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月岩信成 人生をも変えた5番打者

  • 2013/01/16(水) 12:54:24

『平成の怪物』の名をほしいままにし数々の伝説を残してきた松井秀喜がユニフォームを静かに脱いだ。

松井秀喜伝説はあのギラギラした夏の日に生まれたと言っても過言ではない。

1992年の夏の甲子園。

知将馬渕監督率いる高地の名門、明徳義塾が松井率いて悲願の全国制覇を目論む石川の雄、星稜高校の一戦である。

馬渕監督が勝利至上主義の為にとった作戦・・・。松井秀喜の「5打席連続敬遠」は当時は高校野球の在り方をめぐって社会問題にまで発展した。松井秀喜を押しも押されぬ強打者として認められた一方で4番松井の直後の5番打者だったのが月岩信成選手だった事を今はだれも知らない・・・。

明徳義塾戦で徹底的に松井を避けられ勝負された月岩選手はスクイズで一点こそ決めたが4打数無安打。松井が一塁へ歩かされた後、馬渕明徳の思惑通り徹底的に研究し尽くされ、打てるボールは一球も来なかった。まんまと作戦にハマり打ち取られたのだ。試合中は松井から「普段通りやれ」と何度も声を掛けられた。負けが決まった試合後は泣きじゃくり、自分を責め続ける月岩さんを松井はそっと肩を抱きしめた。

「自分が打っていれば…」

18歳の少年が周りからのプレッシャーに追い込まれ『敬遠』作戦が社気現象になればなるほど精神的に極限まで追い詰められたのは想像に難くない。

野球を続けたくても何処に行ってもこの一件を蒸し返され挫折・・・大好きだった野球をやめ松井をはじめ当時のナインとも卒業後は距離を置いた。こともあろうに「戦友」だった松井を責めた事もあったそうだ。

ただ時間とともに心に落ち着きを取り戻すと松井の帰省時には当時のメンバーで温泉旅行に参加。「今は良い思い出あれは僕しか経験できないことだったんだから」と笑顔で振り返れるようなった。その笑顔に一番嬉しそうに答えたのが当の松井本人だったそうだ。

月岩さんは地元金沢市で「KUSI56(くしころ)」というお店をオープンさせ繁盛させているようだ。店名の「56」には松井のプロでの背番号「55」のあとを受けるという意味が込められつけられたらしい。

「松井と一緒にプレーできたことは最高の思い出だし松井のあとの5番を打ったのは今でも僕の誇りです」そういって酒を片手にお客様相手に笑う月岩さん。

伝説の怪物・松井秀喜の引退は月岩さんの新たな人生のスタートでもあるようでならない・・・。


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