無料
エロ
動画

小山 雄輝

  • 2010/10/24(日) 12:48:28

早稲田の斉藤・大石・福井の三羽烏に速球派右腕・沢村ら大学の投手が注目される今年のドラフト会議。

関西のしかもかこにプロ野球選手を一度も輩出していない中央球界では無名の天理大学から隠し玉としておくには惜しい逸材がいる。

小山 雄輝。

細見ながら187センチの長身から投げ下ろす最速149キロ右腕に、各球団のスカウト陣は大きな将来性を見いだしているようである。

タイプ的には西武ライオンズの岸に似ているかもしれない。長身もさることながら身体的特徴として手が大きく右手中指の先から手首まで22センチもある。
片手で硬球5個を持つことができるというメジャーリーガー並みのフィジカルである。長い指を使い投げ込むフォークは身長の高さとあいまり急角度に落ちる絶対的な武器である。

フォークのほかにカーブ、スライダーなど駆使する本格派右腕でそういう意味からも”岸2世”と呼んでもでもいいかもしれない逸材である。

手の大きさだけでなく大学では2年まで50メートル6秒0を誇る俊足内野手としてプレーし身体能力の高さは折り紙つきである。
投手転向後の経験が浅いことから今後大きく成長する可能性を秘めたプロのスカウトが気にする「のびしろ」をまだまだ持っている選手だけにドラフト下位でも必ず指名される選手ではないだろうか?

不安定だった球筋を安定させるため 上半身主導の投球フォーム修正に着手したところすぐに成果を見せ、以後着実に成績を伸ばしたあたりはフィジカルの高さに加え「のびしろ」を感じさせるには十分な逸話である。

阪神大学リーグでやっと一部に昇格したようなチーム初のプロ野球選手の誕生はいよいよ現実味を帯びてきたかもしれない。

小山 雄輝。

覚えておいてもらいたい

復活を期す拓大 岡田正裕監督

  • 2010/10/22(金) 14:01:16

毎年、もうそんな季節になったか?と考えさせる秋の名物に箱根駅伝(東京箱根間往復大学駅伝競走)の予選会がある。

前年度の大会で10位までのシードを獲得できなかった関東の大学がこぞってこの一発勝負の予選会にその1年間の集大成をぶつけに来るのだ。各校12人がエントリーし上位10人の成績(タイム)の合計が各校の成績となり上位9校が晴れて正月の箱根を走る権利を得るというまさにサバイバルな予選会である。

名門がまさかの敗退をしたり、新進気鋭の学校が初切符を虎視眈々と狙っていたり、この予選会をきっかけに大学長距離界のスター選手へ上り詰めた選手もいる。

今年も過去4度の優勝を誇っている大東大が11位と敗れ連続出場が43回で止まるなど波乱も相次いだ。
そんな予選会に一際目立った学校を紹介したい「オレンジ軍団」こと拓大である。
すっかり箱根駅伝の常連である拓大だがここ数年はシードを獲得できずいつも予選会に回っては冷や冷やの通過を強いられている古豪である。昨年に至ってはまさかの予選会敗退という屈辱を味わっている。今季に賭ける思いは相当強かったのだがそんな名門を率いたのが駅伝界、長距離陸上界では有名な岡田正裕監督である。

今季から指揮官として拓大を率いたのは亜大を82回大会優勝に導いた名将・岡田正裕監督、又の名を「地獄トレーニングの鬼軍曹」。

岡田正裕。

自身の現役引退後にニコニコドー監督就任しあの松野明美を見出し育てた名監督である。

99年からは母校の亜大監督となり、06年に初優勝に導いたのだ。08年から九電工の女子陸上部を指導していたが拓大から三顧の礼で迎えられたのである。

拓大再建を託されて今年2月に就任した岡田正裕監督は合宿寮の廊下に、無造作に出されていた家具をすべて室内に撤去させ身の回りの整理整頓を心がけさせるなど、生活環境から見直して改革を進めたという。
徹底的な選手の生活を管理し食事の量、姿勢に至るまで全て規律を求めそれまであった”拓大の自由な部風”を一変させた。

選手が「地獄だった」と振り返るのは夏合宿だ。
“質より量”が岡田流。ペースを落としても徹底的に距離を踏む。故障者を減らしてチームの足並みがそろった8月の熊本・阿蘇合宿では猛暑続きの20日間の合宿で全員が820キロを走破した。起伏あるコースで早朝30キロ、夕方20キロ。

亜大時代に本戦で17位から1位までを経験している岡田監督は「今の状況なら7位だ」など常に“物差し”を示して箱根への意識を植え付けた。

日に日に岡田イズムがうえつけられた選手達は自信と実力を着実につけ今予選会も見事トップ通過を果たした。
各校が死にもの狂いで戦いに来るこの予選会で2位との差を合計タイムで4分以上つける大差での圧勝だった。

生まれ変わった「オレンジ軍団」が来年の箱根では躍動し旋風を巻き起こしている予感さえさせるこの日の内容であった。

後藤駿太

  • 2010/10/14(木) 01:36:36

先日のこのコーナーで今年の秋のプロ野球ドラフトの隠し玉候補生を紹介したがもう一人是非、紹介したい選手がいる。

群馬の前橋商業の後藤駿太である。

俊足活かした高校生離れした守備範囲の広さにはプロのスカウトも度肝を抜かれたのではないだろうか?
全く無名の高校生が甲子園の大舞台で幾度となく見せるスーパープレイに観客もため息しか出ない感じだった。そんな選手に野球の神様は幾度となく難しい打球をお見舞いし続け後藤駿太はその抜群の野球センスで好捕を重ね観客を魅了した。

この神がかり的なビッグプレーは決して偶然の産物でない事を僕は誰より知っているつもりだ。甲子園への道のりで何度もダイジェスト放送で流れたプレーの質の高さに注目していたのだ。特に群馬県大会決勝戦の前橋工戦で見せた好捕は高校生かどうかすら疑った程だった。


打った瞬間。正確に言うとバットにボールが当たる前にバットスピード、投球され球種、コース・・・全てを一瞬で判断して一目散に打球の落下地点で走り始める。この間、打球の行方、勢い、は一切見ずにあくまで感性で落下地点へ目指して走りこんだ。これはプロの選手でもなかなか出来るセンスではないはずだ。

そして打球の勢いを確認しながらここぞというタイミングでダイビングキャッチを試み。味方のピンチを救った。ダイビングした最後のプレーが注目されがちだがそこはある程度偶然の産物もあるので結果論でなくあの打球であの守備地からあそこ追いついたフィジカル、スピード、センスを称えたい。

「一歩目の速さ」これが後藤駿太の真骨頂である。

これは「判断」という一瞬のきらめきが大きなウエイトを占めるので教えられてできるセンスではない事だけはわかってもらいたい。
本人も「外野は高校から始めたし、経験がひとつもなかった。見て学ぶというより、とにかくやらなきゃいけないという意識がありました」と練習の賜物と強調しているがここは天性のセンスありきで考えて頂きたい。

それだけ彼のプレーはクオリティが高いのである。
当然、プロのスカウトもほっておくはずがなく「守備だけならすぐにでも使える選手」と高校生に太鼓判を押しているスカウトもいる程である。


後藤駿太の売りはそのセンス溢れる守備範囲の広さだけでなく投手をすれば最速147キロを記録する強肩も大きな武器である。

だが、それとともに見落としてはいけないのがバランスのよさ。速く強い球が遠くまで投げられるせんしゅは沢山いる。そんな中でで後藤のすごさはよりバランスの崩れた体勢からでも同じ球が投げられるところにある。これこそ最大の長所といっていいのではないだろうか。
小学生の頃、後藤は毎日夜ごはんも食べずに壁当てに没頭していたそうである。その場所の地面が砂利。足場が不安定なのに加え、軟式球のため、どこに跳ねるかわからない。そのバウンドの変化に対応し、壁に書いた枠にストライクを投げ続ける。そんな事をくり返していくうちにバランス感覚は培われたものだろう。そのおかげか、後藤は一輪車にも乗れるし、左で50m程度ボールを投げることができる。プロでも通用するバランスのよさと体幹の強さが後藤には既にあるのだ。

高校球界、アマチュア球界ナンバーワンといってもいい守備を考えると、打撃はまだまだ力を発揮しきれていない。ここは並みの高校生レベルとは言わないがプロでは相当苦労するレベルであることは否めない。

しかし、そこは天性の野球センスに努力を重ねる事ができる精神的強さも持っている後藤だからこそ克服してくれる気がしている。

「当たり前のことを当たり前にやる選手が目標」
高校生とは思えない大人びた目標設定におどかせられつつもいつの日か「いぶし銀」と言われる偉大な選手になっている可能性を感じる後藤駿太という名を是非、覚えておいてもらいたい

藤谷周平

  • 2010/10/12(火) 20:33:27

早稲田の三羽烏、斉藤・大石・福井をはじめ中央大学の快速王沢村などの大学生を中心に甲子園を沸かせた沖縄興南の島袋や一二三などの入団先が気になる運命のドラフト会議がいよいよ近づいてきた

各球団の編成部はチームの現状と他球団の動向をこれでもかと調査し当日ギリギリまで情報戦を戦うのだ。

そんなスカウト陣を脅かすようなサプライズ指名が今年も見れるのか?見れるとしたらこの選手を挙げたい

藤谷周平

日本の高校、大学とは一切無縁の南カリフォルニア大に所属する全く無名の快速右腕である。190cm以上の身長から投げ下ろす角度あるストレートは150kmをコンスタントに越え大学3年生時にはメジャーのドラフトでパドレスから指名されたほどの実力者である。


幼少時から渡米しあめりかで人生の大半を過ごした藤谷周平だが日本国籍を持っている為、ドラフト対象者になる。この情報を日本ハムやヤクルトなど数球団がキャッチし既に内偵しているそうだ。

日本球界では無名で、漫画の主人公にすらなりそうなややミステリアスな印象だが漏れ伝わってくる情報によると、藤谷周平が米国で積み上げてきたキャリアは抜群だ。
東京に生まれたものの父親の仕事の関係で渡米。カリフォルニア州のアービン高校では4年間、野球優秀選手として奨学金をもらっていたという。ノーザン・アイオワ大に入学すると2年生からレギュラークラスとして活躍した。3年生だった09年には、21試合に登板して22回2/3で29奪三振、1勝4敗9セーブをマーク。2年時の1セーブと合わせて計10セーブは、同大の史上最多タイ記録となった。しかもその実力を買われて将来を嘱望される選手を取り上げた「トップ・プロスペクト100」にも選ばれた。実力、経歴ともに未知数な部分は多いものの残してきた成績から判断するならば日本の球団で需要の多い中継ぎや抑えとして即戦力となりそうな逸材である。まさに隠し玉という存在である。

ドラフト指名したものの入団拒否されたパドレスの関係者は諦めきれない様子で「日本の球団が確実に指名をするだろう。そして入団するだろう」と話している。

藤谷周平

ドラフト当日にこの名が轟くのは確実ではないだろうか?覚えたおいてもらいたい。


岩瀬仁紀

  • 2010/10/11(月) 03:33:38

今季のプロ野球はセリーグ、パリーグともにレギュラーシーズンを終えいよいよポストシーズンへと進んでいく。大混戦のセリーグを制した中日ドラゴンズ。その立役者に和田や森野といった名前が挙がっているがぼくはやはりこの人の力に改めて敬意を表したい

岩瀬仁紀。




滑るような高速スライダーを武器に常勝中日の絶対的守護神である。今季は42セーブを上げ2年連続4度目の最優秀救援投手のタイトルを獲得しただけでなく大魔神・佐々木、元ヤクルトの高津に次ぐ通算250セーブを挙げ名球会選手に仲間入りするなど活躍が目立った。


しかし、岩瀬のすごさはそこではないのだ。

1999年に社会人からドラフト2位で入団したサウスポーはワンポイントの中継ぎからセットアッパーとその役割と信頼度は地味ではあったが評価が高った。当時、常勝軍団だったヤクルトの野村監督に「岩瀬がいたらどんなチームが楽か?年間10勝以上変わってくる」と言わしめたピッチャーである。

その岩瀬のすごさを語るに一番の数字が入団以来今季も含め12年連続50試合以上登板、6年連続30セーブ以上というとんでもない記録を更新しているのだ。

この数字は岩瀬の鉄腕ぶりが大いにうかがえる数字である事を知ってもらいたい
最近の野球界は「肩」「肘」は消耗品と呼ばれ酷使すればすぐに故障につながり野球人生を短くしてしまう傾向がある。年間50試合とは毎シーズン約3試合に1試合は登板している計算でそれを12年間続けているのだ。

まさに「平成の鉄腕」である。

ストッパー、クローザーは3年連続で勤め上げれば超一流と言われるポジションである。現在でも大きな故障なしに3年以上勤めているのは阪神の藤川ぐらいではないだろうか?

先にふれた名球会の入会規定に200勝か250セーブという規定がある。ここ数年。毎年のようにこの250セーブという記録の是非が問われる。先発ピッチャーが20年近くかけて達成する記録に対し250セーブは基準が甘くないか?というのが大筋の議題である。現に岩瀬は実働7年でこの数字をクリアしたのだからその議論も無駄ではないようである。

そもそもヒットは2000本。投手は200勝というアバウトな基準が間違いではなかったのか?問いたい。

本塁打や打点、盗塁数や連続出場など野球人として誇れる数字は他にも沢山あるのに打者はヒット、投手は勝利数だけが基準とは、はなはだおかしいと思うのだが。

岩瀬が250セーブを達成したからいいもののもっと12年連続50試合以上登板をヒューチャ―してもいいのではないだろうか?

むしろ僕には他人任せてきな部分も多少は感じる勝利数やセーブ数より個人のフィジカル管理も含めた技術や故障しない体、コンスタントに安定した成績を残し続けている事に着目すべきでないだろうか?

そんな議論をぶつけたくなるような岩瀬の毎年の様な活躍に改めて敬意を表すとともにMVPは岩瀬のものであると強く信じている。




怪物 ロナウドの最後  

  • 2010/10/04(月) 23:00:04



サッカー界で“怪物”とよばれるFWは誰か?と聞かれれば大多数の人が「ロナウド」の名を挙げるだろう

1998年のフランスワールドカップでその輝きを放ったものの決勝戦のフランス戦でプレッシャーからか体調不良に陥り大失態を犯してしまったものの4年後の日韓ワールドカップではその存在感たるや全世界のフットボーラ―の心を鷲つかみにしたのだ。

スペインの名門バルセロナでヨーロッパのサッカー界に強烈なインパクトを与えた後イタリアの名門インテルに渡りさらにはレアル・マドリードで銀河系軍団の一役を担い度重なる故障、しかも選手生命の危機に瀕するような大きな怪我に見舞われながらも不死鳥のように戻ってきては世界中のファンを魅了した。

今は地元ブラジルに戻りコリンチャンスでプレーしている。

契約更新の席上「これが最後と決めた」という言葉を残しファンを驚かせた”怪物”ロナウドだが今年の9月でもう34歳になった男をファンは温かくその最後を見送る事になるのだろう。

サッカー史上最高のFWの一人と呼ばれ“怪物”の異名どおり、その希有な決定力で多くのDFを恐怖に陥れた天才の中の天才の勇姿を目にできる時間は残念なことに残りわずかなのだ。

少年時代から草サッカーの場で頭角を現し地元チームの数チームから誘われ
町が分断する騒ぎまで起きたほどの神童だった。

なんと14歳の時にブラジルのユース代表チームに招集を受ける。16歳でクルゼイロに入団。
ブラジル全国選手権で14試合12得点という記録を残しその名はブラジル中はおろかヨーロッパでも轟き天才は17歳で海を渡る。
17歳の時にオランダの名門PSVへ移籍し1年目にいきなり得点王を獲得。17歳のブラジル人が屈指のレベルを誇るオランダで簡単に一年目で得点王に輝いた。
2シーズンでリーグ戦42ゴールという驚異的な記録を残しバルセロナから高額の移籍金で引き抜かれるとスペインの地でも1年目で得点王のタイトルを手にする。
そして翌1997年にはインテルへと移籍。96年に続き、2年連続でFIFA年間最優秀選手に選ばれるなど、選手として絶頂の時期を迎えていた。

しかしインテルでの2年目にロナウドは右ひざのじん帯を断裂。翌年4月に一度は戦列復帰を果たすが再び同じ箇所を痛めてしまう。2度に渡る選手生命を脅かすほどの大怪我と20カ月にも及ぶリハビリ期間。
「ロナウドはもう終わった」そう考える人間も少なくはなかったし実は僕も
そうだった。

2002年の日韓ワールドカップ直前に電撃復帰を果たすと体重増加によるコンディション不良をマスコミに叩かれながらも大会得点王に輝く大活躍でブラジルの通算5度目の世界制覇に貢献し
”怪物”は不死鳥のように舞い戻ってきたのだ

レアル・マドリードへ移籍後も怪我と戦かいながらもコンスタントに成績を残し
チームの優勝に大きく貢献し再びイタリアの名門ACミランへ移籍したものの
左ひざの腱を断裂する大けがに見舞われ流石に復活は無理と判断され契約を解除されてしまった

”怪物”ロナウドの名はこのままフットボーラ―界から完全消えてしまうと思われた。

そんなファンの絶望感に天才は三度、ピッチで答えを出す道を選択しブラジルの名門・コリンチャンスで輝きを取り戻したのだ


往年の爆発的で驚異的なスピードこそ失われたものの、天性のゴール嗅覚と圧倒的な決定力を生かしコンスタントにゴールを重ね続けた。

やはり“怪物”である。

 
3度のFIFA最優秀選手賞と2度のバロン・ドール、クラブでの3度の得点王に加え、先に触れたワールドカップ得点王と、個人タイトルだけを取っても輝かしい栄光に彩られているロナウドのキャリア。

そんな彼がいまだ手に入れていないタイトルの一つがコパ・リベルタドーレス。

南米最強クラブの称号である。

26試合を消化した時点でブラジル全国選手権で2位につけるコリンチャンス。
このまま彼らが4位以内をキープすれば、ロナウドはコパ・リベルタドーレス2011への出場権を得ることができる。
そして、彼がコリンチャンスの一員として同大会を制すことができれば、
怪物”の最後の大舞台は恐らく、日本で開催されるクラブ・ワールドカップとなるだろう。

怪物の伝説は日本で終わるのか?
ならば是非、見届けたい。
そう思うサッカーファンは少なくはないはずである。

宮市亮

  • 2010/09/15(水) 01:21:44

サッカーの19歳以下(U19)日本代表でもあり現在、中京大中京高の高校3年のFW宮市亮選手が、イングランド・プレミアリーグの強豪アーセナルに入団が内定したというビッグニュースが飛び込んできた。


宮市亮は身長180cmと日本人FWといては大柄ながら瞬発的な運動能力に優れた俊足を生かしたドリブルが持ち味の日本人にはいないタイプのストライカーである。その素質は高校入学当時から高く評価され続け、地元名古屋のグランパスエイトを中心に勧誘合戦が過熱していた。17歳以下(U17)ワールドカップにも出場し世界的な評価も得たストライカーの進路はまさかのイングランド・プレミアの名門であの世界的名将ベンゲル率いるアーセナルだった。

今夏、アーセナルの練習に参加しベンゲル監督の度肝を抜いた天才ストライカーは日本人高校生3人目の高卒即海外クラブ移籍に至ったのだ。

ベンゲルに「ぜひとも欲しい」と言わしめた17歳。正式契約は宮市亮が18歳になる12月以降に結ぶといい。条件も期待の表れか異例の4年を超える長期大型契約になるという。

しかし、宮市はフル代表経験など英国就労ビザ取得の基準を満たしておらず、契約後、イングランド国外の他クラブへ期限付き移籍などをし、実績を積むとみられる。それでも海外で即通用するといわれる逸材はすぐにプレミアのピッチに立つのだろう。

宮市は現在、左足ひ骨を亀裂骨折してしまい治療中だがそんな怪我は天才の才能をもってすれば何のハンデにもならないようだ。さらにプレミア・リーグにおいてEU籍外選手は、英国の労働許可証を取得しなければ、プレミアリーグはおろか、リザーブリーグにも出場できない。この英国の労働許可証は、これまで何度も日本人選手のイングランド移籍を阻んできた、大きな壁だ。発給目安は、自国のフル代表として、過去2年間の公式戦での出場率が75%以上、となっている。また特例として「類まれな才能ある若手選手」と認められれば、発給された例があるものの宮市の世界での評価はそこまで高くないはずである。もっと言えば例えアーセナルの所属選手になれたとしても、リーグ戦へ出場するには、もっと過酷な競争が待っている。さらにレギュラーを獲得し、活躍できるようになるのは、ごくごく少数の選手だけなのだ。

つまりはプレミアだアーセナルだベンゲルの目にとまったと言っても世界はそんなに甘くなく宮市の成長に合わせてくれる世界でもないはずだ。

類まれな才能とわずかなチャンスをものにした者だけが脚光を浴びる世界で宮市は輝けるのだろうか?

かつアーセナルに所属した日本代表の中でもトップクラスのフィジカルとテクニックを持った日本代表の稲本潤一でさえ、1試合も出場できなかったアーセナルというチームのレベル。日本サッカーの象徴と言われた中田英寿でさえ通用しなかったプレミアという世界。前途多難ないばらの道をあえて選択した宮市はどうやって這い上がっていくのか?楽しみである。

例え、プレミアリーグに出場できなくてもイングランドの地に何か大きな爪痕を残してもらいたいものである。期待している。

鎮西まゆみ史   史上最年長ルーキー誕生

  • 2010/08/16(月) 01:26:24

先日行われた日本女子プロゴルフ協会(LPGA)プロテストで合格し晴れて「プロ」とよばれた選手の中にひときわ注目を集めるオールドルーキーがいた。

史上最年長ルーキーが誕生した瞬間だった。

鎮西まゆみ。43歳。

24歳でゴルフを始め、29歳からプロを目指し、15年目の挑戦で受けたプロテストは実に8回目。ついに大きな夢を実現させた。史上初の「40代合格」の偉業を成し遂げたのだ。

過去の記録はさかのぼる事25年前。1985年に38歳で合格した藤本麗子選手の記録を大幅に更新する大偉業である。

しかも昨今のゴルフ界の低年齢化のスピードは速く、10代でのプロ選手も珍しくない近年では異例中の異例と言っても過言ではないだろう。

24歳でゴルフを始めた時点ですでにスタートに大きく出遅れているのにあきらめず「プロ」の称号を得るまでの頑張りは尋常では無かったのでないかと容易に想像がつく。

「長かったです」と報道陣の前で流した涙は本当に実感がこもった涙だったと思う。
気温35度超の猛暑の初日は4オーバーとやや出遅れたが、てんこうが 落ち着いた2日目はパープレーと耐え、暴風雨となった最終日。上位陣が天候と極度のプレッシャーの中大きくスコアを落としていく中、経験豊富な43歳・鎮西まゆみは冷静さを保ちこの日はベストスコアの2アンダーで回り通算成績2オーバーの4位で合格したのだ。

「ゴルフは大好きなので、ほかのことは考えられなかった。これからも経験を積み、稼げるプロになりたい」43歳のオールドルーキーは真っ赤な目で次なる挑戦を誓った。

最後には「ツアーで1勝したいと、ひそかに思っています」と報道陣に向かって笑顔を見せてくれた。

鎮西まゆみプロの挑戦は今、始まったばかりである。

追伸・・・実はこの日、41歳の小久保由加里も6度目の挑戦で見事合格し、40歳以上の“オールドルーキー”が鎮西まゆみと合わせて2人生まれたという実に珍しいプロテストとなったのだ。


リカルジーニョ  フットサル界のスパースター

  • 2010/08/04(水) 15:30:37

この人のプレーは是非、一度生で見ていただきたい。


世界的スーパースターが日本で見られるのだ。フットサルのFリーグに所属する名古屋オーシャンズにリカルド フェリペ ダ シルバ ブラガというポルトガル人が入団した。

彼の事をフットサル界のクリスチアーノ・ロナウドと呼ぶ。
通称・リカルジーニョ。

若干15歳でフットサルのポルトガル代表に招集された天才テクニシャンは スペインやイタリアのビッグクラブから獲得の打診が沢山あったが彼がプロのキャリアを始めたSLベンフィカ時代に指導を受け現在、名古屋の監督を務めるアジウ監督の下でプレーする道を選んだのだ。

昨年のヨーロッパフットサル選手権で最優秀選手賞を獲得しチームも準優勝に導いた24歳である。あのリカルジーニョが日本でプレーするというのだ。
現役No.1とも謳われるフットサルプレーヤーのFリーグ参戦で活気づくのは間違いない。
たった一人でFリーグの歴史を変えるかもしれない天才的プレイヤーである。
Fリーグでこれまで全く見たことの無い想像を超えたプレーが見られることになる筈である。移籍金は明らかにされていないが一体いくら払ったのだろうかと下衆な質問をしたくなるような選手である事を強く言っておきたい。入団記者会見でも「全タイトルが取れるように貢献する」

「会場に足を運び、フットサルの魅力を感じてほしい。必ず満足させるプレーをする」と宣言するあたり本気度も伝わってくる。

リカルジーニョ。名古屋オーシャンズのこの選手に是非、注目していただきたい。

ウェイン・ルーニー

  • 2010/07/29(木) 00:03:26

ワールドカップで期待外れの成績に終わったイングランド。44年ぶりの頂点も狙えるのではと期待していたが結果は決勝トーナメント一回戦でドイツ相手に簡単に敗れ去ってしまった。

大会前にいまやチームの精神的支柱となったベッカムを欠きさらに守備陣の要ファーディナンドも故障で欠くなど故障者に悩まされたのが大きな敗因であるがあえてA級戦犯を見つけるとしたらウェイン・ルーニーを指してしまうのは僕だけではないだろう。

3月末に負った足首の怪我から高地への適応失敗まで、不振の原因には複数の説があるが、それにしても、南アフリカでのウェイン・ルーニーの出来はひどかった。
クリスティアーノ・ロナウドが抜けた名門マンチェスターUのFWをしっかり守り、前線からの守備意識を高く持ちながらもゴールを量産したその姿は完全に影をひそめた。

大会前は大会得点王の呼び声が高かった事を思えば散々というべきだろうか?

フィジカルの問題もあったのだろうがルーニーという選手を生かす戦術が取れなかったのも事実ではある。
マンチェスターUではギグスやナニといった左右を駆け上がりセンター付近でもしっかりルーニーをサポートしスペースを作ってくれるアシスト陣がいる。しかしイングランド代表の攻撃陣にはその確かな存在がいなかった。ヘスキーやレノンがその役を務めたのだがどちらも役不足の感は否めない。

しかも守備の要、ファーディナンドをけがで欠いたディフェンス陣が安定せず頼みの綱であるジェラードやランパードの位置が下がり前線との距離がぽっかりと空いてしまう致命的な欠陥を露呈してしまった。

たまらずルーニーも下がってボールをもらいに行くため相手ディフェンダーをますます楽にさせてしまいしっかり守備網をひかれてしまったのだ。


優勝候補の呼び声が高かったはずのイングランドの惨敗の責任を一身に背負う若きセンターフォワードは今後、どのような成長と輝きをみせてくれるのだろうか?

次回のブラジル大会では本物のウェイン・ルーニーがみれるのだろうか?

プレミアリーグだけで輝く選手にだけはなってほしくないのだが・・・・そう思えばルーニーの成長よりも若きイングランド人の台頭の方が気になるところだ。

大山加奈

  • 2010/07/28(水) 00:32:32

パワフル・カナの愛称で親しまれた大山加奈が引退をした。



栗原恵とメグ・カナコンビとして大ブレークしたのが19歳で迎えたアテネオリンピック。改めて世界との差を感じ、リベンジを決意した北京オリンピックを大山加奈は病院のベッドの上で迎えていた。

慢性的な腰の痛みと戦いながらだましだましやってきた体は完全に悲鳴を上げ壊れてしまったのだ。
「脊柱管狭窄症」。

普段の生活時から違和感を感じ続けまっすぐ腰を伸ばした姿勢を維持できない。それどころか歩く事にも苦痛を感じ大腿部に膝に至るまで痺れと麻痺を繰り返す程、重症だった。

北京オリンピックでアテネの借りを返そうと痛みと戦い苦しんだが断念して手術を受けた。腰に約20cmもの大きな手術痕を残す程の大手術を受け過酷なリハビリも受け続けた。
1年以上にも及ぶリハビリを経て昨年のプレミアリーグで復帰し日本代表復帰を目指した。その年には代表候補に選ばれたものの腰の状態は芳しくなく代表招集を辞退してしまったのだ。この時、すでに大山の頭の中には”引退”という2文字が過ぎっていたのかもしれない。


バレーボールを始めた時からいつかこの日が来る事は分っていたのだろうがこんなに早くくるとは・・・



小学校卒業時には175cmあった。圧倒的なフィジカル差を活かして小学校・中学校と所属チームを全国制覇に導いた。早くからバレーボール界の金の卵と注目される存在になり高校でも名門・成徳学園高校(現・下北沢成徳高校)に進学し全国制覇をするなどどの世代でも頂点に立った。

栗原よりも早く高校生時代に日本代表に招集された早咲きの天才はその高さとパワーを武器に世界と戦い続ける事を余儀なくされ成長途上の体を酷使し続けた。

慢性的な腰痛に加え足首に股関節、右肩関節不安定症など満身創痍な体は既にボロボロだった。東レで新人王に輝いた頃からフィジカルは極端に下がっていたことはバレーボール関係者ぐらいしかいない。ファンにはいつも心配かけないようにと笑顔を絶やさなかった。そんな笑顔がまた痛々しく思えた。
本当は歩くことさえ苦痛だった筈なのに・・・



ファンの期待に応えられなかった悔しさに加え自分自身に対しての不甲斐なさ。
どこまでも負けず嫌いで懸命すぎるほど懸命な大山加奈は引退会見で涙を流した。残念ではあるが、どこかほっとした僕がいるのもまた事実だ。
長い間、本当にお疲れ様でした。そしてありがとう。


朱雨玲(ジュ・ユゥリン)

  • 2010/07/27(火) 15:41:37



卓球の世界選手権女子団体戦で見事に絶対王女中国を破り初優勝を決めたシンガポールの女帝・王越古(ワン・エグ)がその疲れを感じさせない活躍で日本の地で優勝カップを掲げた。

プロツアー・ジャパンオープン荻村杯で優勝を決めたのだ。層の厚い中国勢は母国の超級リーグと日程が重なったため出場していなかったがそれでもその力は圧倒的だった。

そんな王越古(ワン・エグ)よりも輝いていた中国の新星を今日は紹介したい。

超級リーグに出場するトップチームの選手ではなく若手主体で参加した中国勢。その中でも若干15歳の選手に僕は度肝を抜かれた。
まだ15歳。若手主体の今回の中国女子チームの中でも最年少だった朱雨玲(ジュ・ユゥリン)だ。

平野早矢香や福原愛の日本のトップ選手を撃破したかと思えば韓国のカットマン朴美英をも撃破して決勝に勝ち上がったのだ。

平野にしても福原にしても国際試合の経験豊富な強者なはずだがいとも簡単に退けた。福原愛にいたっては一回戦で今大会参加の中国勢では唯一の国家1軍チームのメンバーだった易芳賢を倒していただけに調子は悪くなかったはずだ。勢いだけで勝ち上がったとしても十分な価値がある対戦相手を技術やスピードで圧倒し簡単に倒してしまったあたりは勢いだけではないポテンシャルを感じさせてくれた。

朱雨玲(ジュ・ユゥリン)のセンセーショナルな活躍が強い印象を残してくれた。

朱雨玲(ジュ・ユゥリン)は1995年1月10日に四川省綿陽市で生まれた15歳。
小学1年生の時に地元の少年宮で卓球を教えていた王強コーチの目に留まり本格的に競技を開始。少年宮というのは子どもたちがスポーツなどの課外活動を行う施設のこと。朱雨玲は少年宮の練習が休みになる週末も王強コーチを家に招き両親が自宅に買い入れた卓球台で練習に励んだという。

その2年後には早くも四川省のジュニアチームに入り四川省女子チームの李永生監督の指導を受け順調に実力を伸ばしてきた。
2009年に14歳で全中国ジュニア選手権ベスト8、そして今年1月のジュニア選抜集合訓練で3位となり、中国国家2軍(ジュニア)チーム入りを果たしている。
今年6月の甲Aリーグ(超級リーグの下のカテゴリー)に参加しシングルス17勝6敗と高い勝率を記録した。

朱雨玲の利点は「非常に頭が良く、試合での対応能力、戦術転換に優れている」と監督も技術以上に頭の良さや器用さを褒めている。

今大会でも決勝戦こそ百戦錬磨の王越古(ワン・エグ)のバック表ソフトのボールと逆モーションのレシーブに手を焼き、完敗の内容だったが、序盤でミスを連発した準決勝の朴美英戦では巧みな戦術転換も見せ逆転勝ちを収めるなどクレバーな試合運びに15歳という年齢を疑いそうになる。


朱雨玲(ジュ・ユゥリン)
中国女子卓球の未来は明るい。

ルイス・アルベルト・スアレス

  • 2010/07/24(土) 12:43:43

ワールドカップで南米の勢力図を塗り替えたといっても過言ではない活躍を見せたのが準決勝、3位決定戦で敗れたものの4位と健闘したウルグアイだ。

その中でも大エースのフォンランを差し置いて次世代のエースとして期待以上の活躍を見せてくれたのがルイス・アルベルト・スアレスだ。

元々の期待値が低かったわけでもなくウルグアイ国内はもとより世界中のサッカーファンから期待はされていたが今一その実力の程を疑問視されていた。

母国ウルグアイのナシオナル・モンテビデオでプロ選手としてキャリアをアヤックス・アスタートさせた。スアレスは高い個人技を買われオランダに移籍。2007年からはオランダの名門アヤックスに移籍した。移籍初年度にいきなり17得点しリーグ得点ランキング3位にはいった。
翌シーズンも終盤まで得点王争いを演じ22得点あげランキング2位にはいった。
今シーズンは更なる進化を遂げ年間4度もハットトリックを見せるなど大爆発し堂々と得点王に輝いた。
オランダリーグ最速の通算50ゴールを挙げるなどその活躍はまさにワールドクラスになった。

しかしまだまだ精神的なコントロール力にかけハットトリックの次の試合では決定機を次々と外すなど安定感に欠きチームでもウルグアイ代表でも”絶対的”エースになりきれないでいた。

個人技頼りの突破力は極めて脅威だしファンも面白がってみるがその反面、シュミレーションが多く度々イエローカードをもらい無駄な退場も繰り返すという悪い一面も持っている。

それでも中盤に下がってでも前を向いた状態でパスを供給されれば何かを見せてくれる選手なのでファンは目を離すことができない選手の一人だ。

ワールドカップでも準々決勝のガーナ戦で同点で迎えた延長戦の緊迫した場面で相手の決定機に大きく手を出しハンドをもらい一発退場処分をくらってしまった。
明らかな決定機でスアレスを突破されれば間違いなく一点を失っていたシーンでの極めて故意にだしたハンドに批判は集まり非難の嵐だったが一部では賞賛の嵐でもあった。なぜならガーナが得たPKを外し結果ウルグアイが勝ち上がったからである。

あのシーンは一発退場をくらってでも止めるべきだったかどうかは別にしてここ一番でそんなシツュェーションに出くわすスアレスはきっと何かを持っているのだと思う。

まだ23歳の若さ。アルゼンチンのメッシらと同じ世代である。

ルイス・アルベルト・スアレス。
更なる成長と次回ブラジル大会での大活躍を心底、期待している僕がいる。

山下斐紹

  • 2010/07/21(水) 22:18:13

甲子園出場を目指す高校球児の夏が全国各地で始まっている。

千葉県習志野高校のキャッチャー山下斐紹に注目している。

50メートル走5秒9の走力に加え遠投120メートルの強肩で二塁送球タイムは高校生レベルでは最高クラスの1・8秒を切るポテンシャルの持ち主である。
千葉県はもとより全国でもトップレベルのキャッチャーですでに高校NO,1の呼び声もある。「地元出身うんぬんではなく高校生でトップクラス。欲しい選手」と特に千葉ロッテのスカウト陣が高く評価しドラフト上位候補として
既にリストアップしている。
チームでも4番を務め高校通算本塁打33本の長打力を秘める打撃と走攻守3拍子そろっている万能型の逸材であることは間違いない。

大学No・1捕手との呼び声が高い青学大・小池の獲得を狙っている球団もたくさんあるようだがこの夏の活躍次第では山下斐紹の方が上位で指名される確率は一気に高くなる。

山下斐紹は中学1年時に投手から外野手に転向し高校入学後からキャッチャ―に転向したのだ。つまりキャッチャー経験は3年もないのだ。キャッチャー転向後即、名門・習志野のベンチ入りをするだけの才能を見せ始めたのだ。1年秋の公式戦からはレギュラーキャッチャーに定着し甲子園出場に大いに貢献した。
まだまだキャッチングやインサイドワークに課題は残すものの伸びしろはかなりあるはずだ。

この秋のドラフトは斉藤ら大学のピッチャーが注目されそうだが
山下斐紹の名が必ず上がるはずである。

是非、覚えておいてもらいたい。


ボブ・シェパード  ジョージ・スタインブレナー

  • 2010/07/20(火) 00:12:13

ニューヨーク・ヤンキースに2日続けて悲しい事が起きてしまった。涙にくれたファンや関係者、選手も多いことだろう。7月11日「ザ・ボイス・オブ・ヤンキースタジアム」と言われた球場アナウンサー、ボブ・シェパード氏がこの世を去った。99歳だった。

シェパード氏はヤンキース伝説の男、ジョー・ディマジオの現役最終年で、
ミッキー・マントルがデビューした1951年の開幕戦からヤンキースタジアムでのアナウンスを開始。
07年9月5日のロイヤルズ戦まで、約4500試合を担当した。半世紀以上、56年もの間、ヤンキーススタジアムで選手の名をコールし続け選手の一挙手一投足を見守り続けたまさに真のヤンキースの歴史のような人だったのだ。

もちろん、過去に日本人プレイヤーの名前をコールしてきたので松井秀喜や伊良部秀輝の名前もコールしてきたのだ。ヤんキース主将のディレック・ジーターは現在でも録音されたボブ・シェパード氏の声で打席に入っている。

ボブ・シェパード氏は07年9月5日の試合後は体調不良を理由に自宅静養に入り昨年11月には正式に引退を表明していた。
そんな巨星が99歳の大往生でヤンキーススタジアムから旅立ったのだ。


ヤンキースのニューヨーカーの涙が枯れる間もなくヤンキースのオーナーであるジョージ・スタインブレナーが心臓発作の為80歳にしてこの世を去ったというニュースがニューヨーク中をかけめぐった。



1973年というから約37年前にジョージ・スタインブレナーが42歳の時に
3大ネットワークの一つCBSから当時1000万ドルでヤンキースを買収したのだ。
「人間が呼吸の次に大事なのは勝つこと」などと豪語し財力による強引なトレードでの戦力補強は、チームだけでなくメジャーリーグ全体の年俸の高騰化を招いた。
時折、ファンやマスコミから「やりすぎ」とバッシングを受けたがその言動がぶれることなく大金をはたき超大物選手を次々と獲得し「勝利」のみを追求する名物オーナーとして君臨し続けた。ボブ・シェパードと時を同じくして2007年にヤンキースの経営を実質的に2人の息子に委ね、最近は療養のためフロリダ州タンパの自宅に滞在していた。

松井にが入団し活躍したルーキーイヤーで新人王を逃した際は「私の中では、ヤンキースのために左翼を守った彼こそが新人王。ニューヨーク日本のために一生懸命プレーした」と正式コメントとして擁護する発言をするなど「勝利」至上主義ながらも温厚で心優しい人なのだ。そんな一面があることはニューヨーク市民には周知の事実でだからこそバッシングしてもオーナーとして
敬っているのだ。

そんなジョージ・スタインブレナーもまたニューヨークから姿を消した。
安らかに眠ってほしいものだがあの世でもまた「勝利至上主義」なのだろうか?

ボブ・シェパードとジョージ・スタインブレナー。

2人がニューヨークから消えたことが今はただただ残念である。

ディエゴ・マラドーナが泣いた夜

  • 2010/07/18(日) 01:26:31

中村俊輔の様にワールドカップの神に見放された男がいる陰で過去には幾多の名選手がワールドカップの神に愛されその名を世界に轟かせてきた。

アルゼンチン国民の期待はその采配手腕よりもワールドカップの神に愛された過去の栄光に期待したのかもしれない。



若き天才リオネル・メッシを擁し優勝候補の一角にも挙げられていたアルゼンチンが準々決勝のドイツ戦で国民の期待を大きく裏切る大敗を喫してしまった。

0−4という屈辱的スコアで完敗しメッシ・テべスを中心とした華麗な攻撃サッカーと奔放な言動で大会の話題をさらったマラドーナ監督は涙にくれた。

開始わずか3分で失点したディフェンス陣は簡単なまでに混乱した。ミロスラフ・クローゼのポストプレーを自由にさせてしまいシュバインスタイガーやポドルスキーを何度もフリーにしては強烈なシュートを浴び続けた。
肝心の攻撃陣もメッシを完全に封じられテべスのサイド突破も空しくドイツの守備網にかかり攻撃の起点すら作れなかった。
「ドイツのW杯は今日でで終わる」と言い放ち絶対的な自信を持って臨んだマラドーナ監督だったが屈強なゲルマン魂の前に簡単に力尽きてしまったのだ。

選手時代も引退後もマラドーナはいつも孤独だった。
監督就任後もファンやメディアに珍采配や選手選考の疑問をたたかれた。
それでも強気なマラドーナ監督に対しファンやメディアもワールドカップの神に愛され続けた過去の栄光に期待した。

全員が運動量が豊富で効果的なフリーランを行いチーム全体でパスをつなぐ意識が高いドイツに対しアルゼンチンの攻撃は常にブツ切りでメッシやテベスやアグエロも個人技によるドリブル突破でしか見せ場を作れない。
「早く攻めたい。誰か早くボールを奪ってくれ」という意識がアルゼンチン攻撃陣の心に先に立ち、選手全員が少しずつ他人任せになり守備をサボるようになる攻撃志向のチームがリードされたときに陥る、典型的な現象がピッチ上で起きていた。すなわち次第にボールに対するアプローチが甘くなり自陣への戻りも遅くなりみるみる守備網は穴だらけになっていくのだ。マラドーナはそんなチームを作ってしまったのだ。

まるでマラドーナ監督の現役時代を彷彿させたチームバランスの悪さにドイツは情け容赦なく襲い掛かり圧倒的な差をつけて快勝した。



マラドーナ監督の目が真っ赤に腫れた。戦前には考えもしなかった完敗。

アルゼンチンは一見、ヨーロッパのビッグクラブで活躍するタレント選手が揃っているようでいて結局のところ予選から本大会を通じて攻撃はメッシ頼みだった感は否めない。攻撃型のチームでありながら、メッシの自由な動きを封じればアルゼンチンの攻撃は怖くなく、それでいてディフェンスのリスク管理はかなり甘く力の劣る相手なら個人能力で封じ切れたが同等以上の相手となるとその甘さが致命的となってきたチームだった。

そう思うと今回のアルゼンチンには勝ち上がるほどのチーム力が無かったと言わざるをえない。もしかしたらアルゼンチン国民はみんなその事に気が付いていたのかもしれない。




それでも国民はサポーターは「ワールドカップの神に愛された男」に期待し
予想以上の結果を求めた。求めたというより「ワールドカップの神に愛された男」の偉大さに賭けたのかもしれない。

そんな神通力が効かないのもワールドカップの奥深さなのかもしれない。

中村俊輔  ワールドカップの神に見放された男

  • 2010/07/16(金) 10:00:25

戦前の予想を大きく覆す決勝トーナメント出場という快挙に歓喜に沸いた日本代表。大会前は不甲斐ない試合を続けた岡田監督に「辞めろ」と迫ったサポーターも大会後には「英雄」扱いだった。監督という職業はつくづく大変なものだと改めて思い知らされた。
大会後も笑顔がなかった選手が一人だけいた。エースナンバー「10番」を背負った中村俊輔だ。



彼ほど日本代表に熱い思いを持ちサムライブルーのユニフォームが似合う男はいないはずだった。

代表国際Aマッチ98試合24得点という偉大な実績を残してきた選手であるがなぜかワールドカップにだけは輝かないのだ。代表に帯同し続けるためにJリーグ復帰を志すも横浜マリノスの処遇の悪さからスペイン移籍を余儀なくされ、それでも活躍の場を求めてJリーグに復帰しサッカー人生の集大成と位置付けたW杯・南アフリカ大会に臨んだ筈だった。

フィジカルの問題を抱えたまま無理をして試合に出続けた疲労のツケがワールドカップ期間中でも回復する事無く結果、中村俊輔がピッチに立ったのはオランダ戦の途中出場の25分間のみだった。
「コンディションは戻ってきた。ミスもあったけど仕事はできたと思う」と試合後には前向きに語っていたが、何度も相手にボールを奪われるなど全盛期の彼とは程遠い出来だった。

岡田監督が就任以来、ずっと絶対的エースとして信頼を置いていた背番号10はその期待に応えることなく終焉の時を迎えた。



19歳の時、当時まだ無名の中村俊輔をフル代表に招集したのは当時の岡田監督だった。フィジカルの弱さを露呈し98年のフランス大会の選考には漏れたが
順調に成長を遂げ2002年の日韓大会ではスーパーサブとしての出場を期待させたがフィリップ・トルシエ監督との確執が表面化し選考に漏れ人目をはばからず涙を流した。
この挫折をバネにイタリアからスコットランドへ渡って自分自身を磨き器の大きな選手に成長したのだ。
満を持して中心選手として挑んだ06年ドイツ大会は目に見えない重圧からか肝心なところで原因不明の発熱に見舞われた。体調管理の甘さをバッシングされた中村俊輔は予選全敗のA級戦犯扱いされた。

だからこそ「今年の南アフリカワールドカップでは完全燃焼したい」と意気込んだが空回りし小さなけがを繰り返した。チームドクターの制止もふりきり試合勘が鈍るのを恐れて無理を重ねた。
今にして思えばこの間違った判断が悔やまれてならないのだが、スペインで試合に出ることが出来ず失意の元Jリーグ復帰したのだから
焦る気持ちは十分わかるが、もし完治するまで休養していたらこのような形で終わることはなかったはずだ。

誰もが認める絶対的信頼感のあるエースの不調はチームのリズムを崩し守備にも攻撃にもテンポも生まれずチームは崩壊した。

皮肉なことに岡田監督が非情の決断を下し中村俊輔を外してからチームは輝きを取り戻し予選を突破したのだ。



トルシエに外された02年のころは中田英寿以上のエゴイストだったと言われている中村俊輔が、
南アフリカのベンチでは仲間を盛り上げチーム結束力を高めようとコミュニケーションを率先してとり
チームには欠かせない選手になっていた。その姿には人間的成長が強く見て取れた。
悔しかっただろうし自分に対して不甲斐なった事だろう。ストイックなまでにサッカーに取り組んで来た男なのに
ワールドカップの神様は簡単には微笑んでくれなかった

大会後、誰よりも日の丸そしてW杯にこだわったレフティーの口から「代表引退」の言葉が出てきた
代表に憧れ自分の仕事を見つけてはストイックなまでに技術を高めてきた男が白旗を上げたしまった。
日の丸をつける事に疲れた訳ではないだろう。力が大きく衰えたわけではないだろう。
あるとすればほんの少しだけ”ワールドカップの神様”に対する恨みかもしれない。

観野甲輝

  • 2010/07/12(月) 03:04:47

中学時代から幾度も清原和博の再来とも言われてきた観野甲輝。




PL学園進学後も1年生から圧倒的な存在感を放ち4番にどっかり座り清原以来の公式戦で名門・PL学園の4番を張った男だ。
順調な成長を遂げるかと思われたが昨年は怪我などにも泣かされ春先以降はベンチから外れる時もあり今春のセンバツではPL学園は甲子園に出場したものの観野甲輝は屈辱のベンチ外に追いやられるなど長く低迷が続いていた。
しかし最終学年3年生に入り再びその輝きを取り戻しつつある。

春季大阪大会で背番号3をつけながらマウンドに上がった。骨太の体格とふてぶてしいまでのその雰囲気。高校時代の清原和博をも思い出せる圧倒的なオーラは際立っていた。
打者の内角を厳しく突き時には相手に当てても素知らぬ顔。それまで怪我などに泣かされリハビリを怠り復帰が遅れるなど精神的に少しひ弱なイメージを持っていたがそんなイメージを完全に払拭してくれる姿だった。

投手としての才能というか野球センスは随処に見せてくれた。フィールディングなどをみてもスピード感はないが球際は悪くないように思える。投手としてもコンスタントに135キロ級の球を投げ込める地肩の強さがあるのでプロに行って野手になっても守備で苦労しそうにないタイプであろう。

ただ走力に関しては正直期待できない。そのプレースタイルからも走塁への意識は高くなく足を売りにして行くタイプには思えない。この辺は高校時代に大騒ぎされ鳴り物入りで北海道日本ハムに入団した中田翔ににているかもしれない。

観野甲輝の持ち味であるバッティングはホームランを量産する大砲タイプのスラッガーと言うよりは広角に打ち返す中距離タイプの強打者ではないのだろうか。ここが清原和博とは大きく違うところである。

しかし高校に入ってからは清原和博の呪縛に取りつかれたようなバッティングに変わってしまった。特に内角の球を強引に引っ張ったり、逃さず叩く力強いスイングする姿など広角に打ち返す好打者的タイプからスラッガータイプへの変貌を求められ悩んでいるかのようにも見えた。
ここ数年のバッティングスタイルから打てる球や打てるポイントはかなり限られている気がするのは気になるところだが甘い球を逃さない「鋭さ」があるのは大きな魅力である。

プロに求められる身体の強さ・スイングの鋭さは高校生の右の大型内野手としてはピカ一でるのは間違いない。打撃へのこだわりは誰よりも強く持っているようだ。バッターボックスでの独特の雰囲気を持っているのは高校からプロに行くような選手が共通して持っている感じだ。

もちろん清原和博にもあったし中田翔にも感じた。まだまだ粗くプロで大成するには入団してから時間は少しかかる素材なのかなとは思うが高校生の一夏の成長は人格すら変えるはずだ。大いに期待したい。


観野甲輝。

文字通り「甲子園で輝く」最初で最後の夏の挑戦が始まった!!

高橋恵  女子ゴルフ界の新星  プリンセス・メグ

  • 2010/07/11(日) 13:15:29

突如ゴルフ界にシンデレラ中学生が現れた。横峯さくらや諸見里しのぶら日本のトップ女子プロが出場する女子ツアーの下部ツアーとなるステップアップツアーのANAプリンセスカップで長野・佐久長聖中2年の13歳、高橋恵がなんと優勝したのだ。



ステップアップツアーといってもれっきとしたプロツアーをなんと13歳の中学生が制したのだ。もちろん史上最年少の大記録である。

北海道のANAダイヤモンドGCにスーパー中学生が現れた。
共催者推薦で出場した中学2年がプレーオフを制して見事、優勝したのだ
優勝した高橋恵は13歳11カ月19日。

ステップアップツアーではあるが03年に宮里藍が作った国内女子の最年少優勝記録(18歳102日)を大幅に更新し石川遼が07年5月に15歳8か月で打ち立てた世界最年少プロツアー優勝のギネス記録を更新する快挙だ

藤井かすみや山口裕子や高又順らトップツアーの優勝経験者が11人も参加し出場107人中アマチュアは高橋恵と石川遼の妹の石川葉子の2人だけだった。
そんなトーナメントで優勝したのだ。

この日の高橋恵は首位に4打差でスタートし後半に怒涛の4つのバーディーラッシュでトップに立ちプロ選手2人とのプレーオフに臨んだ。

優勝の懸かったプレーオフの1ホール目で2mのバーディーパットをあっさり沈めて優勝してしまったのだ。

「歴史的優勝」にも関わらず13歳の少女は派手なガッツポーズも大喜びの歓喜の涙もなく至って静かで冷静な優勝だった。
中学2年とは思えない大ベテランのような勝ちっぷりと優勝の瞬間。


「まだ勝った実感がわきません。最後のパットも『私が勝っていいのかなぁ?』という感じで、気分は楽でした」とあっけらかんとした受け答えが
初々しい。

「どんな試合でも優勝するつもりで出場しているのでこの優勝は世界一になるための第一歩ですね」堂々と語る中学生。時折あどけない頬を紅く染めた。
「世界を目指すしかない。それには、自分で決断しないといけない」と横浜生まれであったが誘いのあった長野県の佐久長聖中学に進学した。
佐久長聖は中高一貫教育でスポーツにも力を入れておりゴルフ部は全国トップレベルにある。
ゴルフに集中できる環境もそうだが佐久長聖を選んだ最大の理由が「誠実・忍耐・礼節」を掲げる学校の校訓というから恐れ入る。

2人1部屋の寮暮らしでゴルフ漬けの毎日。体力強化のジム通いも始めもともとスケールの大きかったハートに、ビッグな飛距離まで武器に加えた。173cmの恵まれた体格に秒速47mのヘッドスピードは日本のトップ女子プロでも数値は文句なしの数字で世界水準のポテンシャルを持ち合わせる

「当たれば290ヤード、平均で275ヤード」のドライバー飛距離に胸を張り「曲げずに、正確に300ヤードを飛ばせるまで飛距離にこだわりたい」と発言のスケールが大きいのがいい。



国内女子ツアーはプロ資格獲得に「18歳以上」の年齢制限もあるため今すぐにプロになるのは難しいが将来楽しみな逸材であることは間違いない

今大会の優勝で「世界制覇」という大きな野望に向けて大きな自信を獲得したゴルフ界の“プリンセス・メグ”。

文字通りステップアップしていく高橋恵に注目である。

石津幸恵

  • 2010/07/08(木) 22:16:08

男子は帝王フェデラーが準々決勝で姿を消す大波乱があったものの第2シードのナダルが制し女子はセリーナ・ウィリアムズが貫録の2年連続優勝を収め幕を閉じたウィンブルドン(テニスの全英オープン)。

今年のウィンブルドンを沸かした日本人は復活したクルム伊達公子でも男子の新星・錦織圭でもなかった。
17歳の現役女子高生・石津幸恵だった。



最終日センターコート横の第1コートに姿を現した茨城県の土浦日大高に通う17歳。ウィンブルドン・ジュニアの女子シングルス決勝戦。41年前に沢松和子が優勝して以来の日本人の優勝を目指して18歳のクリスティナ・プリスコバと対戦した。1m64cmあり、そんなに小さくない体の石津幸恵が小さく見えるほど1m82cmのクリスティナ・プリスコバは大きく見えた。

1万人以上の観客を集めたジュニアの決勝戦で長身のクリスティナ・プリスコバから繰り出される角度のある強烈なサーブに石津幸恵は懸命に食らいつき鋭く深いストロークで対抗した。
第一セットを簡単に失ったものの第二セットは完全にサーブを読み切りリターンを左右に振りわけゲームをコントロールしていった。



クリスティナ・プリスコバは18歳だが石津幸恵は今年5月の福岡で行われたジュニアのオープン大会で対戦しストレート負けした相手で同じ92年生まれのライバルだ。

福岡の借りをウィンブルドンの大舞台でリベンジを果たすべく果敢に攻め立てた。前日には過去に優勝経験があり地元期待のイギリス人ローラ・ロブソン破り自信を深めたストロークの切れ味は格上のクリスティナ・プリスコバを上回っていた。



第2セットをとり、最終の第3セットは相手サーブをブレークするなど一時4−2とリードし優勝が見えたかのように思われた。しかしその後の4ゲームを連取されまさかの逆転負けを喫した。
試合直後、天真爛漫な17歳の目から悔し涙が止まらなかった。

「チャレンジャーの気持ちで試合に臨んだのに・・・最後は勝ちを意識して守りに入った・・・」と涙まじりに話してくれた。これが世界の戦いなのだ。
もってはいけない感情を持ってしまった時、世界では「負け」を意味してしまうのだ。それが経験できただけでも今大会は大きな収穫ではなかっただろうか?

4歳からテニスを始めてからテニス漬けの生活を送り続け小、中学校レベルで全国制覇をした天才。高校に進学した16歳の夏には早くもプロサーキットで優勝を果たしここまで既に日本人最多の5勝を挙げている。ウィンブルドンも今年が3回目の挑戦となった。

準優勝。負けてしまったがこの日のテニスは決して悪くはなかった。むしろテニスの内容だけ見ればクリスティナ・プリスコバを上回っていたし優勝してもおかしくなったはずだ。ただひとつだけ「持ってはいけない感情」を持ってしまっただけなのだ。

この日の悔し涙を忘れず更なるレベルアップをしてもらいものだ。
まだ17歳。石津幸恵の挑戦は始まったばかりだ。

香川真司

  • 2010/07/05(月) 10:05:55

日本代表の将来を背負うべき男の代表格に香川真司の名前は必ず上がってくるだろう。21歳と若く伸びしろもまだまだ沢山ある才能あふれる若きミッドフィルダーである。



元々ボランチの位置からのドリブル突破と正確なロングフィードが持ち味だったが類まれな運動量を評価されて比較的高い位置でプレーできる
攻撃的MFのポジションでさらなる輝きを見せている。

スピード豊かで巧みなボールコントロールテクニックを持ち合わせ果敢なドリブル突破からのチャンスメークや2列目からの飛び出しなど積極的な攻撃参加でチームの攻撃を引っ張っ存在である。

宮城県の高校時代にセレッソ大阪からオファーを受けユース選手の昇格ではなく一般の高校生が在学中にプロ契約したJリーグ初めての選手となった。チームん事情から入団した年に公式戦出場はなかったU-17日本代表に選ばれその名を轟かせた。
入団2年目からはレヴィー・クルピ新監督によって才能を見出されてレギュラーを獲得しリーグ戦35試合に出場しミスターセレッソ・森島寛晃をベンチに追いやる活躍を見せた。

U-20ワールドカップ日本代表にも18歳の若さで飛び級で選出され更にU-23の北京五輪代表にも飛び級で選出。さらには平成生まれとしては初めてフル代表にも選出され対UAE戦ではフル代表初ゴールを挙げるなどその活躍は日本でも最高水準のパフォーマンスをみせてくれた。

Jリーグでも順調に成績を残しJ2得点王にも輝きセレッソ大阪のJ1復帰の原動力となった。

そんな香川真司がいよいよ本格的に世界デビューをする日が来た。惜しくもワールドカップ代表からは漏れたもののドイツ・ブンデスリーガ1部のボルシア・ドルトムントへの完全移籍が決まったのだ。

香川真司のプレースタイルがドイツ向きかと言われればそうではない気がするしフィジカル重視のあたりの強いドイツサッカーに初めは相当苦労するような気もする。レギュラーが確約されたわけではないのでチームに合流してから試練に耐えないといけないのだがまだまだ若い
香川だけに本当にがんばってほしいと思う。

香川自身も相当な覚悟でドイツに渡るのかと思いきやドイツ語を勉強するために参考書を購入しながらも一切目を通さず、過去にも海外移籍を見越して通い始めた英会話教室はたった2回通っただけですでに断念しているというから驚きだ。
ボルシア・ドルトムントの在籍選手の情報も一切知らずに監督のサッカー感やライバル選手の特徴も知らずというのんびりぶり。代理人を含め関係者の方がヤキモキするほどだそうだ。甘くみてすぎではないだろうか?もっと真剣に準備をしてもらいたいものだ。



このままだと世界有数のトップリーグがそんなに甘くない世界だという事を痛いほど痛感することになるのだろう。言葉の壁にサッカーに対する考え方など幾多の大きな壁にぶつかっては跳ね返されるだろう。

それでも少しでも成長した香川が見られるのらいいが試合に出れずにフィジカルやパフォーマンスレベルが下がり、モチベーションも下がって成長というより退化して日本に帰ってくる姿だけは見たくない。

若き日本代表の成長か退化か?その答えは香川自身しかわからない



菅野智之

  • 2010/07/04(日) 01:43:47

早稲田の斉藤祐樹をはじめ数々のドラフト候補エースが目白押しの大学4年生。
この秋のドラフト戦線はこの大学生投手を中心に繰り広げられていくのだろう。そんな中まだ3年生、つまり来年のドラフトの大目玉となりそうなスター投手を今日は紹介しておきたい。

巨人の原監督のいとこにあたる菅野智之。



原監督と同じ東海大学に通う3年生だ。

自己最高155kmの速球と高速スライダーに落差のあるフォーク、キレ味抜群のカーブ、カットボールにツーシ―ムと多彩な変化球を織り交ぜながら三振を奪っていく本格派右腕である。185cmの長身であり肩、ヒジの関節が非常に柔らかく腕が大きくしなる。
更に投球時に右腕が体の近くを通るから速く振れる為さらにキレを増すのだ。今は大リーガー並みの強い上体を生かした投げ方で一見故障しがちのフォ―ムにも見えるが肩、ヒジの関節が非常に柔らかいが為にできる投げ方なのでこのままでも即戦力としてプロでも十分通用するであろう。

贅沢な事を言えば下半身がもっと使えるようになればスピードはまだ数キロ伸びると思われ日本人初の160kmも夢ではないポテンシャルを秘めている。


全日本大学野球選手権準決勝で慶応大学相手に散発4安打なんと17奪三振の快投で見事完封勝利をあげた。この日のピッチングはびっくりしたの一言に尽きる。142球での完封ショーに観衆は酔いしれた事だろう。
常時150キロを超えるストレート主体に140キロのカットボール、130キロ台のスライダーやフォークを決め球にカーブなんかを織り交ぜられると大学生レベルでは到底太刀打ちできない。

連投の疲れからか過度のプレッシャーからか翌日の決勝戦(東洋大学戦)では打ち込まれ優勝はならなかったが間違いなくプロで通用するピッチャーである。

衝撃の全国デビューを果たした菅野智之。来年のドラフトでは大注目である。

伊藤翔

  • 2010/07/02(金) 01:34:16

伊藤翔。日本の若き天才FWが清水エスパルスと契約した。



ワールドカップ日本代表にも名を連ねる森本孝幸を「和製・ロナウド」と呼べばフランス・グルノーブルから清水エスパルスに移籍した伊藤翔を「和製・アンリ」と呼ぶ事になるだろう。

184cmと日本人としては長身のFWだが、50mを5秒8で走る事ができるスピードが自慢のFWである。ドリブル突破を得意とし多彩なシュート技術を持ち合わせる。長身を活かしたポストプレーやヘディングシュートを見せることはあまりなくウイングで張らせたら幾度となく決定機を演出してくれるタイプの選手である。

ちなみにイングランド・プレミアリーグのアーセナルで長年、アンリを指導していたア―セン・ベンゲル監督は伊藤翔をアーセナルのトライアウトに参加させ「ミニアンリ」とそのプレースタイルを絶賛した事があった。この時初めて伊藤翔の名を日本中のサッカー関係者が耳にするのだがそれよりも以前にア―セン・ベンゲル監督がその才能に目を留めトライアウトに参加させたのだ。

この時、ア―セン・ベンゲル監督が「なぜ、日本のサッカーのコーチ達は伊藤翔の才能に気付かないのか?」「伊藤翔を見出せない日本に世界のフットボールを牽引することは無理だ」と伊藤の才能を評価すると共に日本のサッカー界を非難したのだ。

地元の中京大中京に進学した伊藤翔は同じ高校に通うスケートの安藤美姫と共に大注目の選手となった。一気に高校サッカー界のスターに上り詰めた伊藤翔。その進路には誰もが注目しJリーグ全球団に大学、海外のクラブをも巻き込んだ大騒動となった。



選んだのはフランス2部のグルノーブルだった。高校サッカーのスターが2部とはいえ直接ヨーロッパのクラブと契約した事に驚きさらに注目された。しかし世界挑戦は甘くなく言葉の壁や練習方法の違いに加え怪我にも悩まされ結果は残すことは出来なかった。今年の5月には移籍3年目にして悲願のリーグアンにデビューしたものの出場はその1試合のみの出場にとどまり出場機会を求めて日本に戻ってきたのだ。



「海外挑戦が早かったのではないか?」とか「もっと早く帰ってくるべきだった」と伊藤翔の挑戦をいかにも失敗の様にあおる日本のサッカー界とマスコミ。僕は決してそうは思わない。才能豊かな若い選手ほどもっと早く海外に挑戦するべきできと考えている。厳しい環境で揉まれ経験を積むことで得られる物は大きい筈である。伊藤翔の答えは伊藤翔自身が清水エスパルスで大活躍をして出してくれるだろう。



伊藤翔。近い将来必ず日本代表になるだろう。その時まで是非、覚えておいてもらいたい

鶴見虹子

  • 2010/06/28(月) 02:37:44

冨田、鹿島の引退を受けても新世界チャンピオン内村航平の出現など世界と対等に戦える男子体操界。内村に次ぐ強烈な若手の台頭はないものの政界水準のレベルは十分に維持しているだろうからここ数年は世界のトップで戦えるだろうと思っている。その反面、女子はまだまだ世界との差は大きく団体戦でのオリンピック出場、入賞が目標のレベルである。ただ、ひとりのエースを除いては・・・の話である。




鶴見虹子。



身長140cmの17歳。小柄な日本人の中でも極めて小さい体の体操選手なのだ。

中国人のコーチに幼小期から見出されてから今日まで体操漬けの生活を送っている。中学卒業後も体操に専念するために通信制の高校に通い学業よりも体操という生活を送っているのだ。14歳で全日本チャンピオンになると世界選手権に初出場し団体のオリンピック出場権獲得に大きく貢献した。個人総合でも唯一決勝進出し15位に入る健闘見せ世界のレベルを十分に知った。



北京オリンピックでもエースとして大車輪の活躍を見せロサンゼルスオリンピック以来24年ぶりとなる団体戦で5位に入る大健闘をみせてくれた。ロサンゼルスオリンピックでは当時絶対的な力を誇っていたソ連やルーマニア、ハンガリー、チェコスロバキアなどの東ヨーロッパ勢が政治的理由で出場をボイコットしていたためその価値は疑われたが北京オリンピックでは予選を勝ち抜いた上での5位入賞っただけに十分誇れる成績だった。ちなみに個人総合では世界選手権に続き予選を突破し17位になっている。

そして昨年ロンドンで行われた世界選手権では個人総合で実に日本人43年ぶりの銅メダルを獲得する素晴らしい快挙を挙げた。同日行われた男子の個人総合で内村航平が金メダルを獲得した為にそのニュースの扱いは低かったが女子体操が世界でメダルを獲得するというのは鶴見虹子には極めて失礼だが奇跡に近い快挙であることを声を大にして言っておきたい。

くしくもロンドンの会場は2012年ロンドンオリンピックの体操会場と同じである。一気にロンドンオリンピックのメダル候補に名乗りをあげた鶴見虹子。19歳で迎えるロンドンオリンピックで日の丸を掲げられるだろうか?今から楽しみである。



鄭大世の涙にに本当のワールドカップを見た

  • 2010/06/21(月) 00:02:14

日本生まれ日本育ちの在日朝鮮人Jリーガーが北朝鮮代表としてワールドカップのピッチに立った男。鄭大世(チョン・テセ)

南アフリカワールドカップのフィールドに立った誇り高き32カ国総勢736人の選手。試合目前の国歌斉唱を祖国の思いを胸に聞いた事だろう。
その国歌斉唱を誰よりも「熱く」誰よりも「誇り」持って聞いた男が北朝鮮代表の鄭大世(チョン・テセ)だったろう。試合前に流した大粒の涙の訳とは・・・・




父は日本生まれの在日コリアン2世。国籍は『韓国』、母は日本生まれの在日2世で国籍は『朝鮮』であった。そんな2人の息子である鄭大世(チョン・テセ)の国籍は『韓国』だった。それは日本の法律に基づいた父親の国籍を取得するというルールだけの国籍であった。しかし彼は国籍のことを意識して育っていない。むしろ母親の強い勧めで小学校から大学まで16年間通った朝鮮学校で『在日同胞』としてのアイデンティティーは自然とつちかわれていった。

拉致問題をはじめとする政治問題で日本と北朝鮮は微妙な関係が続き更には核兵器問題などで世界中から非難され孤立していた北朝鮮。それでも”祖国”のほこりを胸に”半島統一”を胸に秘めサッカーに打ち込んできた。

朝鮮高校時代には将来を嘱望され沢山の大学から誘いを受け迷った末、出した答えが「朝鮮大学校」進学だった。いかにも鄭大世(チョン・テセ)らしい選択だったのだ。
朝鮮大学校サッカー部は東京都3部リーグに所属し鄭大世(チョン・テセ)の才能からすればもったいない選択だったしサッカー選手としては間違った選択だったかもしれない。それでも鄭大世(チョン・テセ)はサッカー選手である前に「朝鮮人」だと言い張ったそうだ。

大学入学後もその強いハートとフィジカル、圧倒的な練習量でチームメイトを鼓舞するもなかなか成果がでなかった。
チームメイトの意識レベルも低く練習もしなかったし試合に負けても笑っている選手や試合中にたばこを吸っている選手まで・・・何度もぶつかり喧嘩した事も一度や二度ではなかった。

鄭大世(チョン・テセ)をそんなに熱くするのは子供の頃から植えつけられた「祖国」への誇りだった。その事を熱く語るうちにチームは変わり始め卒業前の最後のシーズンは東京都1部リーグに昇格するまでになり大活躍の鄭大世(チョン・テセ)はJリーグ数チームからスカウトを受け朝鮮大学校から初のJ1リーグの選手が誕生したのだ。




そんな鄭大世(チョン・テセ)が更なる大きな問題にぶつかる。「国籍」である。
サッカー選手として最大のあこがれは祖国の代表としてワールドカップのピッチに立つことである。

法律上、鄭大世(チョン・テセ)の国籍は『韓国』だった。
しかアイデンティティーは「北朝鮮」にあった。16年間も朝鮮学校で“在日朝鮮人”として育ち教育を受けたのに国籍が『韓国』ってことに矛盾を感じてはいたがワールドカップを見据えた時には感情以上に法律というやっかいな壁にぶち当たったのだ。

北朝鮮代表になりたくてしょうがなかった。でも『韓国』籍なのでなれないと知り、国籍を変えることを決意する。しかし、法律は簡単ではなく感情論では誰も相手にしてくれなかった。

それでも諦めきれない鄭大世(チョン・テセ)は在日本朝鮮人蹴球協会を通じ、FIFA(国際サッカー連盟)に対し嘆願書を何通も送り支援を仰いだ。そんな熱意が伝わりFIFAは在日コリアンの特異な歴史的経緯から、現在の国籍が『韓国』の鄭大世が国籍を母親の国籍である北朝鮮に変え北朝鮮代表になることを認め韓国、北朝鮮のそれぞれのサッカー協会の承諾をとりつけ各国の外務省にもその旨を伝え問題がないことを確認・要請しついに認められたのだ。



経済的にも決して環境が良くない北朝鮮代表。更に日本生まれでありJリーガーとして北朝鮮では破格の給料をもらっている鄭大世(チョン・テセ)に対し優しく迎え入れてくれる雰囲気ではなかった。
それでも人一倍の努力と熱い気持ちでチームを鼓舞し続けFIFAランク104位の北朝鮮が世紀の番狂わせと言わしめアジア最終予選を突破しこの日のピッチに立ったのだ。




幼少期には在日というだけで不当な差別を受けたこともあった、朝鮮大学時代はチームやリーグの低いレベルに悩んだ、さらに国籍という大きな問題に対しFIFAや外務省をも巻き込み「北朝鮮国籍」を得た。
経済的に厳しい北朝鮮代表チーム、政治的理由で海外の強国と親善試合も出来なかったし情報収集すらさせてもらえなった。練習をしたくても芝生のスタジアム確保もままならない・・・・そんな幾多の困難を乗り越えて立った南アフリカのピッチで聞いた北朝鮮国歌。

あおの大粒の涙こそがスポーツの良さであり政治や経済をも凌駕するスポーツの良さであり凄さである。こんな話を熱く熱く書き続けるライターで僕はあり続けたい。


close