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ナタリー・ナカセ bjリーグ史上初の女性ヘッドコーチ

  • 2012/01/25(水) 11:03:07

日本のプロバスケットボール・bjリーグ史上初の女性ヘッドコーチが就任した。

埼玉ブロンコス、ディーン・マーレイHCの解任に伴い、アシスタントコーチを務めていたナタリー・ナカセがHCへと昇格した。1980年生まれの31歳。今までドイツ1部リーグで女子チームを率いた経験はあるがbjリーグでは昨季の東京アパッチ、そして埼玉ブロンコスでのACを務めた経歴のみ。

今日はそんな女性のお話し。

米カリフォルニア州で生まれ育った日系3世のナタリーは、二人の姉を持つ3姉妹の末っ子。大のスポーツ好きの父親のもと、姉がバスケをしていたこともあり、自然とバスケを始めたという。3姉妹の中で一番器用で飲み込みが早かった彼女に対し、父親は期待をこめて熱心にバスケを教え込んだ。姉の影響で始めたバスケだったが、その面白さに彼女も夢中になっていった。そしてバスケの名門校である米カリフォルニア大学ロサンゼルス校)に進むこととなる。

「自分の中でUCLAは夢でした。しかし通っていた高校からUCLAのような伝統ある名門校に引っ張られるというチャンスは今までなく、特に自分のようなサイズの小さい選手には声がかからないと思っていました。だから誘いを受けた時は本当にうれしかった」そんな喜びと希望にあふれた彼女を一気に絶望の淵へと追いやる出来事が起こる。大学入学を控えた高校のラストゲームで前十字靭帯と半月板を損傷するという大けがを負ってしまったのだ。

リハビリ中、どうすることもできないこの状況を乗り切ろうと彼女は持ち前の観察力でチームを徹底的に分析した。

実力ある先輩から学び取ることで、プレーできずともポイントガードとしての資質を磨いていったのだ怪我でチームから外された自分の置かれた状況に対して常にプラス思考だった。

この時の経験が今、彼女の仕事に大きく貢献している事は言うまでもない

怪我を克服し過酷なリハビリを耐えた彼女は名門UCLAでレギュラーを獲得するとさらにはキャプテンにも就任し、チームをけん引した。大学卒業後はアメリカやドイツでプロとしてのスタートを切った。そんな矢先、順風満帆に見えたプロ生活で再び高校時代と同じ大けがを負ってしまい引退を余儀なくされた。

現役を退いた彼女に思わぬ朗報が舞い込む。ドイツ1部女子リーグに所属するチームからのHC就任のオファーだった。卓越したバスケット理論と強烈なキャプテンシー、真摯にバスケットに打ち込む姿が評価され異例のオファーを受けたのだ。

2部降格危機のチームを立て直しその後2シーズンをドイツで過ごしたナタリー・ナカセはふとした縁で日本のバスケットを体感しbjリーグに携わるきっかけになる。そして友人の勧めや日本の居心地の良さもあり東京アパッチにACとして参加することを決意したのだ。

1年間ACをつとめたが、東京の活動休止にともない今季は埼玉へと移籍。

チーム事情からHCが解任されナタリー・ナカセがHCに就任したのだ。

彼女が目指すHC像は、選手一人ひとりのポテンシャルを高めてあげる存在。「感情をぶつけ合うこともあるが、お互いヒートしていても意味がない。うまく相手の手綱を引く飴と鞭が大切」で選手を常に気に掛けることによって、彼らの細かい変化を見逃さないこと、個々のパーソナリティを大切にすることがHCとしての重要な資質だと考えている。だから彼女はチームをファミリーと呼ぶ。ときには激しく対立し、しかし個々のケアは怠らない。まさに肝っ玉母ちゃんのような厳しさと愛情をもって、チームを率いているのだ。

身長157センチの小柄な彼女が、2メートル級のビックマンと堂々と渡り合っている姿は頼もしい限りだ。

ナタリー・ナカセ。そして埼玉ブロンクスの挑戦に注目したい

松平康隆

  • 2012/01/04(水) 11:12:23

日本バレーボール協会名誉顧問の松平康隆氏が2011年の大みそかに肺気腫のため亡くなった。国際バレーボール連盟副会長、アジア・バレーボール連盟会長、日本オリンピック委員会(JOC)の要職を歴任するなど、バレーボール一筋の人生、日本バレーいや世界のバレーボールを変えたレジェンドが静かにその人生の幕を下ろした。

松平氏は東京五輪で、全日本男子チームのコーチとして銅メダルを獲得した。だが、バレーボールが初めて五輪競技となったこの大会、「東洋の魔女」といわれた全日本女子が金メダルを獲得したため、男子はほとんど脚光を浴びることがなかった。監督となった松平氏は、8年後のミュンヘン五輪優勝に照準を合わせ、長期強化を進めていく。大古誠司、森田淳悟、横田忠義らを擁しミュンヘンで悲願の金メダルを獲得したのだ。

松平氏はその昔から都会的なセンスも持っていた。顕著な例がマスコミの利用だ。スマートなバレー選手は女性の人気になる、と雑誌への露出を増やし、ミュンヘン五輪前にはアニメと実写のテレビ番組「ミュンヘンへの道」を企画・監修し、全日本男子の金メダルへの挑戦を同時進行で描くなど奇才ぶりも発揮した。「自分がやっているスポーツに、少しでも多くの人に関心を持ってもらいたいのは当然のこと」といいのけた松平氏は、その後もテレビとのコラボを進めた。

バレーは、毎年のように国際大会が日本で開催される希有な団体競技だが、根底には膨大な放映権料がある。これは、松平氏が日本協会専務理事や会長時代に手がけた戦略の果実だ。こうした手腕でバレーは、日本でも指折りの人気スポーツに成長していった。確かに最近は行き過ぎた傾向があることは否めないがここ日本での世界大会開催を通じバレーボールの聖地になっていることは評価に値することではないだろうか?


日本のいや世界のバレーボール界に大きな功績を残した松平康隆。

今、永眠につく


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