるストレートは球威こそそんなにないがつぼにはまった時の切れ味は藤川クラスという評判だ。
さらにシュウは大学入学後、3年以上ストッパー(抑え)を任され続けた。元々、マウンド度胸は抜群だったがストッパーを務めたことによって「1球の大事さ」や「勝負の怖さ」を植え付けられた。逆境を克服してきた精神力は順風満帆な高校野球生活を送ってきてたら、つかなかった能力だったかもしれない。

日本人投手と同じ枠で入団するプロの世界。
しかし、その心の奥底に眠る精神は違う事は明白だ。


「遊びに来たんじゃない。野球がうまくなるために日本に来たんだ。」と日南学園入部の時のたどたどしい日本語の挨拶に集約されている思いの強さが宿っている。そんな思いからか練習で納得できなかったら納得するまで投げ続けた。故障を心配する周囲の意見に耳を貸さないほど自分を追い込んだ。
その傍ら目上の人を敬う姿勢や礼儀・礼節を重んじる気遣いなどを頑固なまでに貫く姿勢も彼の人間性の魅力でもある。監督・コーチとのミーティングや個別指導や説教には必ず正座をして話しを聞くらしい。たとえ何時間でも。

そんな野球への強い思いが出場停止中でも練習に夢中にさせ大学時代にストッパーもこなし更なる飛躍を遂げた。

日本の特にスター扱いされる高校生や大学生に見られない練習の態度や目の上の人に対する姿勢はもう一度、学生野球を志す者みんなで見習ってもらいたい。

そしてシュウがプロの世界で大きく羽ばたいてくれることを期待している

河原純一

  • 2009/03/22(日) 17:49:18

河原純一という元巨人のピッチャーを覚えているだろうか?
駒沢大時代に東都大学リーグ史上最高の投手と呼ばれ鳴り物入りで巨人に入団した細身のエースだ。
高校時代は無名だったが大学入学後に頭角を現し甘いルックスも手伝い大学野球界のプリンスとして名をはせた。

野球の実力も去ることながら女性ファンの多さに驚いたものだ。巨人入団一年目に早くもローテーションを任され8勝をあげた。細身の体からは想像も出来ないほど冷静かつ沈着な振る舞いはルーキーとは思えないほどで抜群のキレとコントロールをみせるストレートと切れ味鋭いフォークボールを武器に更なる飛躍を期待させた。

しかし、その後は度重なる故障などで今一歩期待に沿えることができずに燻り続け「河原」の名はもう過去のもになりつつあった時転機が訪れる。
原監督が先発に見切りをつけストッパーに転向させたのだ。そのシーズンに28セーブを上げる活躍をみせ完全復活をはたし巨人のリーグ優勝・日本一に大きく貢献した。
しかし、そのチャンスもものに出来ずにトレードに出されてしまった。
移籍先の西武では再び先発を任されるが全盛期のスピードとキレは戻らず2006年末に解雇されてしった。

怪我の後遺症もあり年齢的な体の衰えは顕著で誰もが引退するだろうと思っただろうが当の本人はまだまだやれると現役にこだわりを見せトライアウトを受けるも獲得球団がなかった。しかし河原はあきらめなかった。
母校の駒沢大学で現役学生と同じ真っ白いユニフォームを身にまとい現役復帰を目指して汗を流し続けたのだ。
そんな情熱が実を結んだのか昨年に中日のテストを受け合格し一年のブランクを経て今季大復活をかけキャンプに取り組んでいる。

野球に対する熱い想いとベテランらしい投球術でエース川上が抜けた若手投手陣を引っ張る存在になって欲しいものだ。



三都主アレサンドロ

  • 2009/03/21(土) 02:51:42

トップアスリートが選手生命を絶望視される程の大怪我を負った時どんな気持ちなのだろうかと思う事がある。
テレビのドキュメント番組で見るような「あきらめない気持ち」というのは本当に宿るのだろうか?と心から疑ってしまうのは僕だけだろうか。

三都主アレサンドロという元日本代表のサイドバックを皆さんは覚えているだろか?

ジーコJAPAN当時左サイドのスペシャリストとして不動のレギュラーを獲得していた快速攻撃型のバックスだったが攻撃力には定評があるが本職でないポジションなのか一対一の対応が悪く守備面では大きな欠点をさらけ出したのも事実だ。

高知の明徳義塾高校にスカウトされブラジルからはるばるやってきた助っ人留学生は圧倒的なスピードとテクニックで一躍注目された逸材だった。
清水エスパルスに入団後も着実に力をつけチームの顔としてゲームに欠かせない存在に成長するのにそんな時間はかからなかった。
そんな三都主に日本に帰化しフル代表を望む声が大きくなってきた時彼は心底悩んだという。当時そんな三都主に声をかけたのが同じ境遇をたどってきたチームの先輩だった。
「日本に骨をうずめても良いというくらいの気持ちがあるのなら帰化すべきだが代表に入りたいという理由だけで帰化するならやめた方がいい」いい言葉だと思う。

日本人の恋人との結婚も考えていたのもいいタイミングだったと思う。日本帰化という選択をした三都主はその後も成長を遂げ日本代表のレギュラーにまでなる。

三都主が日本のビッグクラブ浦和に移籍したり、長年の夢であった海外挑戦をするのも更なるレベルアップを志した末の決断だったのだろう。
しかし、サッカーの神様は彼に大きな試練を与えた。左足付け根のけんの断裂という重傷を負ったのだ。アキレス腱やふくらはぎや膝など小さな故障を繰り返し全盛期のパフォーマンスに陰りが見えてきた時に更なる大けがを負った。

残りの選手生命を考えてもその失意は大きなものだったと簡単に推測できる。
そこから約1年かけてやっと練習試合に参加できるまでになったようだ。

まだまだトップチームでやるには先の話しのなだろうがこれまで孤独で過酷なリハビリを黙々とこなしてきた三都主ならきっと最高の状態に仕上げてくれるものと確信している



スティーブン・ジェラード

  • 2009/03/17(火) 00:20:18

「世界最高プレイヤーはバルセロナのメッシでもなければマンチェスターUのC・ロナウドでもない。リバプールのスティーブン・ジェラードだ」
あのジダンが語ったらしい。実は僕もそう思っていた。

彼の目指すサッカーのプレースタイルも好きだし熱い魂のこもったプレーでチームを鼓舞するキャプテンシーも大好きだ。時にラフプレーで退場を課せられ大事なゲームを失うなど改めるところはあるのだろうがそれも含めてスティーブン・ジェラードの良さだと思っている。

中盤の位置で攻撃を組み立てるセンスに加え献身的な守備の意識の高さ、試合終盤でみせるタフネスさに運動量。なにより強烈なミドルレンジからのシュート。ここ一番での得点感覚と正確性。
やはり彼は最高の選手といっても過言ではないだろう。なにより世界一サッカーを知っているといわれるリバプールサポーターから絶大な信頼を得ている点がすごいと思う。

リアル・マドリードと対戦したチャンピオンズリーグ準々決勝の特に第2レグでのパフォーマンスは感嘆の言葉しか見当たらなかった。ファーストレグのアドバンテージから守備的に戦うのかと思いきやゲーム序盤からトーレスを巧みに動かし一気に攻めたて自らも果敢に攻撃参加しマドリードの戦意を早々に奪い去った。正確無比なフィードで相手ぢフェンスを左右に完全に振ったかと思えば一気のスピードで全線に顔を出し強烈なボレーシュートを放つなど攻撃の軸になっていた。
レアル自慢の快速ウイングのロッペンやスナイデルへの球の供給元を完全に潰しここ一番で決定的な仕事をするラウルを完全に孤立させた中盤の守備の統率も完ぺきだった。

完璧なまでにマドリードをたたきつぶしたその週末には中3日でプレミアリーグ首位独走中のマンチェスターU相手にマドリード戦以上のパフォーマンスを90分間披露し4−1で大勝する大きな原動力になった。

非常に練習熱心な事で知られているキャプテンはたとえ練習であったとしても常に全力プレーを見せチームに活を入れ続けている。

”レッド・ドラゴン”(燃える竜)の愛称は練習中にチームメイトが名づけたという噂もうなづけるほどのプレーをみせてくれる

そんなジェラードが世界最高の選手だと言っても誰も否定しないのではないだろうか?確かに趣味や好みの問題もあるがもし僕が世界最高の11人を選べるとしたらその中心は間違いなくジェラードを選び彼の仕事をしやすいほかの10人を選ぶ。

もちろんキャプテンにも就いてもらう。皆さんの意見はどうだろうか?



高橋尚子  笑顔で終えたマラソン人生

  • 2009/03/14(土) 00:10:22

過去関連ブログ 高橋尚子 Qちゃん引退 「マラソン」と結婚した高橋尚子

「行ってきます」という言葉をスタートと同時に口にしたという。

感謝の思いを胸にラストランのスタートを切った。
世界を目指すアスリートからすればちゃんちゃらおかしな出場なのかもしれない。高橋尚子という伝説のランナーの引退レースを一目見ようと集まる観客やマスコミ。「世界を目指す若手と世界での戦いを終えた去りゆくスター」が同じフィールドに立っていいのか?という疑問は確かに残るがそれも高橋尚子の高橋尚子らしい”けじめ”のつけ方だと前向きにとらえてもらいたい。

「ラスト10キロは走り終えるのが寂しかった。皆さんに私の笑顔を覚えていてほしいなと思いながら走りました」。そう残したコメントの全てが高橋尚子そのものを表している。

徳之島での合宿中に訪ねて会話を交わしたことはこのコーナーにもいつか書いたと思うがあの時も高橋尚子は笑っていた。60km走を完走した後だというのに平気な顔をしてこちらに手を振ってくれた時のあの笑顔が忘れられない
スタートからフィニッシュまで「ありがとうラン」を笑顔で終えた高橋尚子に「ありがとう」と言わなければならないのはこちら側ではないのだろうか?
それでも3時間を切るタイムでかけぬけるのだからやっぱり凄い。
小出監督の手にかかればもう一度世界で戦えるのではないかと思ってしまうほどだ。

しかし高橋尚子というスーパーランナーはもう世界のトップステージには帰ってこないだろう。

「世界一のマラソン選手から世界一のジョギング愛好家」になりますという言葉も高橋らしい。
思えば史上初めて金メダルを獲得したシドニー五輪の代表切符をつかんだのもここ名古屋の選考レースだった。思い出深い名古屋で大きな区切りをつけた形だ。

あの笑顔が僕は好きだった。「楽しく走る」事が一番大事と心掛けた選手生活だったらしいがその心を実践し続けた高橋尚子に改めて凄さを感じた。
「本当に楽しい42kmでした」覚えているだろうか?金メダルをとった酷暑のシドニーオリンピックのレース後の第一声を。同じ言葉をどんな試合、どんな辛い結果のレース、
もちろん引退ランの後でも言えた高橋尚子という選手が僕は本当に好きだった。

たくさんの感動を本当にありがとう。
そして本当にお疲れさまでした。



藤永佳子 10年ぶりの表舞台

  • 2009/03/12(木) 17:56:20

来年の世界選手権の代表選考を兼ねた名古屋国際マラソンに新しいヒロインが生まれた。去りゆくスーパーヒロイン高橋尚子のラストラン(一般参加)で注目されたレースで28歳遅咲きの藤永佳子が初マラソンで見事に優勝し世界選手権の切符を手に入れた。

藤永佳子。

長崎の名門・諫早高在学当時、高校女子長距離界女王の名をほしいままにし100年に一人の天才ランナーともてはやされたものだ。
高校3年生の時に5000mで世界選手権に出場し予選落ちはしたものの大きな手ごたえをつかんで更なる飛躍を期待されていた藤永佳子はその後度重なる故障や挫折を重ね天才の名はいつしか日本の女子陸上界から完全に消えてしまった。
輝かしい成績を収め脚光を浴びたあの過去の栄光から一気にとりのこされ世間から忘れ去られてもう10年がたった。

意を決して臨んだ初マラソンで藤永佳子は簡単にあきらめる訳にはいかなかった。そんな強い気持ちが何度も何度も先頭集団から遅れてもまた食らいつく粘りの走りから感じ取れた。レース後のインタビューで初マラソンを振り返り「長かった」という言葉は、42.195キロの距離以上に、脚光を浴びた過去の自分や度重なるケガと向き合い戦ってきた10年の年月に込められた実感だったのだろう。

やっと表舞台に帰ってきたというプライドは若くて生きのいい若手有望ランナーにはない大きな心の支えだったことだろう。たしかに記録自体は物足りないし世界のトップランナーのスピードに対して本番で対抗を期待できる記録でもない。どちらかといえば標準以下で「優勝」という結果以外に選考レースでアピールする程の材料も残せなかった。

しかも世界選手権は真夏に行われる。スピードマラソンよりも忍耐マラソンになるだろう。本番に小さくとも新たな可能性を示してくれた。「離れたときも『大丈夫、大丈夫』という気持ちでした。頑張ってついて労力を使うより自分のリズムで行こうと思っていました」とレースを振り返った言葉は世界のトップランナーの発想とは違うものだった。しかし藤永佳子はこのレースで負けなかったのだ。

何度もケガに泣き何度も走ることをやめたいと口にした藤永はすべての苦悩を吹き飛ばす根性をレースでみせてくれた。世界と戦う上でたしかに時代遅れの精神論と言われれば返す言葉もない。でもいいではないか

満面の笑みで10年ぶりに再び世界へ飛び出すチャンスを力強くつかみ取った藤永に拍手を送ろうではないか?

かつて「天才」と言われた女子高生は大きく遠回りはしたが28歳の大人になって2度目の世界選手権を迎える。
その事実に大きく酔いしれてもいいのではないかと改めて僕は思った



竹本恵  パンダの着ぐるみを着ていないエース

  • 2009/03/09(月) 16:51:29

先日のこのコーナーで吉田えりちゃんの事、ナックルという変化球の事を書いた。
その時、もう一人の女性ピッチャーの事を思い出していた。
東大野球部に在籍した竹本恵だ。

左腕からのシンカーを武器として東大に入学後、東大野球部に入部し東京六大学史上初めて日本人女性選手が出場を果たす。過去には明治大学にハーラーというアメリカ人ピッチャーが在籍し話題を巻いたが竹本は弱小の東大にとって
戦力どころか救世主とまでいわれた。そんな竹本が涙を流してマイクの前で訴えた事を思い出したのだ。

男性と女性がそのまま直接対決する種目はきわめて少ない。彼女の表現を借りて言えば「性のバリア」は低くなかったのだ。
「情けない自分がいる。こんなに応援してもらっているのに。それでもまだ明日がある。今日のままの明日じゃない。明日のままのあさってじゃない」打たれても打たれても投げ続ける竹本に容赦ないバッシングが沢山あったのだ。

女だから」「東大だから」と話題性やマスコミ対策だけに投げているとか
「打たれない為にミニスカートでかく乱する作戦はどうか?」とか彼女の懸命な努力を踏みにじるバッシングが後をたたなかった。

「抑えられない限り、私は、私にだけ見えないパンダの着ぐるみを着て、神宮のマウンドで踊り続ける」自分に向けられる好奇の視線を「私にだけ見えないパンダの着ぐるみ」と竹本は表現した。「結果が出せない限り、これもすべて言い訳でしかない。自分を納得させるための甘えでしかない」と続けた彼女のコメント僕も涙を流してしまった記憶がある。

そして竹本は野球界を去ってしまった。

「やっぱり女性では通用しないんだ」というレッテルだけを残して・・・
これからさらに強くなるであろう幾多の「性のバリア」をはねのけて吉田には是非がんばってもらいたい。

吉田えり ナックルが生んだ夢

  • 2009/03/07(土) 12:47:20

「ぼくはナックル・ボールを投げるピッチャーが好きだ。ナックル・ボールは投げた本人もどんな変化をするかわからないくらい、微妙で面白い変化をする。ナックル・ボールでバッターを三振にうちとったピッチャーの浮かべる笑みはちょっとばかり複雑なんじゃないかと思う。豪速球で三振をとることができない投手が力の衰えを自覚して自嘲気味に、しかしマウンドを守るものとしてのプライドを保つために、情熱をこめて投げる」

これは通算318勝を上げ48歳まで現役で投げたニークロという投手が殿堂入りした時に残したコメントを抜粋し僕が尊敬するスポーツライターの一人、故・山際淳司さんの本「ナックルボールに風に」の中で紹介している。

現役ナックラーで有名なのは42歳でボストン・レッドソックスの先発ローテーションの一角を守り続けるウェークフィールドだろう。

ヤンキースの松井はナックルの事を「あの球は打てない。だってあんな球を投げられる投手がいないんだから練習のしようがないんだから」とお手上げ状態だ。

そのウェークフィールドの投球を映したビデオが日本のプロ野球史に「革命」を起こすことになる。

来春開幕する関西独立リーグの「神戸9クルーズ」がドラフトで減益高校生の吉田えりを指名した。彼女は「史上初の女子プロ野球選手」となったのだ。
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武器はウェークフィールドのビデオを見ながらマスターしたナックルボールだ。
球威の落ちたベテランの持ち球だと思われてきたナックルに新たな命を吹き込んだのは16歳のしかも女の子だった。

吉田はトライアウトで打者4人をナックルできりきり舞いにしスカウトの目に止まった。ウェークフィールドはニュースを伝え聞きボストンの球団を通じてこうコメントを残した。「僕を知ってくれて僕を目標にしてくれるなんて光栄なこと。彼女から何か学ぶことがあるかもしれない」

僕が尊敬するスポーツライターの一人、故・山際淳司さんの本「ナックルボールに風に」の中でこういう一節がある。

プロ野球選手を目指している女の子に大きな希望を与えた吉田えり選手の功績は大きい。マスコミも殺到し一気に時の人になった。その要因がナックルという解析不明の魔球で吉田を独立リーグとはいえプロの球団に入団させた一つの要素であることは間違いない。僕は吉田えり選手以上にナックルという魔球にこれから更なる可能性を感じている。



アメリカ野球界に学ぶ事

  • 2009/03/05(木) 17:46:11

メジャーきっての変わり者。風貌も個性的だがチャンスにはめっぽう強い強打者ラミレスがドジャースと契約を更新した。
その額2年で約44億円(単年22億)。不景気どん底のアメリカでこの契約。ラミレスの存在価値がそれだけあるのか?好景気なら幾らの値段がついたのだろうか?と考えていてちょっど疑問に思い調べてみた。

名門ニューヨーク・ヤンキースの今お騒がせしている”旬”な男アレックス・ロドリゲスが史上最高の10年約302億円で契約を更改したのも記憶に新しい。
単純に1年の年棒で計算すると約30億2000万円。シアトル・マリナーズのイチローも5年約109億8000万円だから年棒で約21億9600万円となる契約を結んでいる。日本のプロ野球で最高年棒はあくまで推定だが阪神の金本の6億5000万円。一流と呼ばれる選手の年報は1億円といったところか?メジャーで年棒10億円を超える選手が50人以上はいるのに比べると随分低い気がする。

選手にそれだけの高額年棒を支払いながら、メジャーの各球団はどんなやりくりをしているのだろうか。つまり採算がとれるのかと心配になる。
おもに入場料。メジャーの平均は約2500円。日本とさほど変わらない。しかし観客動員数ではメジャートップのヤンキースはでも試合平均2万6365人。対して日本のトップ阪神はなんと4万3669人。単純に入場料収入だけだと日本が圧倒的に多い。
しかもメジャーの入場料収入は球団に入るのではなくメジャーリーグ機構に吸い上げられる。それどころか全国ネットのテレビ放送権料グッズの販売収入などもメジャーは機構側に入り各球団に分配される。

日本球界では楽天を除くほとんどの球団が毎年20〜30億円の赤字を出しているがメジャーでは30チーム中25チームが黒字。大赤字とされるヤンキースでさえ地元ローカルテレビの放送権料が含まれていないため実際はトントンもしくは黒字に転換するといわれている。

地元(ローカル)有料チャンネルに当前のように金を払って野球を見るスポーツ好きの視聴者に支えられた球団が好選手に高額年棒を払えるというわけだ。

入場料・グッズ収入頼みの日本のあり方ではなかなか採算をとるのはつらい。まずは収益分配制度など赤字球団救済策などをアメリカに見習ってはどうだろうか?選手の地位確保はもとより球団経営の健全化を招き野球界がもっともっと発展する気がするのだがどうだろう。



森本貴幸  和製ロナウドへの道

  • 2009/03/04(水) 02:55:29

得点不足に悩むサッカー日本代表に救世主かとはやし立て始められた選手がいる。イタリア・セリエAのカターニャに所属している森本貴幸だ。

ベルディのユースで活躍していた男を15歳の中学生でトップチームに引き上げ早くからその才能に気付いた当時のアルディレス監督は「日本のロナウド」と称した。

リーグ史上最年少の15歳10ヶ月6日で公式戦出場を果たした森本は史上最年少ゴール(16歳10ヵ月12日)も記録し更に史上最年少Jリーグ新人王に輝いた。

名門ベルディがJ2降格した2006年にイタリアのセリエAのカターニャに1年間の期限付きで移籍した。

この移籍を世間では「まだ早すぎる」とか「もっと体を作ってから」と否定的だったが僕はそうは思わなかった。
若い時期だからこそ得られるものもあるしチャンスはそうは巡ってこないだろう。
なにより貪欲にサッカーにぶつかる時間はきっと彼を成長させると確信していたからだ。移籍後はユースで経験を積みゴールを量産していた。

そこでなんとトップチームに呼ばれその冬になんと初出場をも果たす。しかもゴールを決めるおまけ付きだった。

前途洋々のスタートきった矢先、練習中に左膝前十字靭帯断裂という大怪我を負い手術をし残りのシーズンを棒に振った。
誰もがこれまでかと失望し「やはり体が出来ていなかったから無理をしたんだ」と移籍失敗と決め付けた。
シーズン終了後カターニャがまさかの完全移籍を希望したのだ。カターニャは森本のポテンシャルの高さと更なる成長を確信していたようだ。

そんな期待に答えるかのように翌年の開幕戦でゴールを決めるなど片鱗をみせたが世界はそう甘くなかった。次第にマークが厳しくなるとその動きは完全に封じられ得点をあげるどころか出場機会すら失っている。

しかしDFの裏への飛び出しのタイミングやスピード、決定的なポジションにいるゴールへの嗅覚なだそのポテンシャルの高さは誰もが期待するところでありもうひと皮むけたら大きく化ける可能性や伸びしろはまだまだ残っていると思う。
中田英がイタリアに渡ったのは21歳のときだった。
森本はまだ20歳だ。若さだけでなくイタリアで苦労した経験はきっと役に立つ時がくる。

小柄な体を生かしたプレーをもっと身に付けもっとスピードが増せば間違いなく日本代表に必要なFWだろう。大きな可能性を秘めた小さなストライカー。

「本物の日本のロナウド」と呼ばれる日は必ず来ると僕は信じている。



佐藤琢磨   世界一運の無いドライバー

  • 2009/03/02(月) 00:11:08

100年に一度の未曽有の経済危機に端を発し大人の事情に振り回された日本人F1ドライバー佐藤琢磨。
佐藤の波乱万丈のドライバー人生は今に始まったことではない。

高校で自転車のチャンピオンになり早稲田へ鳴り物入りで進学し大学選手権も制する程の実力者だった。
そんな佐藤が早稲田を休学し、後に退学する程に熱中するほどのスポーツに出会う。カーレースだ。
ホンダが設立した日本人ドライバー養成学校になんとカートすら乗ったことのないずぶの素人がなんと並みいる経験者を追い越し入学した。そのうえ一年後には講師を追い抜く程の抜群のセンスでなんと首席で卒業を決め関係者のど肝を抜いた。

そんな天才はいち早くイギリスに飛びF1の下のカテゴリーであるF3に参戦し見事日本人初のシリーズチャンピオンにまで一気に上りつめた。まさに「天才」は満を持してF1にデビューする。

しかし、ここから佐藤の度重なる苦悩が続くとは誰も予想しなかっただろう。
ジョーダン・ホンダで初参加したデビュー年はマシンの性能不足に加え、度重なるマシントラブルに見舞われ満足にレースをすることすらできなかった。佐藤も凡ミスを繰り返し全く見せ場なく1年を終えてしまった。
しかもスポンサーでありエンジン供給してきたホンダがジョーダンへの供給をストップした為に佐藤はあっさり首を切られてしまった。F1、2年目はホンダ全面支援のチームBARでテストドライバーを一年間つとめドライバーとしての技量もあげ首脳陣の信頼も勝ち取り翌年から正式ドライバーとしてチームで働くが全く成績を残せずしかも他のドライバーの移籍契約のこじれのトバッチリを受けシートを失うのだ。

しかし捨てる神あれば拾う神あり。
鈴木亜久里がオーナーを務めホンダがエンジンを提供する新チームができ佐藤はシートを確保した。安定感のある走りと資金力の無いチームの手助けにとまで開発、セッティングに積極的に意見を出しチームを救い続け、いつしかチームの顔にまでなった。しかし資金難からチームはなんと解散してしまうのだ。またシートを失ってしまったのだ。

そんな天才・佐藤はそれでも諦めることなく現役F1ドライバーにこだわりテストを受け続けた。神は見捨てなかった。トロロッソというイタリアのチームから正式オファーが届き契約寸前までこぎつけた矢先にまた悲運に巻き込まれた。100年に一度の経済危機によりトロロッソチームの資金繰りに問題が発生し、ホンダが個人スポンサーの佐藤に持参金の要求をしたのだ。

もちろんホンダも景気停滞のあおりを受けているのでそんな追加支援の話にのれず話しが頓挫したしまった。
佐藤の代わりにシートを獲得したのはブルデーだった。ブルデーの能力が決して佐藤を上回ったわけでなく。ブルデーがフェラーリから支援を受け持参金を
用意できたためだ。フェラーリは売上や販売台数が過去最高を記録するなど経済危機の影響を受けてない企業だったことがブルデーを助け佐藤の首を切ったのだ。

どこまでついていないのかと思わせる佐藤の不幸だが、本人はそれでもF1参戦を未だ諦めていない。
天才が輝く時はくるのだろうか?状況は極めて厳しいようだ。実力、キャリアがありながら運に見放されF1の神に選ばれなかった日本のエース、日本の天才ドライバーそれでもまだF1復帰を諦めていない。



岩城博俊調教師の再挑戦  競馬界の光と影

  • 2009/03/01(日) 03:39:00

競馬界は華やかな競争馬や馬主やジョッキーによく目を向けられるが実は「先生」と呼ばれる調教師さんが競馬界を支えていると言っても過言ではないだろう。
ジョッキー引退後や調教助手として経験を積んだ馬の名手達がこぞってなりたがる職業であって人気が高いとともに競争率もかなり高い。
近年は馬房の数に限りがあるため70歳定年制を導入するなどJRAも苦慮していた。

しかし近年は若干、様子が違ってきているようである。名馬を育てないとつまり強い馬を沢山育てないと経営的に苦しくなってきているのだ。定年を待たずに引退や勇退するケースが増えてきている。そんな中で、岩城博俊調教師は56歳という調教師としては異例の若さで引退届けを出した。
そして第二の人生に選んだ職業はなんと調教助手だった。

厩舎を経営する立場から“従業員”の一人への単身。
極めて珍しいケースだが
「まだまだ乗れる自信はある」と前向きに意欲を見せている。

調教師の主な仕事として馬主から依頼を受けた馬の管理の責任をおい調教のスケジュールを組んだりしている為、中々馬にまたがって自ら調教をつける機会は少ないようだ。
しかし前述した様に調教師も競争が激しく生計をたてるのは難しい感じで岩城調教師も競争に敗れあえなく廃業してしまった。それでも調教助手としてつまり同業の社長から従業員としてでも競馬の世界に身を残したのは馬への愛着があればこその決断であろう。

「自分は、経営者としては失敗してしまった。ただ、馬にかかわりたい気持ちはありますから」と前向きだ。

ちなみに過去に引退したり勇退した調教師さん達は馬の生産牧場や競馬新聞の記者や競馬中継のお手伝いをしている方が多いらしい。もちろん、調教助手に戻った方は過去に一人もいない。

「過去の経験を伝えることで少しでも競馬界に恩返しをしたい」という心つもりもカッコイイとさえ思う。いわば180度の転身をする岩城調教師に心からエールを送りたい


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