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田口壮

  • 2010/01/30(土) 07:41:38

オリックス時代にイチローとともに鉄壁の外野陣の一角として優勝に大きく貢献した田口壮がいよいよ9年ぶりに日本に戻ってきた。40歳になった今季古巣オリックスからオファーを受け入団したのだ。

野球を知りつくした男は大リーグでも活躍し2度もワールドチャンピオンになるなどユーティリティープレイヤーとして名をはせた。外野ならどこでも守れ内野もこなす器用さはどこのチームでも輝いてしたしチームにはいなくてはならない控え選手だった。そんな田口が入団会見で漏らした言葉は「尊敬する大先輩の下で、もう一度野球を学びたいと思った」





オリックスで現役を終えた岡田新監督の元で「もう一度野球を学びたい」と素直に口にしたのだ。田口らしいといえばそれまでだが40歳になった今なお向上心を忘れない姿勢に感心だ。

大リーグ経験を鼻にかけるダメ助っ人外国人もまだまだいるし高校時代やアマチュア時代にチヤホヤされて鳴り物入りで入団したもののなかなか結果がだせない選手も沢山いる中、多くの経験を踏まえた上で更なる向上を目指す姿勢は若手選手もよく見習うべきではないだろうか?




しかもベテラン調整ではなく若手とともに紅白戦、オープン戦と試合に出て結果を残してレギュラーポジションを獲りに行くというのだから恐れ入る。
大リーグ時代、メジャー契約でメジャー安泰の生活を9年間過ごしてきた訳ではなかった。FA宣言した時も地元・阪神から高額のオファーとレギュラーポジションの座を約束されながらイチローを追ってメジャーに挑戦をした。カージナルスと複数年の契約を結んだもののキャンプでは招待選手で有望な若手とし烈なメジャー枠獲得競争をしてきた。まるまる一年マイナーで過した年もあった。それでも田口は腐らず日本での実績などを鼻に掛けずひたむきに野球と向き合いメジャーで自分のポジションを見つけてきたのだ。

オリックス入団当初は大型内野手としてイチローよりも期待されていた。当時の監督の土井正三氏にスローングの注意を受けイップス(送球障害)に陥り精神的に追い詰められた田口は難聴も患った。それだけ精神的にも弱かった田口だったが成長しアメリカで更なる苦難を乗り越え一回りもふたまわりも大きくなってオリックスに戻ってきたはずなのに「もう一度野球を学びたい」と言える田口は本当に凄いと思う。
年齢的な衰えは否めないので過去の様な派手な活躍は望めないかもしれない。それでも真摯に野球に取り組む姿勢を若手に見せるだけでもチームへの貢献度は高いはずだ。

田口壮の野球に対する姿勢をこの一年ちゃんと追っかけたいと思う。



エフゲニー・プルシェンコ

  • 2010/01/27(水) 04:15:01

世界最高のジャンプを跳ぶ男がいよいよ銀盤に戻ってきた。地元サンクトペテルブルク市の議員も務める「ロシアの皇帝・エフゲニー・プルシェンコがヨーロッパ選手権で見事に優勝しその力をいかんなく発揮しまもなく開幕するバンクーバーオリンピック男子フィギュアスケートの金メダル最有力候補として名乗りを上げた。

彼を初めて見たのが長野オリンピックの翌年(1999年)のNHK杯だった。4回転ジャンプを跳ぶ数少ない選手として知られていたプルシェンコを見に行った会場で僕は目を疑った。4回転−3回転−2回転の3連続コンビネーションジャンプを見せたのだ。この時まだ16歳。もちろん史上初の4回転のコンビネーションジャンプに会場は一瞬静まり返りそして大きくどよめいたのを今でも覚えている。この前年、史上最年少で世界選手権のメダルを獲得した天才は更なる進化を遂げ研ぎ澄まされたジャンプに僕は興奮した。興奮したというよりビックリしたのが本音だったかもしれない。

金メダル確実と言われた20002年のソルトレークオリンピックでは序盤のショートプログラムで転倒し大きく出遅れたもののNHK杯の衝撃を越える4回転−3回転−3回転のコンビネーションジャンプを見事に成功させ銀メダルを獲得したのだ。その後も世界選手権を総なめにし臨んだ2006年のトリノオリンピックでは最高のパフォーマンスで他を寄せ付けない圧倒的強さで金メダルを獲得し銀盤を去ったのだった。

過度のトレーニングとジャンプの影響からか両ひざを中心に足は満身創痍と聞いている。いつ大けがをしてもおかしくないほど悲鳴をあげ爆弾を抱えているそうだ。幾度となく手術、リハビリを繰り返し復帰を目指しながらも地元サンクトペテルブルク市では市会議員を務めるなど地域貢献をし次のオリンピック開催地となったソチの誘致活動にも大きく貢献したそうだ。

そんなプルシェンコが痛みと戦いながら、痛み止の注射を打ちながら銀盤に戻ってきた。世界最高のジャンプには衰えを感じさせず、スピンやステップ、表現力に一段と磨きをかけてヨーロッパ選手権では大きく躍動した。男子史上最高点をたたき出し世界中のライバルにため息をつかせるほどの圧勝劇を見せつけいよいよバンクーバーに乗り込んでくる。
メダルが期待される日本勢(高橋・織田・小塚)の3人もまた一人やっかいなライバルが現れたと危機感を感じているだろう。プルシェンコが復帰したことで世界の注目はいかに綺麗にいかに高く4回転を跳ぶ事が出来るかに集まったといっても過言ではない。世界中の4回転ジャンパーが色めきだつ展開になったことで見ているファンも楽しみが増えたというものだ。いよいよ開幕が近づいたバンクーバーの銀盤でエフゲニー・プルシェンコが舞う4回転のコンビネーションジャンプ。本当に楽しみである。



全国都道府県駅伝 駅伝王国兵庫が優勝

  • 2010/01/26(火) 00:28:06

兵庫が全国都道府県駅伝で3年ぶり3回目の優勝を飾った。

原動力は最終区アンカー勝負で3位から逆転し優勝のテープを切ったエスビー食品の竹沢の活躍だったことはいうまでもない。竹沢は昨年まで早稲田大学に所属し箱根駅伝で数々の記録と伝説を作ったスターで北京五輪では5000、1万メートルの両方に代表として出場した。実力からすれば首位だった埼玉の堀口やマラソンで実績のある2位でタスキをもらった福島の佐藤敦之との戦いでは逆転するチャンスがあったかもしれないが駅伝王国地元・兵庫の威信にかけての走りは圧巻だった。

7区間で竹沢を含め区間賞(区間1位)が一人もいない成績で優勝したのはさすが駅伝王国といったところか?中学生駅伝大会でも常に代表校が上位入賞を収め、高校世代では報徳学園に西脇工業の名門2強に最近めきめき実力をあげている須磨学園を含めたトップ3校はどの学校も全国駅伝の優勝を狙える実力を持ち合わせている。そんな中・高学校から選りすぐりのトップスターが集った今回のチームでこの年代では実力がずば抜けていた。社会人の森本が区間37位と大ブレーキになっても優勝した実力は本物だった。
特に5区を任された西脇工業の志方文典が区間5位ながら着実な走りでまとめ上げた。165cmほどの小柄な身長ながら華麗なフォームと小気味良いピッチ走法はどこにも穴を感じず卒業してから大学に進学してもこれから期待できる選手であろう。志方を中心に一区を任された須磨学園の西池はまだ2年生。中学生もそれぞれの強豪の高校に進学し実力を伸ばすことだろう。

更なる駅伝王国の伝統を継承すべき若き実力者が次々に生まれる兵庫県の育成方法に敬意を表すとともに出身地として僕は誇りに思う。

水谷準の強さ   卓球全日本選手権から

  • 2010/01/23(土) 05:58:55

卓球の全日本選手権を全て見終わった。福原愛の悲願の初優勝や石川佳純の史上最年少優勝、平野早矢香の4連覇など注目が大きかった混戦の女子シングルは中国人帰化選手でカットマン(守備型)の王が初優勝を飾った。注目された3選手はそれぞれ福原が6回戦で石川も王に準々決勝で平野も準決勝でベテラン藤沼の前に敗れた。特に福原の日本人に対する弱さ、精神的な弱さを今回も克服できなかったのが残念だった。つい先日に世界ランク1位にまで上り詰めた僕の一押し選手、中国の劉詩文を破るなど好調をキープしていたし世界ランクはいまだ日本人最高の21位なのに日本選手権では全く勝てない。ここまで来たら七不思議といってもいいのかもしれない。

そんな中、男子は水谷準の圧倒的強さが際立った。最新の世界ランクは10位。しかもU−21クラスでは世界ランク1位の若手筆頭はこの日本でも十二分の強さ、異次元の強さを見せつけてくれた。今大会はライバルが沢山いたはずだった。若手の成長株で昨年の世界選手権(横浜大会)で旋風を巻き起こした松平健太をはじめ、おなじく世界選手権(横浜大会)でベスト8に入った吉田海偉、ダブルスを組み最近めきめき世界ランクを上げてきた岸川聖也、元中国人で水谷が苦手とする左利きの張一博などが水谷包囲網をひき4連覇阻止に躍起になっていたはずだった。

確かに準決勝の張一博は先にマッチポイントを握られるなど劣勢だったがここから驚異の粘りを発揮しこの試合をものにすると決勝では超攻撃型の吉田海偉に全く何もさせずに4−0のストレート勝ちを収めいとも簡単に4連覇を達成してしまった。

世界最高クラスの30数種類はあるというサーブに吉田は全く対応できず攻撃が武器の吉田が後手後手にまわってしまっては水谷を楽にさせるだけだった。吉田は過去に何度も何度も水谷に敗れ苦杯をなめ続けていただけにその対策は十二分に練ってきていたはずだった。もちろんサーブレシーブ対策も研究しつくしていたはずだった。吉田の予想をはるかに超える回転数と切れ味、そして水谷新たに追加したサーブの種類の豊富さに全く対応できずにサーブレシーブ返球するのがやっとの状況だった。普段は守備を固めて台から離れて勝負するタイプの水谷が吉田の甘い返球を見逃さずに先に攻撃を仕掛け吉田の苦手なバック側に容赦なく叩きこむスマッシュが面白いように決まり水谷の圧勝だった。新ポイントルール移行後決勝戦としては史上最短の試合時間が水谷の強さを物語っている。

水谷は試合後の会見ではっきり「中国を倒して世界制覇」と口にした。普段は大きな事を言わない無口な水谷が語った決意に会場から大きな拍手が沸き起こり水谷も手を振ってこたえた。はっきりと世界制覇、打倒中国が自分の中で見えているからの自信であろう。5月にロシアで行われる世界選手権の団体戦がひとつの試金石となり2012年ロンドンオリンピックがその舞台となることを誰よりも水谷本人が期待しているようだった。
全日本選手権はほんの通過点。世界ランク10位の若武者はいよいよ中国撃破の頂を目指して歩きだしたようだ。

小沢英明 史上最高の第2キーパー

  • 2010/01/22(金) 01:22:01

小沢英明というゴールキーパーをご存じだろうか?今は鹿島アントラーズに所属している35歳の控えキーパーである。彼が日本サッカー界で注目を浴びたのはブラジル戦に勝利し「マイアミの軌跡」を生んだアトランタオリンピックの正ゴールキーパーを後の日本代表に長く君臨する川口とレギュラー争いをした時ぐらいだ。

現在、所属する鹿島でも曽ヶ端の控えに甘んじているものの熱心な練習態度や若手とのコミ二ケーションや指導力など人間的にもかなり評価されている。控えキーパーにも関わらず推定年俸2000万を稼ぐのは試合での貢献数よりもチーム全体の、試合以外での貢献度がかなり評価されての年俸である。この数字に誰も文句を言わない、言わせない人柄も彼の凄いところである。高卒で地元鹿島に入団して以来、横浜Mやセレッソ大阪、FC東京などを経て鹿島に復帰、Jリーグ通算18年在籍し出場した試合はわずか25試合。しかも第2キーパーとしてベンチ入りしながら試合に出なかった試合数257はJリーグ最多である。キーパーの交代は戦術的にフィールドプレイヤーが交代するのとは意味が違いアクシデント(怪我やレッドカードなどによる退場)の時しかなく先発メンバーの正ゴールキーパー以外はベンチを温める時間が多くなるのだ。

それでも万事に備え準備し続ける姿勢やきーむを鼓舞するベンチからの声援など献身的にチームに貢献し続けクラブから「最高の第2キーパー」と評価されているのだ。「最高の第2キーパー」とは聞こえはいいが「最高の補欠」と言われているのだ。

チームに献身的な小沢英明がこのオフ、初めてクラブに反旗を翻した。2400万のオファーを断り単身、海外リーグの挑戦を選んだのだ。慰留に努めた鹿島クラブ幹部を涙ながらに説得、電撃退団し目標に定めたのがヨーロッパでなく南米パラグアイのパラグアイ・リーグを選んだ。もちろん、正式オファーを貰ったわけでもましては正ゴールキーパーの椅子が確約されたわけでもないが練習生から始めるという。

妻と子ども2人の4人家族。鹿島での2400万の報酬、さらにはキーパーで現役引退後の指導者、クラブ幹部がほぼ約束されているにもかかわらず涙を流して自分の夢を押し通した。

パラグアイの英雄キーパー・チラベルトに憧れた若かりし頃。そのチラベルトが育ったキーパー大国に単身乗り込む日本が誇る控えキーパー。「海外挑戦」そして「正ゴールキーパーになりたい」という2つの夢を目指す35歳の挑戦。言葉も文化も違う異国、しかもヨーロッパに乗り込む日本の代表選手のようにスポンサーも代理人もいない単身で練習生から入団オファーを待ち契約成立してもレギュラーになれる保証はない。むしろ皆無かもしれない。それでも小沢英明はその「夢」に懸けた。

小沢英明。パラグアイでの活躍を本当に願っている。



スティーブ・ナッシュ

  • 2010/01/19(火) 15:54:47

フェニックス・サンズはいつでもスティーブ・ナッシュのチームだった。「Mr.サンズ」と呼ばれる男があの時、いなかったら田臥勇太はサンズを解雇されなかったかもしれないしサンズで経験を積み他チームに移籍してもNBAで活躍していたかもしれない。田臥の夢、日本の夢を摘み取った天才的ポイントガードはもう35歳になった。「セブン・アタック」というサンズ独特のボールを奪ってから7秒以内での攻撃、超高速攻撃陣を長年けん引し続けた男がスティーブ・ナッシュだった。アップテンポで楽しいバスケットがフェニックス・サンズの魅力だった。

リーグ戦では常勝軍団でレギュラーシーズンはいつも好成績を収め、一番チャンピオンリングに近いチームと毎年のように言われ続けた。それでもプレイオフで勝ちきれないチームの改革にと、近年は若干の衰えを感じるもののまだまだスターフォワードで人気も高いシャキール・オニールを獲得しゴール下に強いチーム作りをした。スティーブ・ナッシュの年齢的な衰えもありシャキール・オニールを生かす戦術では自慢のアップテンポで楽しいバスケットが見れなくなりチームの人気も下降線をたどり、比例するかのように成績も下降線をたどってしまった。あろうことかプレイオフ進出も逃し弱くて魅力のないチームに成り下がってしまった。

今シーズンはオニールをトレードで放出しスティーブ・ナッシュ中心のスピードバスケットに変貌を見せようとしていた。
しかしチームの中心で肝心なプレーヤーのスティーブ・ナッシュがここ数年、年齢的な衰えが顕著で今さらスピードバスケットが展開されることには誰もが疑問を持っていた。

そんな下馬評を覆すようなサンズの快進撃。それを支えているのがここ数年が嘘のように全試合に出場しまるで「若返りの泉」でも見つけたかのように生き生きとコートを走り回りチームをけん引している。アップテンポで楽しいバスケットが完全に再現されているのだ。しかも今までで見たことないような華麗さで。ナッシュ自身も「今までで一番調子いい」と何度もインタビューで公言している。徹底的な食事制限と体調コントロールで今ままでにないスピードを発揮しているというのだ。引退も噂され続けたスティーブ・ナッシュは来季からの契約を2年更新も早々と済ませその噂を払しょくし、アップテンポで楽しく強いバスケットを見せつけている。


小林繁  早すぎる反骨のアンダースローの死

  • 2010/01/18(月) 04:25:42

人の死とはこんなにも簡単なものなのか?と問いたくなるような訃報が日本のプロ野球界を駆け巡った。
前日に親会社の日本ハムの製品発表会に選手や監督らと共に出席し元気な姿を見せていた「反骨のアンダースロー」小林繁氏が57歳の若さでこの世を去った。




江川卓の悲願とも言うべき巨人入りを巡ってはこの人抜きでは語れない。「空白の一日」のもう一方の主役だったのは当時、巨人の絶対的エースだった小林繁。

江川卓が幾度となく引き起こしたドラフト会議での巨人逆指名の波紋。意中の巨人に指名されるも抽選に泣き大学進学、野球浪人を繰り返し「空白の一日」を使って巨人に電撃入団も棄却され最後は指名された阪神に入団し即、巨人とのトレード成立という掟破りの裏技を駆使した。阪神がトレード相手に指名したのは巨人のエースだった小林繁だったのだ。





それでも小林は低迷する阪神の大黒柱として投げ続けた姿はまさに「反骨のアンダースロー」だった。

引退後もその卓越した野球理論とダンディなルックスで人気を博し解説にテレビキャスターにと大活躍した後、満を持して近鉄のピッチングコーチに招へいされ見事、優勝に導いた。
当時の監督であった梨田監督が日本ハムの監督になってから強烈なラブコールを受け2軍の投手コーチに就任し糸数や江尻といった伸び悩んでいた若手に自身の様にサイドスローを伝授し見事に一軍に昇格させ優勝の原動力となる投手に育て上げた。その手腕を見込まれ今季から一軍の投手コーチに昇格し投手王国作りに着手した矢先の訃報だった。






12日にはスタッフ会議にも参加しキャンプでの指導方針など熱く語っていたそうだし前日の親会社の日本ハムの製品発表会でも中高年のファンと写真撮影に応じるなどその人気は衰えを知らなかった。

翌日の17日朝に体調不良を訴え急遽運ばれた病院で間もなく息を引き取ったという。死因は心筋梗塞。

反骨のアンダースローを襲った突然の病には勝てなかった小林繁氏。日本プロ野球界に名を残す独特のアンダースローのフォームを僕は決して忘れない。ご冥福を心から祈るとともに重ね重ね残念でならない。

柴崎岳 青森山田が負けた日

  • 2010/01/15(金) 01:41:45

「これが高校サッカーだ。」
改めて現実に直面した天才MFはピッチの上で茫然と立ち尽くし歓喜に沸く山梨学院大付の選手の輪に目を向け唇をかみしめる背番号10。華々しい程に眩しすぎるぐらいに輝きを放ち続けた緑のユニフォームの背番号10、柴崎岳の顔に笑顔はなかった。

相手の戦略に見事にはまってしまった90分間を彼はどんな風に回想したのだろうか?
「中盤を極めて省略しロングボールで前線にフィードし青森山田の自慢の中盤が機能する前に徹底的マークで前線でつぶす」個人技に劣る山梨学院大付の戦術は実に単純明快だった。対する青森山田もこのような相手とは何度も戦ってきただろうし十分に考えられた範囲だったはずだ。しかしここは決勝戦、大舞台のこの決勝にあがってきてるチームのポテンシャルを甘く見ていたのかもしれない。
中盤がいつものように機能しない青森山田はボランチ位置から攻撃の起点になっていた柴崎をいつもより前のポジションで仕事をさせた。その結果、ボランチには怪我から復帰したばかりでフィジカルに不安を残す椎名だけになり守備に追われ攻撃のリズムが完全にくるってしまった。青森山田自慢の守備から攻撃へのリズムアップがなされないまま椎名は動かされ続け柴崎は孤立してしまっていた時間帯が多すぎた。

大会前から僕はこのコラムでも注目選手として柴崎の名前を挙げていた。想像以上の活躍を見せてくれたし、ただただプレーの質の高さに感心させられ続けた。テレビの解説でも元日本代表の都並氏が「リトル・遠藤」と絶賛していた程の才能をいかんなく見せてくれた。冷静でどんな場面でも表情を変えず、言葉少ないクールなイメージの風貌だが実はチームで一番、サッカーに対し深い愛情を持ち情熱的で負けず嫌いな男なのだ。誰よりもストイックにサッカーに取り組んだ才能豊かな天才的な男。
そんな柴崎が負けた。

天才はいつもあと一歩の所で「優勝」という称号から見放され、幾度となくサッカーの神様から試練を与えられ続けている。中学時代も全国大会ではベスト4と準優勝、そして今大会も準優勝。ユース世代の日本代表の不動の10番でも神様は「優勝」というご褒美は簡単にはくれないようだ。それでも柴崎はまた立ち上がり更なるステージを目指して歩み続ける。今大会で見つかった課題をしっかり頭と胸にしまいこみ、ストイックなまでにサッカーに情熱を注ぎ込むだろう。まだ2年生。柴崎のサッカーをもう一度見ることができる。これからの一年、柴崎はどのようなサッカーを身に付け来年、この国立の地でどのような輝きをはなってくれるのだろうか?今から楽しみでならない。




キ・ソンヨン  韓国のスティーブン・ジェラード 「キラード」

  • 2010/01/13(水) 03:03:08

キ・ソンヨン。

この韓国人MFを是非覚えておいてもらいたい。

まもなく21歳になる韓国史上最高のMF。

マンチェスター・ユナイテッドに所属する国民的スーパースター、パク・チソンに次ぐ時代を背負う韓国サッカー界の至宝である。187cmの恵まれたフィジカルからは信じられないスピードと両足のテクニック。沈着冷静なプレースタイルで左右両足から放たれる強烈なシュートはアジアでは最高クラスで世界でも十分に通用する。ついたあだ名は韓国のスティーブン・ジェラードこと「キラード」。スティーブン・ジェラード同様ミドルエリアから放たれるシュートはまさに相手チームには脅威でクラブでも代表チームでもフリーキックやコーナーキックを任される。

その才能は早くから開花し韓国サッカーの全年代の代表に名を連ね,どのカテゴリーでもチームの中心にはキ・ソンヨンがいた。

そんなキ・ソンヨンに早くから国外、特にヨーロッパのトップクラブが興味を示し獲得を希望した。日本も横浜マリノスが早くから獲得を目指すなど移籍先は韓国でも注目の的だったがこのほど中村俊輔も在籍したスコットランドのセルティックに移籍が決まった。キ・ソンヨンの実力、若さから言うともっとビッグクラブに移籍してもいいのではとも思うが今年はワールドカップイヤーである為により試合に出れるチームを選んだようだ。注目の移籍金も格安の約3億円。これはセルティックにとってはかなり安い買い物で即、レギュラーで活躍も期待されワールドカップで世界中の目にとまり移籍金が跳ね上がる事も予想されクラブにとっては投資目的でも十二分に価値があるだろう。

キ・ソンヨン。この選手の名を6月のワールドカップまで是非覚えておいてもらいたい。

必ずブレークするアジア屈指のMFキ・ソンヨンの事を。



松井啓十郎 和製ジョーダン=KJ

  • 2010/01/12(火) 00:01:10

「日本で一番NBAに近い男」「和製ジョーダン」と呼ばれる松井啓十郎。愛称は「KJ」身長185cmでポジションはポイントガード。

マイケル・ジョーダンがスポンサー企業の宣伝活動を兼ねて来日し行ったイベントで巧みなステップと正確無比なシュートセンスを見せた松井に対し、握手を求めアメリカに来るように薦めた少年がいた。その少年こそが松井啓十郎だった。中学校卒業後単身、アメリカ高校バスケットの名門モントロス・クリスチャン高校に留学しさらに大学リーグNCAAのディビジョン1(トップカテゴリー)のコロンビア大学に進学しアメリカバスケットを勉強し続け本場のスピードやフィジカルに挑戦し続けた。

日本人では田臥勇太以来史上二人目となる19歳以下の世界選抜のメンバーに選出されるなど結果を残したかに見えたがNBAの壁は厚くそして高く松井啓十郎をスカウトするチームは現れなかった。大学卒業後もアメリカを拠点に練習し続ける道もあったが練習では得られないはずの試合の感覚を大事にするため日本に戻ってきたのだ。選んだチームは日本リーグの北海道を拠点に活躍するクラブチームレラカムイ北海道だった。

チームはつい最近まで練習拠点もたないバスケットボール不毛の地、北海道のクラブチームで親会社が完全スポンサーになる実業団チームとことなりプロ化したクラブチームである。但し、資金的にも潤沢ではないし必ずしも日本で最高のチームではない。bjリーグを含め多数の国内チームから誘われたがこのチームの熱意に打たれチームの一員となった。

日本リーグでも下位に甘んじていたチームに日本最高のシューターが加入した。日本で一番NBAに近い男が加入したのだ。天皇杯のベスト4に初めて進出したレラカムイ北海道のチームの中心にはやはりこの男がいた。

独特のクイックリリースから放たれるスリーポイントは鮮やかなまでにリングを射抜き続け得点をあげ続ける。相手ディフェンスのわずかな隙を見つけては巧みなボディバランスを使い難しい角度からでもシュートを決め続けた。右、左両サイドから打たれるシュートの正確性とシュートまでの創造性はまさに日本人離れした才能だといっても過言ではない。「ルーキーであってルーキーではない」ヘッドコーチを含めチーメートも口をそろえる技術の高さに加え、シューターとしてスクリーンの使い方やスピードでかき回すプレーなどチームとのリンクを勉強中での身でありながら時には大声で先輩たちにプレーの注文をつけるなど強気な姿勢も見せている。

たぐいまれなバスケットボールセンスとアメリカ仕込みのテクニックを存分に見せつけてくれる「KJ」こと松井啓十郎。彼が近い将来、日本のバスケットボールを変えてくれるかもしれない。注目していたい。

小野伸二

  • 2010/01/10(日) 00:27:11

「リアル・キャプテン翼」と呼ばれた男が30歳を迎えた来季から日本に清水エスパルスに帰ってくる。当時史上最年少の13歳でU−16日本代表にも選ばれた早咲きの天才、小野伸二。




アニメの主人公のように「ボールと会話できる選手」と言われるほどテクニックの高く多くのファンやチームメイトらから”天才”と賞賛され続けた選手だ。両足とも利き足のように使いこなし右足、左足どちらも遜色なく高い精度のシュートやボレー、クロスを蹴ることができる上、細かなボールタッチからみせる巧みなドリブルやフェイントやワンタッチで相手をかわすなど難度の高いプレーを簡単にこなす。史上まれにみる”天才”は同世代や後輩サッカー選手から常にお手本とされてきた。

高校生で全日本のフル代表に選出され日本が悲願の初出場したフランスワールドカップにも若干18歳で選ばれ出場するなどその才能は早々と華々しく開花した。あのキング・カズこと三浦和良を押しのけてでも選ばれた小野の才能には誰もが憧れ嫉妬するサッカー選手までいたという。その後もワールドユース(U−20)に高原・稲本・中田英らを率いてまさに黄金世代のキャプテンとして臨み世界中を驚かさせた準優勝に貢献し大会のべストイレブンに輝いた。その活躍が世界中のクラブの目にとまり後にオランダ・フェイエノールトに入団するきっかけになった。

そんな小野が30歳になった今、世界から見放され日本からも忘れかけられてる存在になったのは彼の人生を変えたといっても過言ではない”大怪我”が原因だろう。まずはオリンピックのメダルも期待されたシドニーオリンピックのアジア予選で左ひざのじん帯断裂の大けがを負い手術しリハビリも含め約1年棒に振った。黄金世代の先駆者はオリンピックのピッチにすら立てずだった。自身2度目となるワールドカップはオリンピックの悔しさをぶつける格好のリベンジの場だったが大会直前に虫垂炎を発症させ薬でちらすも満足なプレーには程遠い出来でチームは決勝トーナメントまで進出したものの自身は不完全燃焼で幕を閉じた





その後は左足首骨挫傷や右足首ねん挫、ろっ骨骨折など大小様々な怪我に付きまとわれフル代表に選ばれても体調不良で辞退する日々が続いた。特に悲願のオリンピックの出場をアテネオリンピックのオーバーエージ枠で果たし”復活”が期待されたこの年には疲労骨折による2度の手術を行いオランダを失意のもとに帰国し古巣の浦和に復帰した。しかし浦和でもけがの回復具合が悪く本来のパフォーマンスを発揮することなく退団してしまう。

度重なる怪我とリハビリを選手生活の大部分を費やした”天才”はその後海外再挑戦するものの怪我が癒えず出場機会にも飢え来季は地元清水エスパルスでプレーすることになった。

中田英の「キラーパス」に対し「ベルベットパス」と呼ばれる優しく丁寧で繊細なパス、華麗な足もとのテクニックを来季は日本で再び見られる。度重なる怪我により若かりし頃のパフォーマンスはもう見れないかもしれないが円熟味を満たしたひとつひとつの技の精度が1試合に一度見れるだけでも十分なのだろう。もう一度”生”で見たい選手の一人だけに来季は期待している



ドラゴン 久保竜彦  孤高の天才JFLへ

  • 2010/01/09(土) 11:46:43

「孤高の天才」と呼ばれ動物的感覚を持ち合わせた世界サイズのフォワードと期待され続けた男・久保竜彦。ついたあだ名は「ドラゴン」。無名の高校生がサンフレッチェ広島のテスト生として入団し日本代表のFWまで努めた選手だ。





久保を表現するのにいつも付きまとう「日本人離れした」という形容詞は久保の身体能力の全てを物語る一言である。
ここ一番抜群の決定力を誇る点取り屋タイプ。シュートスピード・射程距離の長さ・驚異的なジャンプ力といった高い身体能力を活かし誰も予想出来ないような豪快でアクロバティックなゴールを決めたと思えば、相手の動きを見てコース狙い確実に決める繊細な技術と冷静な判断も持ち合わせている天才ストライカーである。

子供の頃から野球を志していた少年が本格的にサッカーを始めたのは高校に入ってからという遅咲きタイプ。高校時代は全くの無名選手であったが時折見せる超一級のプレーにほれ込んだ当時の顧問が高校卒業後にダメもとでサンフレッチェ広島の入団テストを受けさせた。サンフレッチェ広島を含めJリーグの全クラブのスカウトが全くノーマークだった久保は荒削りながら豪快なシュート力と身体能力の高さを見せつけ即、入団が決まった。

クラブの育成方針でサイドバックに攻撃的ウイング、センターバックにボランチとほぼすべてのポジションを経験させるなどゆっくり育てフォワードとしての才能を確かめた上でトップチームに上げた。

トップチームに上がっても久保のフィジカル、テクニックは十分に通用しリーグ屈指のFWとしてますます成長を続けた。広島のJ2降格に伴いトップレベルのチーム移籍を望んだ久保は数球団争奪の結果、横浜Mに移籍する。

更なる飛躍が期待されたがここから慢性的な腰痛と両足首の故障に悩まされ満足な体でなかったものの無理をして出場し続けた結果、故障個所を悪化させ抜群のフィジカルもなりを潜め成績も残せなくなった。トルシエ監督にも認められジーコ監督には「世界水準」「絶対のレギュラーフォワード」と絶賛されそれぞれ代表にも多数呼ばれたが怪我の影響で辞退が相次ぎ、試合に出てもコンスタントに結果を残し続けることができず結局、ワールドカップ本戦には出場できず世界デビューもできなかった。





怪我に悩まされワールドカップにもでれなかった不運な「孤高の天才」も33歳になった。横浜Mで契約問題でもめ横浜FCに移籍しサンフレッチェ広島に戻ったものの怪我は万全でなくリハビリに努めるシーズンをここ数年送った。昨年、解雇された久保は新天地をJ2より下のカテゴリーのJFL、しかも今季初参戦となる新興チーム「ツェーゲ金沢」に求めた。久保本人はまだまだやれると言ってのけるが体はボロボロのはず。満身創痍で臨む今季は久保にとってサッカー人生の集大成をかけた一年になるであろう。「ドラゴン」の完全復活を」ただただ祈るばかりだ。



東福岡高校 高校ラグビー絶対王者

  • 2010/01/08(金) 01:16:41

新チーム結成以後公式戦29連勝。無傷の絶対王者が全国高校ラグビーの頂点に立った。東福岡高校。通称「東福岡フェニックス」





春の全国選抜大会と冬の高校選手権の2冠に輝いた。今大会は大会前から一強と言われたプレッシャーをものともせず5試合で総得点274点をたたき出した自慢の攻撃陣が機能した。






決勝戦のこの日も悲願の初優勝に燃える桐蔭学園に対し個々の能力値で圧倒的に違いを見せつけた。タックルされても簡単には倒れないフィジカルの強さ、ハンドオフを使ったボディバランスとテクニック、力強く突進する味方に対し素早いサポートをみせラインの統率も完璧で自由自在にパスを回し桐蔭ディフェンスを圧倒した。
チーム攻撃方針の「縦で崩して、余ったら外へ」。縦で大きく突破して相手防御陣を引きつけ、最後は手薄になった外を突く。FW、バックスが一体の流れるような攻撃は実に基本に忠実な戦術だがシンプルな作戦だからこそ力の違いを見せつけた。 「味方を一人にさせない」という意識が高くサポートも早く攻撃に厚みをもたらしたチーム全体のレベルの高さを如実に証明してみせた。

高校2年生でありながら7人制のラグビー日本フル代表に名を連ねた布巻峻介は特に光って見えた。センターの位置に入りスピードとテクニック豊かなステップで切れ込んだと思えばタックルされても簡単には倒れない大幹の強さはまさに超高校級の逸材だと思った。

さらにキャプテンを任された3年生の柿永真之介もプロップというポジション(フォワードで背番号3)でありながら第2次攻撃では2列目からの飛び出しは100kgを超えている巨漢とは思えないスピードとステップで決定機を幾度となく演出した。あの体格であのポジションであのスピードで走られたらディフェンスはたまったものではないだろう。しかも高校生レベルなのだからさらに驚かされる。

対する桐蔭学園も東のAシード。序盤こそは東福岡のミスにも助けられ互角以上に戦ったがあきらかに地力が違った。前半開始早々のトライ一本に封じ込められあとはディフェンス一辺倒になり見せ場を作れなかった。しかしこの試合においては桐蔭学園の不甲斐無さは感じなかった。やはり東福岡の強さだけが目立った試合だった。



ランディ・ジョンソン

  • 2010/01/07(木) 00:33:43

メジャーリーグから突然ビッグニュースが舞い込んできた「ビッグ・ユニット」ことランディ・ジョンソンが今季限りの引退を発表したのだ。





2m08cmの長身から投げおろされる150kmを超える速球と高速スライダーを武器に6球団を渡り歩き通算303勝をマークした大リーグ屈指の人気左腕が46歳になった今年、引退を決意しファンを悲しませた。奪った三振はノーラン・ライアンの通算5714個に次ぐ歴代2位の4875個。若かりし頃はコントロールに難があり勝ち星の割に負け数が多く安定感に欠いていたがサイドスロー気味のスリー・クォーターに変えてから球威は落ちずにコントロールも安定しさらに球の出所が相手バッターから見えずらくなり勝ち星も増え、防御率も上がりメジャー最高の左腕として名をはせた。

40歳を超えてなお進化し続ける「ビッグ・ユニット」は完全試合を達成したかと思えばメジャー全30球団から勝ち星を挙げるなど活躍は衰えしらずだった。勿論、年齢から剛速球で押しまくるタイプでは通用しなくはなったがコントロールとスライダーのキレで勝負する技巧派に上手くモデルチェンジし45歳になった昨年も8勝をあげ史上最年長300勝投手になった。

ダイヤモンドバックス時代は悲願のワールドチャンピオンにもなりしかもシリーズMVPも獲得するなどサイヤング賞を5回も受賞するなどその輝きは後世に伝えられるべき左腕だったろう。

「ビッグ・ユニット」。口髭が特徴の長身左腕ランディ・ジョンソン。ユニフォームを脱ぐのが本当に残念だ。



岡崎朋美 「朋美スマイル」はバンクーバーで見れるのか

  • 2010/01/06(水) 00:09:35

岡崎朋美。




「朋美スマイル」とアイドル扱いされ初出場した1994年、リレハンメルオリンピックから早16年の月日が経ち37歳にもなった。
アイドルの微笑みはアスリ―トの笑顔と趣きを変えはしたが相変わらずの「朋美スマイル」。バンクーバーで5回目のオリンピックに臨む事になりそうだ。高校時代は全国大会の表彰台にも上がったこともないほど全国的に全く無名選手だったが橋本聖子にあこがれ富士急に入社して以後、世界一の練習量をこなし続け急速に成長を遂げ日本のトップスケーターにまで上り詰め1998年の長野オリンピックでは男子の清水の金メダルの影に隠れ目立ちはしなかったが史上初の短距離(500m)でメダル獲得となる銅メダルを獲得し世界の仲間入りをした。




最後のオリンピックと決めて臨んだ前回のトリノでは日本チームのキャプテンを務め活躍を期待されたが3位との差わずか0.05秒差の4位に終わり一度は引退も決意したそうだ。限界説も流れ始めていたトリノで実は岡崎は過去に出場したどのオリンピックよりも手ごたえを感じていたそうだ。2000年のオフに持病の椎間板ヘルニアの手術をし肉体改造に取り組み始めて6年たって新しい筋肉もついて周囲の反応以上に本人は自信があったそうだ。しかもベテランらしく抜群の調整力で標準をぴたりと合わせてきた。しかし2本目のスタート前にメダルがちらつき邪念が入りベテランらしからぬミスを犯しその差0.05秒に泣いた。

そしてその雪辱の場をバンクーバーに選んだのだ。ますます高まる限界説を振り払うかのような自己ベスト記録を昨年更新するなどまだまだ進化し続ける信じがたいフィジカルとベテランらしい精神集中力で最後の聖戦に挑む。

オリンピック5回目の大ベテランが見せる本当の笑顔、「朋美スマイル」はバンクーバーのリンクで見れるだろうか?今から楽しみである。




村沢明伸

  • 2010/01/04(月) 12:44:18

村沢明伸。





新・山の神柏原の活躍で東洋大学の連覇が話題の箱根駅伝に現れた東海大学のスーパールーキーだ。

ちなみに山の神については昨年すでに一度このコーナーで書いているので参考までにそちらも読んでもらいたい。(山の神)

長野出身の村沢は佐久長聖高校時代に駅伝で全国制覇をしその名を轟かせた。外国人留学生がひしめき合う3区のインターナショナル区間を任されても区間2位の好記録で優勝の原動力になった。個人に限って言えば高校総体で5000mで2年連続6位に甘んじるなど最強高校生というには今一の成績だったが大学に進学し距離が延びてからその進化は始まった。昨年9月のインカレの10000mで日本人最高の2位に入り注目をあびたかと思えば11月の箱根駅伝予選会に出場し見事個人1位でゴールし東海大学の出場に大きく貢献しチームのエースになったのだ。

佐久長聖高校、東海大学といえば昨年まで在籍し?年連続区間新記録を出し大学会のスーパーエースと呼ばれた佐藤と同じ道をたどっている。もちろん、憧れの存在である。普段は冗談好きで「お笑い部長」と呼ばれる面白学生だが、シューズを履いて練習になるとまるで何かが憑依したかのように鬼の形相になり真剣なまなざし先輩達をも圧倒するほどだ。指導する新居監督も「佐藤のレベルではまだないが練習量、素質は十分に佐藤を超える力を持っている」と期待してる。夏合宿ではチーム最高の1000kmの走り込みをしたのにも関わらず一切、故障しなかったという強靭な肉体も大きな武器である。166cmと小柄な体ではあるが全身を使ったダイナミックな走りはもっと大きな体格を想像させるほどで力強さも感じてしまう。

そんな村沢明伸が箱根駅伝の「花の2区」に登場した。14位で受けタスキを一気に4位にまで引き上げ1年生史上最多の10人抜きを演じて見せた。飛び跳ねるような独特のリズムに乗った走り方は一見、長距離向きでないのかもしれない。しかしその走り方を支えるバネyのような下半身の強さが村沢明伸の持ち味であり魅力なのだ。混戦状態でタスキを貰ったとはいえ2区には各校のエース級がずらりと並んでいる。そこで10人も抜いて見せるのだからそのスピードは桁違いだった。日大のエース・ダニエルに次ぐ区間2位の好タイムで一気にスターダムに名乗り上げた。新居監督も「一年生だからといってこんなものでは困る。彼は東海大学のエースなのだから」と早くも来年を見据えた。更に、来年は5区起用のプランがあるという。そう、あの山の神・柏原との直接対決が見られるかもしれないのだ。村沢明伸も「柏原さんは憧れの存在。是非対決してみたい」と意気込んでいるという。”直接対決”が見れるかも知れない来年の箱根駅伝が今から楽しみになってきた。




石井慧  散々たる総合格闘技デビュー

  • 2010/01/02(土) 00:01:24

北京オリンピックで金メダルを獲得し鳴り物入りで総合格闘技界に殴りこんできた若獅子を待っていたのは祝福の嵐ではなくまさかの黒星。しかも何もできなかった男にはブーイングも飛び交った。




1R早々から厳しい現実が待っていた。4万5000人を超える超満員のアリーナ。柔道の世界一の称号を持つ男にも緊張の色は隠せなかった。

むしろプレッシャーからかいつもの派手なパフォーマンスもなりを潜め開始早々、ベテラン吉田の強烈な右パンチでダウンを奪われ防戦一方になった。金メダル獲得以後、即総合格闘技入りを決めた石井だったが、周囲の期待とは裏腹に1年間の間、じっくり体を作り上げ、外国に武者修行に行き打撃技や防御策の練習に明け暮れた。素質や話題性から言うとすぐにリングに上がってもよかったのだろうが石井は現実を見据え、その先まで考え1年間を修行に費やした。
そこまでした石井に対しても吉田のパンチは面白い様に当たり、逆に石井のパンチは大振りが目立ち完全に吉田に見きられていた。





ダウンを奪われた石井は完全に気持ちで、ハートで負けてしまった。腰が引け、足が出ず、上半身だけの力無いパンチも空しく空を切り続けた。2Rには意を決して懐に飛び込んだものの技のバリエーションに乏しく、40歳の大ベテラン相手に投げることもできず時間だけが過ぎていく。2R終了間際には組み合った至近距離から膝蹴りをだすがこれが不運にも吉田の下腹部に当たり試合がストップ。悶絶する吉田を尻目にペースを掴みかけるかと思いきや立ちあがった吉田に対しての大吉田コールを受け石井はまた戦意を失ってしまったようになった。3Rも老かいなテクニックで決定的チャンスを与えない吉田の前に何もできない石井がただただ”おろおろ”しているだけの様に見えた。
完全にやられたという感じではなかったものの絶頂期からみればかなりフィジカルが落ちた吉田相手に何もできなかった石井の不甲斐無さだけが目立った判定負け。完敗だった。

石井は試合前「これは絶対に負けてはいけない試合」と言い切っていた。不退転の決意のようにも見えるが実は相当自信があっての発言だったのだろう。そして誰もが石井の圧勝を期待し新しいスターの誕生を待っていた。しかし石井に与えられた現実は「完敗」。しかも技術不足はもとよりなによりハート、精神的に負けたのがなんとも石井らしくなくファンの失望もそこにある。
試合後の会見も拒否し、ショックを隠せない石井だが負けても公式会見には出席するのもプロの仕事であることを自覚してもらいたいしそこから這い上がる石井にファンは期待しているのだから。

金メダリストという称号を引っさげて殴りこんできた石井のスタートはまさに地獄からのスタートになった。失った栄光を取り戻すには石井本人の努力しかないはずだ。その為にももっと精神的に鍛えてもらいたい。

負けた石井よりもハートの折れた石井だけは見たくなかった。再起を期待している。





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