無料
エロ
動画

米田一典 女子バレーボールの名将逝く

  • 2012/02/27(月) 10:33:45

バレー王国広島県の名門崇徳高校出身で高校時代は柳本晶一全日本女子監督と同じセッターということもありしのぎを削った間柄だった米田一典氏がこの世を去った。

法政大学在学中に卓越したバレーボール理論、戦術解析に長けたクレバーさを買われ当時はまだまだ弱小チームの日立女子バレーボール部にコーチとして就任した。

その後、監督に昇格し江上や三屋らを育てあげ日立を常勝チームに育て上げた。1974年には全日本女子チームコーチに就任し山田重雄監督の片腕として手腕を発揮しモントリオールオリンピック金メダル獲得に大いに貢献した

1984年ロサンゼルスオリンピックでは全日本女子監督に就任して当時の日立の選手を中心に銅メダルを獲得するなど世界レベルでもコーチとして監督として高い評価を得た名将だった。

その一方で日立の監督として活躍した2001年に日立製作所本社の合理化の一環として日立ベルフィーユ廃部してしまう。日本リーグ史上最高優勝回数を誇る名門ですら親会社の景気次第で廃部に追い込まれてしまう日本の企業スポーツの限界を感じながら米田はチーム全体移籍の受け皿企業を確保しようと奔走したが、折からの景気低迷で全体移籍は適わなかった。

一企業丸抱え型のチーム運営に限界を感じた米田は香川県の高松市で地域密着型スポーツ振興を目指してNPO法人J-HOTバレーボール連盟を設立し自ら理事長に就任。

香川県内でバレーボール技術指導活動をしながらサッカーのJリーグを見習った地域密着の新クラブチーム発足の準備を進めた。2005年4月に女子バレーボールのクラブチーム四国Eighty 8 Queenを発足させ初代監督に就任。着実に力をつけ2007年、実業団地域リーグで優勝し、入替戦で勝利してチャレンジリーグ昇格を果たすまでになった。

Vリーグ昇格も夢でなくなった矢先に四国Eighty 8 Queenは資金不足で活動休止となってしまう。新たなスポンサーを見つけ本拠地を仙台に移転し仙台ベルフィーユとして再出発した矢先、震災に見舞われその活動も制限されることになる。更には肺がんが見つかり監督を退くことにもなる。

闘病しながらも試合会場にはいつでも姿を見せ車いすに乗り点滴を打ちながら、ベンチで選手にゲキを飛ばしたという。

クールでいて冷徹で寡黙な米田一典。しかし低迷し続けた女子バレーボール界をいつでも憂い考えなんとかしようとする姿は熱い心の持ち主なんだと感じれるには十分だろう。

米田一典。享年61歳。まだまだ女子バレー界の為に尽力してほしかったが・・・・
 

この記事に対するコメント

この記事にコメントする

管理者にだけ表示を許可する

close