無料
エロ
動画

ズラタン・イブラヒモビッチ

  • 2009/07/31(金) 00:00:58

少年の頃からそのフィジカルの強さとパワー溢れるドリブル突破、足元の上手さは有名だった。それ以上にチームメイトへの配慮や協調性の無さ、チームワークを乱す言動などサッカーセンス以上に素行の悪さが有名だった。

その男の名はズラタン・イブラヒモビッチ




ズラタンが少年時代のクラブチームでの話でチームのエースだったズラタンを大事な試合に出さなかった。しかしチームは後半しかも時間を少なくして4点のビハインドを背負い敗色濃厚だった。
業を煮やした監督がズラタンを出場させたとたん一人で8点を取り相手よりも自チームのチームメイトを驚かせた。そんな活躍を見ていた地元のクラブチームがスカウトしプロの道をスタートさせた。

順調に活躍を見せる一方でピッチ外での交通事故や仲間との喧嘩騒動など破天荒で素行の悪さでサッカー界の注目を浴びる様な存在になっていった。オランダのアヤックスからイタリアのユベントスと順調にキャリアを重ねていくがその実力とともに監督やチームメイトに対する態度は改善されなかった。勿論スェーデン代表としても活躍するのだが無断外泊を繰り返すなど規律を守れずチームを追放されるなど問題児ぶりは世界クラスだった。

それでも現役世界最高のセンターフォワードと称されるテクニック、スピード、点取りやとしての嗅覚などその実力は本当に凄いと思うし確かに世界最高の選手と思う。




そんなズラタンがいよいよ世界タイトルを視野にスペイン・バルセロナに移籍が決まった。移籍金はなんと62億円+バルセロナからエトーの完全移籍+フレブの期限付き移籍と単純に金額だけに換算するとリアル・マドリードのC・ロナウドの128億円に匹敵する価値が付いたように思う。

バルセロナにとってもズラタンにとっても大事な移籍になるに違いない。
各国のスター選手が集うバルセロナでもズラタンの態度が変わらなければチームが崩壊する可能性も含んでいる気がするしズラタンが遠慮してズラタンらしからぬ優等生的だとそのパフォーマンスは発揮出来ない気がしてならならい。

しかし、もしズラタンの仕事がしっかり出来たなら今年のバルセロナは昨年以上の強さを発揮し圧倒的なチームになる事だろう。新銀河系軍団を作ろうと躍起になるレアル・マドリードとの対決がますます楽しみになってきた。

ラグビーワールドカップ日本で開催

  • 2009/07/30(木) 01:01:29

サッカーのワールドカップに比べれば1987年に初開催されたラグビーのワールドカップは歴史があまりにも少なすぎる。
ラグビー発祥のイングランドを中心にイングランド・フランス・スコットランド・アイルランド・ウェールズの5ヶ国が国の威信をかけて戦う5カ国対抗ラグビーやオーストラリア・ニュージーランド・南アフリカの南半球の強豪国が集う南半球選手権が融合した形で開催されたが世界中のファンの声とは裏腹にそれぞれの国のリーグや選手権主催者の利権や変なプライドによってなかなか世界一決定戦としての位置づけが確率されなかった歴史もある。
どの国も国の威信をかけて戦う試合をそう簡単に増やしたくないという理由も見え隠れした。

それは参加国や開催地決定に至るまで各国の駆け引きや綱引きはきな臭い”大人の事情”を反映した不思議な大会になっている。開催国はイングランドを中心とした5カ国対抗地域と南半球選手権開催の南アフリカとオーストラリア・ニュージーランド地域の隔年持ち回り開催が極々当たり前の様になっていた。

「ラグビー世界一」を決定する大会でありながら参加国の決定や放映権などの収益金の分配方法に至るまで世界のラグビーの発展を促すという意味合いは決して持たずトップに君臨する国々だけが利益を受ける協会の姿勢に世界中から批判があった。
そんな批判が多くなった最近やっと、世界のラグビーの発展のためやオリンピック種目になる事を目指し各加盟ユニオンに分配されるなどラグビー普及の為に様々な形で活用されるようになった。
ちなみに2007年にフランスで行われた大会では220万枚のチケットセールスを記録し一試合平均観客数は47,000名。試合は世界238ヶ国で放送され約40億人の人々がテレビを通じてこの大会を観たとされるオリンピック、サッカーのワールドカップに次ぐ大イベントである。それでも開催国も含めまだまだ利権は一部の強豪国にしかなかったが日本が2019年に開催する事が決まったのだ。

「日本開催」は勿論アジアで初開催であるとともに一部の国以外の開催にも意義は大きいのではないだろうか?世界中への普及がオリンピック種目の大前提とされている為「アジア」は大きな開拓途上の市場になる事は間違いない。僕ら一部のファンは世界のスーパースターの真剣勝負が間近で見れるまたとない機会と喜ぶがファンで無い人にもパワー溢れる大男達のスピードとテクニックに触れてラグビーというスポーツを再認識していただけたらと思う。

日本では大学ラグビーや高校ラグビーなどが盛んだが世界のトップチームは全員がプロと言うのが当たり前。そんな「プロ」の本気のプレーを是非肌で感じてもらいたい。きっとそのパワーやスピードに圧倒されることだろう。今から2019年(10年先)が楽しみで仕方が無い。しかしまだ10年もあるのか?と思ったのは僕だけだろうか?

シンクロ日本の終焉

  • 2009/07/27(月) 01:40:08

ついにローマの空に日の丸が掲げられることはなかった。

演技を終えた選手たちの表情は以外にもさっぱりしている様にも見えた。失敗したわけでもなく調子が悪かった訳でもなかった。完全なる力不足を露呈した若き日本選手には悔しさを噛み締めるレベルでもなかったかのようだった。

チーム(8人)のフリーでなんとか予選を通過しただけで見せ場なく6位と惨敗した。同調性を欠き、動きにキレもなかった演技は到底世界のトップレベルには届くものではなかった。

1973年の第1回ベオグラード大会からシンクロ世界選手権のメダルを守り続けてきた日本シンクロ界。
しかし、09年ローマで、34年間守ってきたメダル獲得の歴史はついに途絶えた。シンクロではいったん世界大会での点数や順位の序列が決まってしまうと、次の世界大会まで順位を逆転するのは難しいという特性がある。そんな序列に甘えてきた日本とその序列からとうとうふるい落とされた日本。
今後この世界との大きな差を埋めるのは並大抵の時間ですまないような気がしてならない。

「世界と戦うには力をつけないといけない。決め所で甘い。世界で認められていないということ」と口々にレベルの違いを口にする選手達に『シンクロ日本』の面影は一切なかった。あきらかな世代交代の失敗に加え世界のレベルが上がった事とこれまでの「シンクロ日本」の奢りがあったのだろう。

2004年のアテネ五輪後には4人の選手が残りメダルの重要度を伝えることで次の世代の選手を精神面で引っ張った。その結果、世界選手権では05年カナダ・モントリオール大会で全4種目3個、07年メルボルン大会では全7種目中6個のメダルを獲得。昨年の北京五輪では、チームでメダルを逃したものの、デュエットでは銅メダルを死守できた。

しかし、北京五輪後に代表選手たちがそろって現役を引退。シンクロ日本の未来を託された平均年齢20歳、全員が五輪未経験者という今回のメンバーは、技術力不足はもちろん、世界大会の怖さ、メダルの重さが、まだ十分に理解できていなかったのではないだろうか?

今後、日本が再び世界に追いつくためには何をしていけばいいのかを考えてみたい。決定的に欠けている「表現力」の向上と長時間の水中での姿勢を維持するための筋力トレーニングと根本的なトレーニングを見直す必要があるようだ。
つい最近まで日本のコーチを招聘したりして「シンクロ日本」の技術を輸入してきた各国が今や日本は格下と完全に見下した立場になったようだ。

逆に世界のトレーニング方法や足りない部分を積極的に取り入れる柔軟性も必要ではないだろうか?

永友洋司

  • 2009/07/24(金) 04:17:36

永友洋司というラグビーの選手をおぼえているだろうか?

『ラグビーでは体の大小は関係ない』というのが現役時代からの口癖で明治大からサントリーに進み日本代表も務めた小さな巨人と呼ばれたスクラムハーフだ。小柄ながら俊敏な動きで大男たちの間をすり抜けるプレーで人気が高かった選手だったが持ち味はその心の強さにあった。
試合前のロッカールームでの存在感そして試合での存在感、小さな体全身から気が満ち溢れていた。

海外遠征の試合で永友が相手FW選手と乱闘になり、2m近くある選手が殴りかかってくるのに対して、胸ぐらをつかみ、殴られても、殴られても、胸ぐらから手を離さず立ち向かっていたシーンは忘れらないし、ラグビー選手として必要なスピリットを学ばせてもらった。

どんな相手にも、勝ち負け関係なく立ち向かっていった姿・・・
永友があの小さい体で日本ラグビー界のスターに君臨し続けてきた理由を垣間見ることができたような気がしたものだ

そんな永友氏が日本のトップリーグの2部に相当する新興チームであるキャノンのヘッドコーチ就任した。

名門サントリーのキャプテンを務め、引退後は監督まで務め日本ラグビー界の宝とまで称された男が今、何故2部のチームの指揮をとるのかと不思議に思っていた。「新興チームをトップレベルに引き上げる」という新たな挑戦にのぞんでいるのだ。

先日行われた古巣サントリーとの合同練習において永友監督の表情がみるみる険しくなり怒声がグランド中に響き渡った。相手は日本のトップクラスのチーム、勿論日本代表選手もゴロゴロいるチームではあるがキャノンメンバーが萎縮しているのが見て取れたのだそうだ。新興チームにありがちな感情だがその感情を持っているうちは絶対に勝てないという勝負の分岐点にもなる「心」の問題と永友監督は感じたのだろう。
新興チームを率いてまだ3カ月。日本代表WTB小野沢らサントリーのいや日本のトップ選手に明らかなレベルの違い、厳しい現実を突き付けられた。

永友氏も今年の3月までサントリーに勤務し再び指導者に戻ること念頭に仕事の後に大学院で3年間コーチング科学を学んだ。

そんな熱い想いに感銘を受けたキャノンから誘いがあった時に大学院まで行かせてくれたサントリーに対する思いもあって監督就任をかなり悩んだそうだが強いチームを作ってサントリーを脅かし日本ラグビーの発展につながるのであればという熱い思いを胸に決断した経緯があるだけにこの日の選手の態度には我慢ができなかったのだろう。

永友イズムが浸透し心のこもった熱いラグビーを見せてくれる日をサントリーの面々だけでなく僕も楽しみにしている。

藤木麻祐子

  • 2009/07/23(木) 02:48:40

世界水泳が開幕した。2012年のロンドンを目指した戦いがいよいよ始まったのだ。シンクロが一足早く開幕し連日熱戦が伝えられている。


北京オリンピックでオリンピック史上初めてチームでメダルを獲得できなかった日本はメンバー8名を総入れ替えし平均年齢20歳そこそこのメンバーで再スタートを切った。経験不足からか小さなミスを連発し、しかも技の完成度や難易度も低く結果5位と惨敗してしまった。しかしまだまだ先は長いロンドンでは間に合わなくてもこの経験をその先のオリンピックに生かしてもらいたい。

今日はシンクロ後進国だったスペインの躍進を支えた一人の日本人コーチにスポットをあててみたい。

北京オリンピックで初めてスペインにメダルをもたらした功績者が藤木麻祐子テクニカルコーチだ。





彼女は「日本の技術の高さ」を海外で証明してみせた最初の日本人である。

藤木コーチは96年アトランタ五輪のチームで銅メダルを獲得した日本代表のメンバー。引退後も日本シンクロの協会員として日本代表をサポートしコーチ業を学んでいた。未来の監督候補とまで言われた卓越した技術指導に定評があった。
自身のコーチ業の修行の為、単身スペインに渡ったのは2003年だった。
当時を振り返り藤木は「16時から練習開始しますという前日の告知に対し当日16時にプールに来た者は一人もいなかった」そうだ。文化の違いなのか時間間隔の違いなのか藤木は全く理解できなったそうだ。16時に練習と言われ16時に家を出る者もいれば16時にロッカーに入る者、更には16時起床する者までいて藤木を困らせた。表現力や多彩な技に定評があったスペインに欠けていた物は「協調性」だったり「正確性」だったりとおよそ日本が一番得意とされるものだった。

当初、藤木はそれを常識の域だと思い、選手を怒鳴りつけたりしたそうだ。勿論そんな事をされたらスペインの選手は練習をボイコットするなどますますやる気を失くしチームとして機能しなくなった。

しかし根気強く説得し時には怒りをあらわにしチームとしての大切な「協調性」や「正確性」を説き続けた。やがて日本から“輸入”した技術力が確実に好成績に結び付くことに選手も目覚め自覚を持つようになってきた。

ある日、16時に練習開始と前日に告知した藤木はビックリする光景を目の当たりにするのだ。16時に全員が集合ししかもウォーミングアップも終わらせいつでもプールに入れるような準備をしてコーチの登場を待っていたのだ。その姿に藤木は涙が止まらなかったという。

ほんのコーチ業の修行のつもりで来たこのスペインで初めて自分が認められた事に気付きそこから藤木はスペインの専属コーチとして世界にその名を届かせるとうになった。

世界選手権では05年、07年とメダルの常連となり実力では日本を上回る存在に急成長し念願のオリンピックのメダルまで獲得した。

次のターゲットは打倒ロシア。つまり金メダル獲得だ。シンクロ王国ロシアの牙城を崩すのは大変だがなんだかそれも達成される日が近いという実感を僕は持っている。

鬼屋敷正人 日本最高の身体能力の無名キャッチャー

  • 2009/07/22(水) 01:22:01

高校野球の地区予選が全国各地で行われている。今年はこの秋のドラフトで注目の高校生投手が多いのでプロのスカウト陣も連日日本各地に視察に訪れているようだ。勿論下調べはちゃんとした上で偵察にいくのだろうがそんな中には全然注目していなかった”掘り出しもん”と呼ばれる逸材に出会う事があるそうだ。
三重大会に出場している近大高専のキャッチャー鬼屋敷正人(きやしきまさと)選手が今日の主役だ。

中学生までは柔道部に所属ししかも実力は全国レベルだったそうだ。高校から憧れの甲子園を目指し野球を始めた変わり者でその風貌や経歴から漫画ドカベンの「山田太郎」の再来と地元では騒がれていた。

しかしこの鬼屋敷君は漫画ドカベンの山田太郎よりも凄いのではないか?とプロのスカウトが急に騒ぎ始めたのだ。高専は5年生なので現3年生の鬼屋敷君に元々この秋に指名される権利はなかった。3年間の現役を終え引退しあと2年は勉学に勤しむ野球に関していえば浪人生活を余儀なくされプロ側も指名には消極的だったようだが状況が一変した。

今春にスポーツメーカーが実施した有名・無名高校を問わずしかもスポーツのジャンルも問わずに現役高校生アスリートの体力テストを実施したのだ。スクワットやベンチプレスなど約10項目の基礎体力テストで並み居る強豪高の有名トップアスリートをさし置いて全国総合1位に輝いたのがこの鬼屋敷君だった。

しかもその数値はどれも驚異的で身体能力の高さは半端じゃないと関係者を驚かせた。

こと野球に関しても高校生離れした遠投115メートルの強肩。全国一の身体能力の持ち主がなかでも一番自信があると言い放った「強肩」。プロのスカウト陣も「強肩」を超えて“鬼肩”と驚くほどだ。

キャッチャーの送球、盗塁を刺す送球に一番大事なのは捕球をしてから二塁送球までの時間の短さといわれている。プロのスカウトの基準は2秒を切る事が最低条件とされプロでも強肩捕手の基準値は1秒90といわれている。しかしこの鬼屋敷君は平均1秒70でこの日の最速が1秒64という驚異的な数字もマーク。盗塁阻止率も9割を超えるというレーザービームはまさに“プロ以上メジャーのレギュラー仕様”だ。
 
急遽集まったスカウト陣も絶賛の嵐だ。

「地肩もリストも強い。まだまだ伸びる素材」と高評価だ。5年制の高専3年生は現行規定では指名対象外だがプロ側は規定変更に動きだしている。それだけ各球団にとって鬼屋敷は魅力的な存在になったようだ。

トム・ワトソン

  • 2009/07/21(火) 00:25:03

聡明、明晰、賢明。そんな言葉が寸分の狂いもなくあてはまってしまう男ももう59歳を迎えた。帝王ジャック・二クラウスと数々の死闘を演じ世界のゴルフ界のトップに立ち続けた男ももう59歳になった。
どんな話をしてもそつがなく、一度会った人間は、恐らく彼に対して嫌な印象を持つことはないとまで言われる男トム・ワトソン。




スタンフォード大学時代には心理学を勉強し別にプロ・ゴルファーになるつもりはなかったらしい。それが卒業間近になって急に自分の進路を変更したらしい。おそらく、彼は、プロ・ゴルファーにならずに大きな会社に入ってビジネスマンとしての人生を選んだとしてもトップになれたと思う。きちんとネクタイを締めてスーツを着て仕事をしている姿は十分に想像できる。

もし彼がビジネスマンの道を歩んでいたら社長になっていたに違いない。そんなことを想像させてしまうのは、なぜだろう。彼をとりまく、空気、彼の生き方、雰囲気、それ自体から感じるものだ。こうしてワトソンという人間を考えていくと確かに雰囲気は悪くない。

だがしかし、なんか物足りない気がしてならないのだ。贅沢。そういってしまえば終わりである。あまりにもワトソンが何のクセも持たないということが、かえって、無味乾燥な響きを与えてしまうのかも知れない。言い換えれば、カリスマ性に欠けるのだ。いつも常識の範囲を超えず、誰からもナイスガイと言われ、知性と品のある行動。それは、まるで教科書の中から出てきたように思えてしまって、大衆は物足りなさを感じるのだろう。


ゴルフにおいても「チョーク」という致命的な悪癖(チョークとは「窒息する」という意味でここ一番でのパットやショットをミスする)を持ちここ一番に弱さを露呈してしまい数々のタイトルを取り損ねたがそれでも悪態をつかずいつも笑顔で「グットラック」とおどけて見せた。それでも世界のトップに立ちつづけたのは正確無比で世界一綺麗と称された安定したスイングにあったろう。そのスイングのキレやスピードは流石に鈍ったもののその軌道は59歳になった今でもあの時のままだった。

石川遼の初出場やタイガー・ウッズのまさかの予選落ちなど話題が多かった今年の全英オープンを一番盛り上げてくれた選手はまちがいなくトム・ワトソンだった。

最終日最終組最終ホールまでトップに立ちながら最終18番でまさかのミスの連発。その「チョーク」がまた顔をだしてしまった。結局プレイオフ4ホールでも精彩を欠き59歳でのメジャー勿論最年長メジャーチャンピオンにはなれなかった。
最終ホールを戦い終えたワトソンの笑顔が少しだけ悔しそうに見えたのは僕だけだっただろうか?



久保康友  史上最年少で記録達成

  • 2009/07/19(日) 00:41:54

久保康友。

今やプロ野球の中心になっている選手達の黄金世代「松坂世代」の一人である。
福岡ソフトバンクの杉内は鹿児島実業時代に甲子園でノーヒットノーランを達成したり同じくソフトバンクの和田も島根の浜田高校から早稲田へ進学し東京六大学リーグで最多奪三振記録を達成したりしたし阪神の藤川球児もその世代。
横浜の大砲、村田修一も東福岡高校で松坂世代である。他には福岡ソフトバンクの新垣渚(沖縄水産)や帝京出身の森本ひちょりも今や日本ハムの顔の選手になっています。広島の東出も敦賀気比高校で同世代だし日南学園から現西武の赤田もその世代。まさに「黄金世代」だ。

その世代の最後の大物と言われ社会人野球を経てロッテに入団した久保康友の高校生時代を覚えているだろうか?
大阪の関西大一高のエースとして3年のセンバツ大会決勝で松坂率いる横浜高校に負けたもののその小気味良いピッチングに魅了されたものだ。
松坂と同じような球種を操り確かにストレートのスピードや変化球のキレでは松坂の方が一枚も二枚も上手だったがコントロールと投球のテンポは当時から久保のほうが上回っていたような気がしていた。ビックリする様な球はなかったが抜群のコンビネーションと投球術はかなりのものだったと記憶している。松坂が目立ちすぎていたが高校生レベルであの投球が出来る投手はそう多くはないはずと確信した記憶も残っている。

プロに入ってからは鳴り物入りルーキーらしく初先発・初完封を挙げその後開幕から破竹の7連勝を記録するなど流石は「松坂世代・最後の大物」と言われた男の片鱗は見せてくれた。

しかしその後は度重なる怪我の影響もあり特に大きな成績を残せていなかったがある試合にだけは強いのだ。

それが交流戦。
交流戦にだけはめっぽう強く交流戦の最多勝投手である事は意外と知られていない。特に何がセリーグの打者相手にいいのかはわからないが何か「運」めいたものを持っているのは確かだろう。
そんな久保がトレードでセリーグの阪神。地元・阪神に移籍してきた。ファンや首脳陣が満足する成績が残せているかは別にしてこのたび凄い記録を樹立した。

史上最年少プロ野球全球団から勝利を挙げた投手になったのだ。

これは一重に交流戦のお陰なのだが例えばトレードされなくてずっと千葉ロッテに在籍していれば交流戦でセリーグの全球団に勝ったとしてもそして残りのパリーグの全球団から勝利を挙げたとしても永遠にロッテからは勝てないのでこの記録は達成されないのだ。しかも阪神移籍前に阪神に勝っていないとこの記録は達成されなかった事を思えばこの投手は「運」を持っていると思う。



長谷川穂積  『世界一強く世界一優しいチャンピオン』

  • 2009/07/18(土) 01:58:30

日本のボクシングを語る上においてファイティング原田にはじまり、辰吉丈一郎や薬師寺保英などが何度も腰に巻いたバンタム級のベルトの話が尽きない。「黄金のバンタム」という言葉があるぐらいこの階級は世界でも屈指のレベルを維持し続けている。

その継承者であり今や絶対王者と呼び声が高い長谷川穂積がこの度何と9連続防衛に成功し歴史にその名を改めて刻んだ。

『世界一強く世界一優しいチャンピオン』と称される長谷川は本当に強くそして心が優しい男である。




世界で勝ち続ける理由を問われて長谷川はまず最初に母親の事を口にする。不治の病「癌」と闘う母親の治療費の為にファイトマネーを稼いでいるのだ。一度の入院で300〜500万という巨額の入院費を捻出する為には負けられないというモチベーションで戦っているらしい。

長谷川は決して対戦相手を選ばない。連続防衛記録に挑戦する選手はランキング下位の選手と戦わせ通称「かませ犬」と呼び記録更新を絶対のものにする傾向がありがちだが長谷川は過去9回の防衛で世界ランク1位の選手。つまりチャンピオンの次に強いと世界が認めた選手と5度も戦っているのだ。しかもその他の選手も2位や3位といった上位ランクの選手とばかり試合を重ねしかも9回中6回をKOで防衛するという絶対的な強さを誇っているのだ。

そのほかにもこんなエピソードがある。

チャンピオンになった当時千里馬神戸ジムに所属していたが担当していた山下正人トレーナーに全幅の信頼を置き練習に励んでいた。この山下氏はなんと元警察官であってボクサーではなかったという異色の経歴を持ち世界チャンピオンを育て管理しさらに強くするのは難しいと判断したジム側が専属トレーナーを変更しようとした。
山下氏の熱い説得も聞き入れてもらえずジムの強行な態度に業を煮やした長谷川は山下氏と独立を決意。
山下氏が同じく神戸市内に「真正ジム」を旗揚げし金銭面や興行権で色々もめた結果、長谷川は初志貫徹し山下氏を慕いジム移籍をしたのだ。現役の世界チャンピオンが所属ジムを変えるなど極めて稀で少なくとも日本では初めてのケースとなった。山下氏を慕い山下氏への感謝の念を忘れない長谷川らしいエピソードではないだろうか

そんな心優しきチャンピオン長谷川にも野望がある。




ボクシングの本場アメリカ・ラスベガスで世界戦を戦い世界中の注目を浴びて戦いたいという野望だ。日本のボクサーが堂々とアメリカ・ラスベガスで試合をする姿を見てみたいがなかなかどうしてハードルは高いようだ。興行権の問題や長谷川の世界中での知名度など数々の問題をクリアしないとこの場所で試合をするのは難しいようだ。

世界チャンピオン9回防衛、内6回をKO防衛するなどこの階級での知名度は高いようだが所属ジムの小ささなど世界を相手にするにはまだ信用されていないのが大きなネックだろう。

それでも長谷川はいつか来るであろう自分の夢、野望の為にまた過酷なトレーニングをするのであろう。
いや長谷川は自分の事など考えていなくて母親の為、そして山下トレーナーの為、家族の為に戦いを挑むのだろう。

それが『世界一強く世界一優しいチャンピオン』長谷川穂積という男だ。

ジ・ウンヒ 全米女子オープン優勝

  • 2009/07/14(火) 00:54:30

宮里藍が粘りのゴルフで6位に入賞した全米女子オープン最終日。2日目の放送で一人の韓国選手のバンカーショットの上手さに目を奪われた。
韓国の23歳ジ・ウンヒという選手だった。ピンから近いしかも下りの高速グリーン、前下がりの難しいライのバンカーショットをまるで手で救って投げたかのような柔らかいタッチで見事にワンパット圏内に寄せて見せた。到底寄るとは思っていなかったで本当にビックリした。





その後小さな体で正確無比なショットを連発し上位で戦う姿を見て改めて韓国勢の層の厚さと強さを感じていた。

最終日最終組で回ったジ・ウンヒのライバルは初日からただ一人アンダーパーで回る地元アメリカのカー、力のある人気選手ポール・クリーマーにナビスコオープンを18番奇跡のイーグルで大逆転勝利を挙げたリンシカムなど層々たるメンバーを敵に回しながらも冷静沈着にそして着々とスコアを作っていくしたたかさも見せた。カーの不調で首位を捉えかけた10番242Yの短いミドルホールで落とし穴が待っていた。チャンスとばかりに攻めた結果ダブルボギーを打ってしまい一気に首位戦線からだつらくしたかのように見えた。

しかしそこから目を覚ましたかようにアグレシッブに闇雲に攻めていくのではなく冷静にパーを拾っていく堅実でかつ安定した自分本来のゴルフスタイルに切り替えたのである。
ここが「強さ」なのだろう。10番のミスをなんとか取り戻そうと焦り墓穴を掘るのではなく自分のゴルフスタイルを冷静に見つめなおし実践できる「強さ」に改めて脱帽だ。

この日のジ・ウンヒもそうだったが韓国の選手は目つきが違う。決してゴルフ環境のよくない韓国からアメリカにやって来てハングリーで勝つことに対する執着心が目に表れている。サングラス越しに垣間見える眼光の鋭さたるものは怖ささえ覚える。その反面、冷静に自分を分析できるクレバーさを兼ね備えているのだから強いはずである。



バンカーや深いラフに苦しみ苦戦する上位陣に対し16番で15mもの超ロングパットを決めトップに追いつき最終の18番を迎える。

2オンに成功し決めれば逆転優勝の大事なパット。しかし距離は6m程の下りの難しいラインだった。通常なら安全に2パット圏内でプレイオフに持ち込むというのがセオリーだろうが、ジ・ウンヒは「何が何でもねじ込んでやる!」という顔つきでラインをしっかり読んでいる。




個人的には見ていてとても気持ちが良い。
優勝を争うゴルファーの心の勝利を感じた時、そのボールはカップに吸い込まれた。
見事な優勝だったと思う。上位陣が崩れてくれたとはいえ決して諦めない魂のこもったプレイに感動すら覚えた。

技術だけでなくメンタル面でも今週のジ・ウンヒは輝いていたし僕は一瞬でファンになってしまった。まだまだ23歳。これから更に強くなる選手である。




伊藤拓郎(帝京) スーパー1年生

  • 2009/07/13(月) 16:12:37

いよいよ夏の甲子園を目指す戦いが全国各地で始まりました。今地方大会で注目していた選手の一人であった大阪・PL学園の勧野君は残念ながら腰の故障が癒えずベンチ外という形になり出場できませんがまだまだこれからの選手なので楽しみに待ちたいと思います。そんな中新たなスター候補の予感がぷんぷんする逸材が東京の名門・帝京に出現した。

16歳、高校一年生にして185cm85kgという恵まれた体格を持ち全身を使って投げ下ろすタイプの本格派投手です。
1年生でMAX145kmを計時した逸材です。
選手層の厚い名門帝京において1年生ながらエースナンバー「1」を背負うのではないかとまで言われている。

実はこの投手を僕は彼が中学生の時から知っていた。
シニアリーグの国際大会で堂々と投げこの世代では圧倒的なスピードとコントロールでばったばったと気持いいくらいに三振を取り続けた快投を衛星放送で目にし一瞬でとりこになったしまったのだ。
中学生当時から140kmを軽く越える球を投げ込み高速スライダーで三振を取るピッチングを見た時は本当に”化け物”の様にすら思った。

中学生レベルでこんな球を投げるピッチャーは見たことなかったからその驚きは今でも覚えている。
東京の名門・帝京に進学し前田監督の元、下半身の強化と夏の連戦を戦い抜けるだけのスタミナ強化に努めさらにひと回り大きくなったようだし球速も着実に伸びている。

5月に行われた春季関東大会では各校のスコアラーの度肝を抜かしたほどの鮮烈なデビューを飾り一気にその名を轟かせた。間違いなく今年一番のスーパー1年生である伊藤拓郎という投手の名を覚えておいてほしい。

松坂、ダルビッシュを凌ぐとも劣らないスーパー高校生エースになる日はそう遠くない気がしてならない。

マイケル・ジャクソンとスーパーボール

  • 2009/07/12(日) 17:31:19

享年50歳という若さで急死した世界のスーパースター、マイケル・ジャクソン。
たくさんの人に惜しまれて逝ったマイケル・ジャクソンについて今日は語りたい。スポーツBLOGで何故?と思われた方も沢山いるだろうが実はこのスーパースターが全米一の人気を誇るアメリカンフットボールの価値を上げた張本人でもあり、多大な功績を残しているからだ。


スポーツとトップエンターテイメントを融合させ全米一決定戦である『スーパーボウル』が世界の人々の注目されるゲームとして認知されるきっかけを作ったのだ。

1993年のスーパーボールのハーフタイムに衝撃が走った。

ダラス・カウボーイズとバッファロー・ビルズの試合のハーフタイムショーでマイケル・ジャクソンが登場したのだ。

それまでのハーフタイムショーといえば、毎年変わる開催地の人によるマーチングバンド演奏やキャラクターが踊ったりと本当の休憩時間のような意味合いに当てられてきた。しかし、ハーフタイムショーの視聴率が試合に比べて10%近く落ちることを改善したいリーグ機構がさほどフットボールに興味のない若い世代の視聴者層を獲得したいと思いたち当時、人気絶頂にあったマイケル・ジャクソン出演の白羽の矢を立てたのだ。 

その結果なんと試合の視聴率よりもマイケル・ジャクソンが出場したハーフタイムタイムショーの視聴率の方が高くなってしまった。

結果、『スーパーボウル』そのものの価値が上がり世界のトップアーティストを毎年ハーフタイムショーに招くことが定着していったのであった。トップアーティスト達もスーパーボールのハーフタイムショーに出演する事がひとつのステータスにもなり双方の思惑が一致した一大イベントになったのだ。

そんな礎を築いたマイケル・ジャクソンだが出演交渉を行った当初いろいろ苦労があったとされている。

まず、「スーパーボウル」さえ知らなかったマイケル・ジャクソンに、まずフットボールがどんなスポーツで、誰がプレイするかなど、一から説明し数多くの発展途上国を含む世界100カ国で放送されて、世界各地に駐留している軍関係者にもライブで観てもらえることが特徴と説明したそうだ。

するとマイケル・ジャクソンは快く快諾しなんとノーギャラで引き受けたというのだ。

チャリティー活動に最も熱心だったポップスターとして有名だったマイケル・ジャクソンだ提示した条件はただひとつだけ売上(収益金)の一部を恵まれない子供たちを救う基金に寄付をする事だけだったそうだ。勿論その条件は満たされそのご今日に至るまで超大物スターが登場してもノーギャラで出演しているのだ。

スポーツとエンターテイメントの融合にも大きく貢献し世界に衝撃を与えたマイケル・ジャクソン。その功績はスポーツ界にも大きな影響を与えてくれた。改めて心からご冥福をお祈りしたい。

糸井嘉男  怪我多き天才の開花

  • 2009/07/09(木) 15:13:28

好調日本ハム打線のキーマンにもなりつつある不遇の天才が今季やっと花を咲かせている。




糸井嘉男

京都最北端の小さな町に誕生した天才野球少年は今季北海道の大地で大きな花を咲かせた。
プロ入り6年目。近畿大学からドラフトで投手として入団。

186cmの恵まれた体格から投げ下ろすMAX155kmのストレートが武器というのが触れ込みだった。高いポテンシャルを感じさせながらも故障かちの体は「ガラスの体」と揶揄されプロでは通用しないというのが大方の見方だった。

しかし、当時監督のヒルマンや現ヤクルト監督の高田ゼネラルマネージャーの強い要望で打者転向するやその強肩、俊足を売りに類まれなセンス溢れるバッティング技術がすぐに開花した。

もう少し打者転向が早ければ世界のイチローに匹敵するほどの選手になっていたかもしれないと言われる程のポテンシャルの持ち主である。
2軍(イースタンリーグ)とはいえ並み居るプロ野球選手がひしめき合う中、打者転向5ヶ月目の月に月間最高打率、最高本塁打、最多盗塁数を記録し月間MVPを獲得したほどの才能にはチーム関係者すら驚いたのだ。




ここから一気にブレークかと思った矢先に不運が襲う。

足や肩の度重なる故障に悩まされ一軍に呼ばれては怪我で2軍に落ち治ってはまた故障しとそんな繰り返しでなかなか日の当たる場所には上がれなかった。

昨年も開幕一軍の切符をかちとりいよいよブレークかと思った矢先に無理がたたったのか開幕早々に肉離れを起こした。しかし糸井はこの怪我を隠し無理をしたために症状を悪化させ結局一年を棒に振ってしまった。度重なる怪我を理由に2軍に堕ちた過去の苦い経験がさらに無理をさせたのだろう。

それでも復活に期す今季は開幕から絶好調で日本ハムの打線の中軸をにない、なんと1軍の月間MVPを獲得してしまった。

この天才に故障がなかったらと思うとまさにイチロー2世の誕生だったのかもしれない。逆に言えば大きな故障をしないイチローは本当に凄いということがわかるのだが天才的なバッティング技術といいスピードや強肩さなどはまさにイチローの再来といっても過言ではない。

某スポーツ番組で現役のプロ野球選手に「最もすごい体を持つ選手は誰?」という質問をしたらほぼ全員の選手が当時2軍でくすぶっていた糸井の名を挙げテレビ関係者もあまりに資料の少なさに右往左往したという逸話まである。

今年のオールスターにも選ばれたこの選手を是非覚えておいてもらいたい。近い将来もっと大きな名前になるだろうから。



アンディ・マレー

  • 2009/07/06(月) 23:10:39

ウィンブルドンで久々の地元イギリス人の優勝を期待された22歳の若きエース。アンディ・マレー。

190cmの恵まれた体格を活かしパワーテニスを展開するのかと思いきや精密機械のようなタッチで相手の弱点を徹底的につくクレバーなテニスをする。イギリス人の期待を一身に背負うまでの存在になった。世界ランク3位で今大会も第3シードをもらったマレーは初戦か順調に勝ち上がり地元の期待はますますヒートアップしていった。

若さに似合わぬ高い技術と卓越した戦術眼を背景に自ら有利な展開を作っていくオールラウンダータイプ。今大会も制した芝のコートでは絶対的な強さを誇る皇帝フェデラーに似たタイプだ。

多彩なショットで相手を揺さぶりそこからポイントを引き寄せていく。
従来はフィジカル面の弱さが指摘されていたが近代的なトレーニングを積極的に取り入れ徹底的なフィジカル強化によってショットの威力やコートカバーリングを向上させたことで弱点は克服しつつある。全体的に穴の少ない選手であり対戦相手に対して効果的なゲームプランを設定することに長けているためポイントの取りこぼしは少ない。
研究熱心な事でも知られ、自宅には他選手の試合の映像が多数保管されていると言われるほどだ。

イギリスでは近年、ヘンマンが世界トップランカーになり毎年の様にウィンブルドンの季節になると「今年こそは」と期待をされてきた。それでも準々決勝止まりで地元民の期待を裏切ってきた。
しかし、この若き地元スターは一味違うかもしれない。引退したヘンマンに変わりその期待の先はマレーに集められているが22歳という若さと芝のコートの対応力、更なる技術の向上を考えると僕は近い将来必ずセンターコートで優勝カップを手にする姿を見れると思っている。

大きな怪我をすることなく順調な成長を遂げてもらいたいものである。

余談だがこのマレーという選手、サッカースコットランドの名門「グラスゴー・レンジャース」のスカウトの目に留まり本気で入団を考えるほどのサッカーのセンスも抜群の選手だったのだ。
「テニスを選ばずにサッカーを選んでいたらもっと有名な選手になってたかも・・・」と今でも惜しまれるほどの選手だったそうだ



ツール・ド・フランス

  • 2009/07/05(日) 00:21:44

「ツール・ド・フランス」という自転車レースをご存知だろうか?毎年7月のこの季節にフランス全土、距離にして約3500kmを約20のステージに分け23日間かけて走りぬく自転車レーサーの憧れの大会であり、毎年数十万人という観客を集める世界最高峰の自転車レースである。フラットなステージもあれば高低さ2000mとも言われるアルプス山系の道も走破しないといけない過酷でありながら綿密なチーム戦略によって戦われる頭脳的なゲームの一面も見せる。

総合成績1位の選手には「マイヨ・ジョーヌ」と呼ばれる黄色のジャージが着れ全世界から憧れの存在として扱われる。スプリント賞、山岳賞、新人賞といった各賞の対象者も特別なジャージを着用する。他に「 マイヨ・ブラン・ア・ポワ・ルージュ」という白地に赤い水玉模様のジャージは山岳系コースの一番の者が着用し 「マイヨ・ヴェール」という緑色のジャージはスプリント系ステージの一番のものが着用できるのが大きな特徴だろうか?
つまり集団の中で黄色いジャージを着た者を見つけると選手の名前は知らなくとも総合一位の選手だとひと目で解るという訳だ。ちなみに総合優勝の賞金は副賞もあわせ約1億円だそうだ。

最終日にパリの市街地をぐるぐる回り最後にシャンゼリゼ通りを集団でゴールに駆け込むお祭り騒ぎの様な映像を見たことがある人も多いかもしれない。中にはシャンパンを手にゴールする選手もいるなど最終日はもう優勝争いというよりも一緒にゴールできた事を称えあう儀式のようなものなのだ。

日本ではあまりなじみがない自転車という競技だがフランスは特にヨーロッパ各地でこの様な大会が開かれるなどヨーロッパでの自転車競技者へのリスペクトはかなり高い。
ちなみ10数年前までフランスで一番知名度があった日本人は自転車のスプリント、日本では競輪で有名な「中野浩一」であったほど自転車選手はリスペクトされている。

そんな世界中が注目するレースに今季久々に(史上2人目)らしいが日本人がエントリーされているしかも2人もチームが違うが同時に2人の日本人が出場するとあって注目を浴びているようだ。

近年はトップ選手の相次ぐドーピング違反が発覚しその人気に大きな陰りを見せているがそんなダーティーなイメージを払しょくする程の好レースを連日見たいものである。

自転車を漕ぐというフィジカルの勝負だけでなくチーム戦略や個人の駆け引き
など知れば知るほど面白くなるロード競技を皆様にも一度見て知ってもらいたい。


※ちなみに写真は今季ツール・ド・フランスに出場する日本人選手で上の写真(青いウェア)が新城選手、下の写真(日の丸のウェア)が別府選手です







高橋みゆき  世界最小アタッカーの引退

  • 2009/07/04(土) 06:01:23

『決して大男とは言えない体格でコートを縦横無尽に駆け回る姿に憧れる』とNBAの小柄なスーパースターであるアイバーソンをリスペクトし日本古来のスポーツ精神であろう「心・技・体」の「心」を重んじ自らのコートネームにまでしている高橋みゆきがユニフォームを脱ぐようだ。

持ち前のひょうきんな性格でいつもチームの中心に君臨しチームを鼓舞し続けた小さな大エースが引退をするようだ。





170cmと世界の女子バレー界では最小クラスのアタッカーがその名を轟かせた事が本当に凄い事だと知ってもらいたい。
強靭なフィジカルがあるわけでもない高橋が世界を相手に戦えたのはやはりデータバレーのお陰とそれを忠実に実行できるテクニック、視野の広さも含めたクレバーなところではなかったろうか?

「バレーの神様が高橋にもう10cmでいいから身長を与えてくれていたら日本のバレーは世界でもっと注目されるものになっていた」とまで言われている。

北京オリンピックの会場脇にあるサブ体育館で入念なマッサージを受けていた高橋を見て驚いた事があった。
股関節周りや肩周りの柔軟性に驚いて「流石に小さな体でできるはずだ」と自分で納得していたが、よくよく見てみると両足のくるぶし付近、足首からかかとにかけて異様なほどに腫上がりアイシング、マッサージを繰り替えすもトレーナーが触れるたびに苦悶の表情を浮かべきっと「痛いんだろうな」と可哀想にすら思ったものだ。
しかし試合になるとそんな満身創痍を微塵も感じさせないパフォーマンスでコート狭しと駆け回るのだからこの人の精神力は凄いなと改めて感心したものだ。





バレーにおいて身長やジャンプ力など「高さ」は本当に重要な武器である事はみんな知っている。
そんな中でもひと際小さな高橋が世界のトップアタッカーとして認められるには並大抵の努力ではできない事ではなかったろうか?自分の身長の低さを補うために何が必要で何を取り入れなければならないのかを考え習得するのにどれだけの時間と練習を重ねてきたのだろうか?

ストイックにバレーに打ち込むだけでなく明るくひょうきんなキャラクターでバレーボールを盛り上げ続けた功績も大きい。
いつも笑顔でそして誰よりも大きな声を出しチーム全体を明るく楽しい雰囲気に変えれる選手はそんな多くはいないはずだ。

高橋ももう30歳。

十分すぎるほど世界と戦い尽くした小さな大エースの第2の人生に期待するとともに今日まで本当に「お疲れ様でした」と心から思いたい




close